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恵みの春雨が降る




ずっと初夏のような気候が続き、昨日やっと雨が降った。
今日も快晴になりそうだ。


朝の散歩。











ややっ!











角度を変えて...











うわ、いっぱいいるー!!
鴨の赤ちゃん。生まれたて。むくむく。
この岸辺にはコロニーが2つある。

もうすぐおかあさん鴨の後ろをついて水面をちょろちょろ泳ぐようになるのだが、自然は厳しく、毎日一羽減り、二羽減りする。
おいおい、そんなにのんびりしてたら、おかあさんからはぐれるよ、とか、がんばれ!などとつい声をかけたくなる。
観光客はシャッターチャンスを逃さず、地元民もわざわざ自転車を降りたりして鴨の家族を眺める。皆、微笑んでいる。




街なかに人間以外の動物が住んでいるのっていいですね。












春は必ず来る。

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moleskine "style journal"




前回の最後に書いたように、不肖わたくしがいつの日かシックなファッション本を出すための成長を促すエクササイズを(冗談ですからよろしく)。

モレスキンから出ているパッションシリーズの「スタイルジャーナル」。


今までにも、旅行時に持参した服を書き留めておく習慣があった。
ごく簡単に、行き先、季節と気候、重要なイベント、服、靴などをリストアップし、帰路の乗り物の中で、無駄だったもの、持って行けばよかったもの、こういうものがあったら買い足したいと思ったもの、それら反省点をささっとメモしておくという程度だけれど。
荷物を増やさないようにしたり、旅先で後悔しないためのわたしなりのやり方である。


反省メモには例えば
「月明かりの下で行われるパーティーでは黒のドレスはもう着たくないと思った。黒髪のわたしは完全に闇に溶けてしまう」
「素足ハイヒールの効果が一番期待できるのは、やっぱりベージュ、山吹、ゴールド、ブロンズなど肌のトーンに近い色。このトーンばかり揃えた靴屋がやりたい」
「アライアのドレスに合う下着を忘れた。阿呆!これらは必ずセットと考えるべし」
「安物のカーディガンが意外に重宝した。似たものでもっと質のいいのを探すこと」
「痩せたら?!」

などと書いてある。

だから?と思われるかもしれないが、わたしには役に立つし後から読んでおもしろい。


それで、さらにシステマティックな記録を目指すために導入した「スタイルジャーナル」だったのに...
中身があまりにも細かく別れていて自由度が低く、何につけてもテキトーなわたしはもう最初から気持ちが萎えてしまった。
だってセクションだけで6つ、ページごとのコラムの細かいこと細かいこと!まあシリーズ名からして「情熱」と言うくらいですからな。
情熱は分類に宿るみたいです。

わたしにとっては、素敵なドレスを素敵な機会に着るということは、実際に着るまでの妄想部分を含めて確かに情熱であるが、ドレスを管理し分類することには情熱が見いだせない。


このパッションシリーズには、「映画」「ワイン」「旅行」他のシリーズがある。

たしかにわたしはブログを書くのも好きだし、何かを記録したり、メモすることに対しては労力をいとわない方ではある。

けれど、飲んだワインのラベルをいちいちチェックしたり、旅行記を時系列に沿って記したり、レストランの星を数え上げたり、そのようなことを記録する趣味はない。
いいワインを飲みながら考えたことについてとか、旅とは何かとか、そういう副次的なことを記録するのが好きなのだ。

簡単に言うと、「知識」を記録することには興味がなく、「経験」を記録することが好き


わたしにはごく普通のモレスキンで十分です。
水彩画用のやつとか最高ですね。


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la grande ines




イネス・ザ・グレート。


イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュは、80年代を風靡したファッションモデルである。

当時、ファッション・アイコンとしての彼女の持ち上げられ方はすさまじかった。

貴族階級出身であることが大きなプラスとなり、そのライフスタイルはあちこちの雑誌で取り上げられ、シャネルのカールに口出したり、自分のブランドを立ち上げたり、とにかく「パリジェンヌここにあり」という感じだったのだ。

わたしは彼女の濃さが好みではなく(同世代で言えば断然キャロル・ブケの容姿が好きだ)、80年代シャネルのくどい着こなしも極東の高校生には役立ちそうになかったので(わたしは母のシャネルのワンピースのベルトを抜いてローウエストにして着たりする高校生ではあった)、なぜそんなに人気があるのか解せなかったものだ。


...



彼女が本を出版した。と耳に入ったのはTVがなんとなくついていたからである。
"Parisian Chic - a style guide by Ines de la Fressange"

長身に黒い短髪。
白いタンクトップにネイビーのブレザーの袖をまくり上げ、クロップドのホワイトジーンズに黒のバレエシューズ。
一粒のダイヤモンドのネックレス、細いブレスレット。
化粧気、ほとんどなし。
50代。
普遍的パリのシック。「いき」の構造。
九鬼先生が語る「縦縞(たてじま)」を体現したようなイネス。「垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」(九鬼周造「「いき」の構造」)。
例えば君島十和子さんら、あの系統の徹底的に作り込んだ感じとは180度違う雰囲気。


80年代と全く変わらぬ姿の彼女は婉然と微笑みながら、世界中のおしゃれな女どもが知りたがっている「パリジャンのシックDNA(<曰く、後天的なのだそう)」の秘密をあかした本の宣伝をしていた。


わたしは偉大なるイネスに何個突っ込めるか数えながら本屋に走った。


...



パリジャン(パリジェンヌ)のシックは

紺ブレ
トレンチコート
タンクトップ
紺色のVネックセーター
ジーンズ
革ジャン
リトルブラックドレス

の7つのエレメントでできていると80年代にも何度も何度も聞かされた。全く同じことがこの本にも記述されている。

プラス、
優れたアクセサリー
キーとなるハンドバッグ
コンバースのスニーカー
バレエシューズ
ボーダーのTシャツ
などなど。


本文中に挿入されている映画のワンシーンのような写真を検討するまでもなく、わたしはこれらの服装をまとめあげたらスーパーシックで、かっこよく、かつセクシーで、普遍的に美しい、ということを喜んで認めよう。

が、現実を見よう。皆が皆こういう格好をしてかっこいいわけではない。


例えば身長が180センチ近くあり、手足がシャンゼリゼ通りのように長いモデル体型ならばこういう普通の服装で十分に美しい。と言うか、何を着てもカッコいいわけでしょ?
また、モデル体型でなくとも、ある種の骨格や雰囲気を持っていれば、こういう服装はアレンジ次第で十分に美しく見える。

難しいのは身長が180センチもなく、またパリジャンの骨格や髪や肌の色を持っていず、雰囲気のかけらもない女はどうやってシックに装えばいいのか、という問題に答えることではないのか。
イネスは、シックは一種類ではない、自分を知ることだと言い逃れするだろうか。
でも、ドラえもんやオバQのような体型だからこそ、上記のエレメントのような「これさえ揃えたら必ずシック」というフォーミュラが切実に必要なんだよ。あなたにわかるだろうか、イネスよ。

イネスよ、九鬼先生も言っている。「しかし横縞そのものが縦縞より「いき」であるのではない。全身の基体においてすでに「いき」の特徴をもった人間が、横縞に背景を提供するときに初めて、横縞が特に「いき」となるのである」。

つまり、ボーイズのたっぷりしたチノパンのウエストをベルトで無造作にしばり、素足にローファーを合わせてなおかつシックであか抜けて見えるのは、チノパンローファーがシックだからではない。全体が(すでに体型がよかったりして)「シック」な特徴を持っているから、チノパンローファーが背景を提供する時に始めてチノパンローファーがシックになるのだ...

だからパリジャンのシックとは、この本の90パーセントの構成が述べるように、何を、どの店で揃えて、どう着るか、ということではない。わたしに言わせれば、フランス語のシステムとか(すなわちそれを話す人間の思考システムである)、パリの街の隅々と全体の雰囲気とか、「洋服」が似合う生まれつきの体型とか、おしゃれでリッチで教養ある両親がいるとか、文化資本的なそういうことなのだ!



今までスタイル抜群なモデルを前提としたスタイルブックというのは多く書かれた。
でも残念なことに、体型のバランスがいまひとつで、ジーンズにコンバースや、チノパンにローファーで歩いたら子どもと間違えられたり、体型の欠点が強調されてしまったり、貧相に見えてしまうような体型の女は、シックになるためにはどういう服装をすればいいのかという本が書かれたことがないというのは実に不思議だ。
君島十和子さん系のファッション/スタイルはこの、体型いまいち女への、解答のひとつである、という点でもっと評価されてもいいのかもしれない。


イネスの本はシックとは何か、あか抜けるとはどういうことかを考える参考にはなる。トピックの中にはわたしも激しく同意する項目もある(例えばドレスにショールを合わせるのは超ダサイとか)。
だけど、絵に描いた餅でしかない。
絵に描いた餅は手が届かないだけに余計うらやましい。

足をとられないように読み進んでも、パリのど真ん中に750平米のアパートを持ちながら「パリの家は狭いのよ」とか、化粧のやり過ぎをいさめながら「スーパーモデルでさえ素顔の方が美しい」(いや、スーパーモデル「だから」素顔の方が美しいのでしょうが)とか、あなたに言われたないわ、と微笑を禁じ得ない本なのである。



イネスに会う機会があったら、寝間着にしてくったりさせた結城紬を粋に着て(<わたしはこれはイネスより似合う自信がある・笑)、という妄想しかできないわたしは本当に想像力が貧困なのである。オバケのQ太郎があの貫頭衣で勝負するしかないのと似ている。だからこそフォーミュラ本が欲しいのである、ともう一度繰り返しておこう。


体型の欠点は目を覆うようであり、しかしセンスは超一流、という人が書いたシックなファッション本があれば読んでみたい。
わたしに超一流の自由なセンスが身に付いたら出版する所存ですのでお楽しみに(笑)。






この話はイネスのパリジャン・シックを考え直すに続きます。
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この春は











今年の春はどちらで桜をご覧になりましたか



















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インフラは誰のもの




ベルギーでは太陽光発電方式の人気上昇に伴った電気料金値上げが問題になっている。


ベルギーではソーラーパネル取り付けに補助金が出る。
昨今、ソーラーパネル取り付け需要があまりにも高まったため、電気配給会社は電気料金を値上げして補助金をまかなわなければならなくなったと発表した。
4月から一家庭につき月平均6ユーロ、年間72ユーロの値上げ。


そこで一般市民や、消費者団体の怒りが爆発した。

曰く「ソーラーパネルを取りつける金銭的余裕がない家庭に負担を強いるのか」
「ソーラーパネルを取りつけたくても十分スペースがなく、あきらめなければならないケースもあるのに」
「借家暮らしを考慮しているのか」
「自分とこ、儲かってるくせに!」等々。

みなさんほとんど自分の懐が痛むということだけをとらえて頭に血を上らせている。


緑の党は、電力配給会社の無策を一般市民が被らなければならないのはおかしいとし、配給会社の利益をこそ補助金に回すべきこと、また彼らの計算では、値上げをするにしても、配給会社の提示額の4割程度の値上げで補助金捻出は可能なこと、などを指摘している。
あるいは発電会社の株を処理するべき、とも(株の配当に当てるための値上げでもあるため)。


自分の財布の損得だけを言いたてるのではなく、子どもや孫の時代その先までを長い目で見たら、太陽光発電を取り入れられる人から取り入ていくのは理にかなっていると思う。わたしも個人的にはソーラーパネル取り付け補助金システムには賛成だ。日本で原発事故が起ったこともあり、今後も需要はさらに増えるだろう。

だが、人間が最低限の生活を送るのに必要な社会事業的インフラストラクチャーで金儲けをしてウハウハな一握りがいるとしたら?

電気、水、ガスなどのインフラ(さらには学校や病院も)は利潤追求の対象になってはいけない。
インフラは空や海のように(空も海も政治的には誰かのものだけどさ)誰かのものではない。社会に暮らすみんなのものである。


今回の事故で、日本人はみな身に染みて感じているのではないかと思う。


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