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旅の支度




先週、夫の出張に伴ってちょっと米国へ行ってこようか、と思っていた。


決めかねていると、航空券が思うように取れなかったり、友だちがブルージュに遊びに来ると言ってきたり。
とうとう、行っても3泊とは面倒くさい(何が面倒って、留守番をする娘と犬の支度です)と腰が引け始め....結局行かない理由を探していたようである。

ワタクシの場合「決めかねている」という時間がある時点で、未来に行動が伴うかどうかは怪しい。


....


今週は春らしい陽気に恵まれ世界が輝いて見えるせいか、テラスでお茶を飲んでいると、ブルージュという装置をマイナスしても、まるで旅先にいるような気分になる。
そうだ夏の旅の計画を立てよう。


夫のスケジュールを鑑みて、8月にタヒチかフィジーあたりに行くことに即決。彼は休暇前のこの頃、オーストラリア出張中なので都合がいい。

わたしにとって旅先で一番大切なのは宿泊施設。つまり、行き先は最も泊まりたい宿泊施設のあるところになる。
ホテルも観光局のHPには真砂の数ほど載っているのでかえって探しにくく、最初にAman のHotel BoraBoraに連絡してみたら、これがすんなり取れた。


航空券はこれから手配するのだが、LA経由か東京経由が便利...(もちろん東京を経由して買い物をしたい)。う~む、2度おいしい旅になる予感。


更なる楽しみは荷物の支度。今朝はnet-a-porter.comで、リゾート服を...買った。田舎に住んでいるのでこのサイトは重宝している。


旅って出る前が楽しい、支度が楽しい、というのは本当なのだ。


わたしが感じる日常の疎外感、その中にあっても、未来に起こりうるユートピアを先取り。これは異化、というのだったっけか。


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シャネルのバッグ




シャネルの新作「希少なアリゲーター製のバッグ」日本円で1千万円以上なり。


わたしはブランドも大好きだし、美しいものや希少なものも大好きだ。
シャネルも好き。コレクションを見に行くほど。

でも、この感覚は理解できない。


たかが”かばん”の値段が1千万円だから理解できないのではなく、希少なアリゲーター(値段からしてかなり希少性がありそうではないか)を”かばん”にしてしまう感覚が理解できないのだ。

これはもう”感覚”的にイヤだとしか言いようがない。わたしは肉も食うし、革も着るし、シルクも(残酷な方法で生産されるわね?)身に付ける...また、自動車が買えそうな値段の装飾品だって持ってる。それとどこが違う?と言われたらそれまでである。

それでもあえて言おう。希少な動物をかばんにしてしまうファッションはどこか卑しい。
日本のシャネラーなどと呼ばれる女の品性も、これに比較するとかわいらしいものである。


このかばんを財力やファッション・センスを誇示する記号にするため”だけ”に購入する人は、「有閑階級の理論」を書いたヴェブレンの顕示的消費をする人なのだ。で、おそらく「手っ取り早い」顕示が必要な(=つまり成金)有閑階級がこういう類いのものを欲しがるのではないか...

(顕示的消費:権威や財力をみせびらかすためにだけ、できるだけ意味のない高価なものを消費し、それが有閑階級の文化を形成『し続ける』こと)


とは言え、最近は旧家の方だから趣味がおよろしいとは限らないのだが。


毛皮を作るな/着るなとか、くじらを食べるなとかのアジテーションはよく世論をにぎわせるのに、気の毒な希少なワニさんだ。せめてその死がどこかで取り上げられなければうかばれまい。

革のなめし手が自然死体を使うのか、学問に価値利用された後を引き取るのか、はたまた仕留めた獲物としてのアリゲーターを屠殺して使うのか、ワタクシは寡聞にして知らないが、でもやっぱりこんなかばんを作ってしまうメゾンはちょっと考え直した方がええんとちゃうか。
でもヴェブレン調でいくと、これもシャネルだからできるのだ...


今日の格言:俗悪とは手っ取り早い顕示のことである(by Moet)(笑)



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ある場所




10数年ぶりくらいに、ある種の場所へ行った。


この特定の場所に来るのは初めてでも、同種の場所には何度も何度も来ていたわけで...
年月が過ぎても、わたしがトシをとっても、そこはまったく同じ質の場所だった(場所場所、って繰り返しが耳障りやな)。

居心地の良さと悪さが混在し、自分の性格がそのまま反映されて場を形成するような空間。



....



さて。
お客人とともに日曜日のブルージュ散歩。
ベギンホフの水仙が見頃。神様の道(雲間から漏れる光の筋のこと)を写真にキャッチできた。






良い休日を!



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娘の趣味、わたしの趣味




娘は祖父母から毎週お小遣い(2ユーロ50セント)をもらっている他、ご褒美や記念日やなんやらで貯め込んでいて、7歳児にしては小金持ちである。父親は当然のように彼女からのおねだりを承知するので、おもちゃのために貯金をはたくこともないし。


今の子どもにとっては特別でもない環境なのだろう。その分、嗜好品やおもちゃに関して、わたしは渋い(笑)。だって何でも望むものが即手に入るなんて、つまらないじゃないか。


近頃は彼女、自分のお小遣いからインテリア雑貨を買うようになった。
なぜかと言うに、わたしと好みが微妙に違うことを感じ取ってるからだと思われる。



アレッシの雑貨が気に入っているらしく、
写真右のこんなものとか(クッキー・ジャー。ふたの部分にヴァニラの香り付き)、

左のこんなものとか(爪楊枝入れ)。

アレッシがかわいいことはわたしも認める。しかし、わたしの趣味からはちょっとズレている...
ま、このアレッシ独特のうさぎなんかが1つ、2つキッチンにあるのはシャレでいいとしても、このまま増え続けるとしたら、ちょっと脅威(笑)。

彼女も知能犯で、ピンクなどを選ぶとわたしに喜んでもらえないと熟知しているため、キッチンの差し色である青系や、ニュートラルな白系、わたしが好きな茶系などを選んでくる。


今後、彼女の成長と共にさまざまな趣味バトルが予感される(笑)。


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grace




新刊雑誌。

その名の通り、ミューズはグレース・ケリー。分かりやすい。


グレース・ケリーは綺麗な女だとは思うが、綺麗だということ以外、それほど強い魅力があるとは思えないので、その辺りは気にしないことにして読み進む。
雑誌自体は創刊号だからかかなり力が入っていて、近頃、雑誌は何を読んでもしょうもないと感じていたわたしにとっては、なかなか読み手があった。


....



でもやっぱり読むにつれて「しょうもない」感が湧いてくる。理由は簡単、結局雑誌はモノを宣伝して売ることに主眼があり、いくらそれを美々しいオブラートで幾重にもくるんで「優雅」を指南されても、所詮行き着くところは「がんばった自分にダイヤモンド」「成功の証に時計」レベルなのだ。しょうもない達成感やな~。

もちろん成功して報酬を得たならば、それを享受していいわけだ。人生は楽しむべきだ。お金で入手できる美があるならば入手すべきだ。
けどね...


こういう雑誌のイヤなところは、どのような商品を選択するかによって消費者のアイデンティティが基礎づけられる、という物欲の資本主義イデオロギーはそのままなのに、めちゃくちゃ格好つけて、モノ一つづつに「生き方の哲学」をひっつけてくるところ。
その点、あれが欲しいこれが欲しい型でチラシのような紙面を貫くJJのような雑誌の方が素直なのか。

もちろん高級品を売るためにはできるだけ厚みがある「ような」ストーリーをまとわせて「なんだかよくわからないけど、わからないがゆえにすばらしい価値」を付加するのは雑誌売りの基本なのだけれども。


いや、もしかしたら最初に「生き方の哲学」ありきで、編集者も「女性の役に立ちたい、女性を啓蒙したい」という思いでいっぱいなのかもしれない。でもファッション雑誌の悲しい性、モノを掲載しないと始まらない、という...



ああやっぱりねえ、と言われるのを覚悟で言うが(笑)、わたしにとっては巻末あたりに特集されていた塩野七生が断然graceful。なお、わたしは彼女のファンでは全くない。
彼女のどこが「優雅」か。孤高であるところ(もしかしたら彼女も最近では大御所になって、出版社や業界の後ろ盾があるのかもしれないが)。
優雅であるとは、崖っぷちを歩いていながら、絨毯の上を歩いているようであること...だと思う。








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