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初夏のブルージュのいごこち




ブルージュへ。

定宿の部屋からは、庭の鮮やかな緑が見える季節になった。




友達が会いに来てくれて、庭でしばし歓談。




9部屋あるThe Notary の、リビングルーム以外からはどこからでもバスタブが見える部屋!!
どの部屋も素敵だが、この部屋は特別居心地がいい。

明るいうちに日光のそそぐバスタブに浸かる幸福よ。




夜は義理の実家へ。

帰り道、夜中、マルクト広場で、フリッツ(揚げいも)を食べる。




初夏、真夏でも、夜は暖炉を入れる。




こちらは部屋ではなく、図書室。

ゆっくり21時半ごろまでかけて暗くなっていく。

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ブルージュの時間は運河を循環するだけ




ブルージュにも春が...

ホテルの運河側で日向ぼっこをしながらコーヒーを飲んでいたら、わたしがなにかいいものを持っていると思ったのだろう、2頭の大きな白鳥が寄ってきた...




相当人慣れしているようで、30センチ先まで近づいてくる。
首の筋肉が恐ろしく強く、一撃されるそうですよ...

あ、鴨たちも来た...写真には写っていないがオオバンも!


カモ、で思い出したが、イングランドのわが家の屋根?に、サギが住んでいるようだ。
鷺。カモだからって詐欺じゃないよ。

朝な夕なに屋根からグライダーのように舞い降りてきて、水辺に作り物のように佇むんですよ...
怖がらせないように気をつけようと思っているのだが、どうしたらいいのだろう?




この美しくも力強い首。

マシュー・ボーンが、その『白鳥の湖』で、白鳥を男性にしたのも理解できる。




いや、やはりオデット!!




わたしは鳥が好きで(恐竜が好きだからかしら)見ているだけで飽きない。
あっというまに時間が経ち、ランチタイムに...

ブルージュは中世の街並みをそのまま凍結させたような『屋根のない美術館』と言われている。
なんせそのころから通りはひとつも変わっていないのだ。

ブルージュでは時間は運河をぐるぐる循環し、巡る季節となってのみ、現れるような気がする。
季節の循環だけがあり、時間はまっすぐ未来に向かって進んでいない。

ブルージュ時間、というものがきっとある。




鳥は季節を知り、また花も季節を知る。

ブルージュは百花繚乱。
こちらは毎年、桜!! と思ってしまう...ええ、これも毎年。

ソメイヨシノではない。アーモンドだと言う人が多い。同じ系列ですね。




ホテルのマスコット、芝君。かわいいいいいいい 仲良くなりたーい!

彼のことも、かまっているだけであっという間に時間が経ってしまうんですよね...

白鳥よりも人見知りで、「わたしも日本から来たんだよ」と毎度話しかけても近寄っても来てくれない。庭で鉢合わせると必ず遠吠えされる。
夫のことは興味深そうにするくせに(笑)。

わたし、結構、犬族には人気がある方なんですけど...(声が低いからか? ちがう? 笑)
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ブルージュ ほぼ定点観測




先週のパリには春が来ていた。

今日は春は大陸で定着しているのか確認に来た。




ブルージュにも蒼い春が来ていた。

今週末からは夏時間になる...夏時間にするために1時間時計の針を進めるのはまだまだ早いんじゃない?! 春眠とか、そういうの、あなたたちにはないのか? と思うが。




夕焼けも春色!!
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ornemanisteの宇宙へ




建築の装飾に使われる、例えばロゼッタ(天井のシャンデリアなどの基礎を装飾)やモールディング(廻縁(まわりぶち)は天井と壁の境目の装飾)を製作する職人・アーティストを、日本語では繰形師(<たぶん。どなたか教えてください!)、フランス語でornemaniste、フラマン語でornemanist、英語ではなんというのかな...「オーナメンティスト」だろう、きっと。

伝統技術を用い、木、石、石膏などを彫刻・成形、壁や天井を華やかに装飾するのだ。




ブルージュにはこういった伝統的な仕事をする職人さんのアトリエが残っており、建築の装飾好きをうっとりさせる宇宙である。

今回は夫の両親も旧知のアトリエを訪れた。
近頃、イングランドの家の玄関の壁を装飾するものを探しているのだ。




わたしはこういうデザインに見入ってしまう。惚れ惚れして飽きない。

わたしだけでなく、人間がこういった「唐草模様」を好むのは、自然界の花・葉・貝殻・雪の結晶などにも見られる「フラクタル構造」が基礎になっているからだろう。

対称性・反復・秩序、リズムを持ち、脳が心地よいと感じるパターンなのだ(読書中の本、アンチャン・チャタジー著『なぜ人はアートを楽しむように進化したのか』にもそう書いてある)。

心地よいものに囲まれて暮らしたいですな。




偶像崇拝を避けたイスラム美術では、こういった装飾は「神の無限性や宇宙の秩序」であり、古代ギリシャでは、自然の形の理想化、数学的・宇宙的秩序であったといえよう。

日本の寺院でも、仏像は「仏の神聖な光」「極楽浄土の美しさ」「宇宙の秩序(曼荼羅)」を象徴する要素(宝相華など)に囲まれている。

常に目に入る壁に、こういう装飾を置いたら、悟れるかしら...




娘を幼稚園児の頃から知っているマダム(一番上の写真)に、この手をプレゼントしてもらった。

ピアノの上に飾るように...
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1月は銀色の死都ブルージュ



1月最終週、ホテルの部屋にはまだクリスマスツリーが残っている...
1月いっぱいは残す主義らしい


銀色のロンドンから銀色のブルージュへ。

運河を行く小舟のような湯船につかって『死都ブルージュ』を考えた...

『死都ブルージュ』(原題:Bruges-la-Morte)は、1892年に出版されたベルギーの象徴派作家ジョルジュ・ローデンバックによる小説である。




物語の舞台は、暗く沈んだ19世紀のブルージュ。

ブルージュは13世紀から15世紀にかけて、北海とヨーロッパ内陸を結ぶ貿易拠点であり、羊毛産業と織物交易で栄え、さらに金融センターの機能を持ち、当時ヨーロッパ一豊かな都市としての黄金時代を迎えた。
その後、運河が砂で埋まったことから、ハブはアントワープに移っていく。

つまり、19世紀のブルージュは、15世紀までの栄華と、現在の観光都市としての賑わいのはざまにあり、死んだように停滞した都市だったのである。




『死都ブルージュ』の主人公Hugues Viane(ヒューズ・ヴィヴァンと記すのが慣習)は、最愛の妻の死を受け入れられず、妻の形見や肖像画の面影に囲まれて暮らしている。
街の静謐で澱んだどんづまりの雰囲気が、彼の内面の絶望を反映している。

ある日、ヒューズは亡き妻に似た女性、踊り子のジャンヌ(Jane)と出会い、彼女に妻への思慕を投影しようとするが、ジャンヌは妻とは正反対で、自由奔放、悪く言えばアバズレだった。

彼女に勝手に翻弄され、ヒューズの執着と妄想が彼を蝕み、最終的に悲劇的な結末を迎える。

失われた妻、失われた愛、失われた時、失われた内面、失われた街...死にとりつかれた男は自分自身で死を招いてしまう。




このドロドロした愛憎の物語を、20年くらい前の日本人学校ではテキストブックに使っていたというのだから、天晴れである。




1月はクリスマスと正月で浮かれに浮かれたブルージュが深閑とする季節だ。

銀色の空と、たちのぼる霧、氷のように冷たい石畳...
小説の主人公でなくとも失われてしまったなにかを求めて外に向かうのではなく、内面に深く沈んでしまう。

再生の春はもうすぐそこまで来ているんですがね...そうは思えないのね...

今夜はホテルの部屋の暖炉で暖まろう...
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