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ベリーニ、immortale




いつだったか、自分のテーマを決めた。
テーマというと大げさだが、他に言いようがないので仕方がない。言うほどぜんぜん大した話ではない。

「人間は何を美しいと思うかを知りたい」だ。

わたしには、このことに対する強烈な欲望がある。

旅行大好きなのも、バレエや、クラシック音楽大好きなのも、美術館で芸術、博物館で世界の不思議、読書、神話、祭礼、建築物、花や宝石など大好きなのも、「人間は何を美しいと思うか」「世界をどのように解釈し、表現するか」との遭遇があるからだ。


「美」には古今東西さまざまな定義があり、ひとくちにいうのは難しい。

先日もBBCで大学教授らが「美とはなにか」について雑談をしており、それもとりとめのないものだった。
昨夜は辻井伸行さんのリサイタルに初めて行った。


日本の「もののあはれ」には、必滅の人間が永遠へのあこがれを込める究極的な美意識が宿っていると思う。

西欧思想の母体である古代ギリシャでは真・善、道徳的に正しく立派なことであり、あるいはプラトンはこの世はイデア界の劣化コピーでしかないと言い、ヘーゲルは芸術美は精神から生まれるゆえに自然美よりも美しいと言った。

人間が心地よいと感じる旋律、形(黄金比)、数学の公式、詩句、自然界、生命力にあふれたもの、人間を超越したものへの憧れ、など、このリストは永遠に続く。

過酷な太陽にさらされる地域では夜をたたえる詩を作り、冬が死の訪れのようになる地域では春先に花が咲く様子を女神にたとえ、禁欲の白と黒の美もあれば、7色の虹のような美もあり、左右対称の美もあれば、不調和の美もある。


昨日も引用した『芸術家列伝』を書いたヴァザーリは第3章の序章にこう書いている。

「美術の技法(デザイン)とは、彫刻も絵画もそうであるが、自然界の最も美しい形の模倣である。その質は、目にするすべてのものを正確さと精密さで転写できる技術にかかってており(中略)最も美しい様式とは、最も美しいものの模写によって完成される。最も美しい手、頭、身体、脚を組み合わせ、最も美しい質、可能な限りの完璧を作ることよって完成されるのである」(訳はモエ。Oxford World's Classics The Lives of the Artists

自然界のものが美しいのは、万能の神が創造したからである。

ルネサンスの頃にはこういう考え方が一般的(少なくとも芸術家の間では)だったと思っていいだろう。


チマブーエが予告し、ジョットが歩み始めた、より自然に忠実で「リアル」な芸術手法がノッってきた! とわたしが個人的に感じるのは、断然ある時期以降(1475以降)のジョバンニ・ベリーニからである。




ベリーニの「リアル」と言っても、例えばビザンチン美術のイコン(偶像崇拝を避けるためにわざと写実を避け、没個性に描かれた)よりも、空間性があり、人体理解があり、感情表現があるという意味のリアルであり、完璧に理想的な「リアル」さ、である。

これほど完璧に美しい人間はいませんもんね...
ありえるように、あってほしいように描かれた「リアル」。

芸術家が自然を模倣する行為は、神による被造物を忠実に写し取る行為として肯定的されたのだ。


ヴェネツィア旅行の楽しみのひとつはベリーニの絵画を追うことである。

今回の旅行でも、王道アカデミア美術館は当然のこと、いくつもの島に散らばる作品をしつこく見て回った(つきあってくれるばかりか、地図読み名人の夫には感謝している)。


ベリーニの描いた聖母子の静的な姿を見ていると、この女性と赤ん坊は、ベリーニが、いや当時の人々が、最も美しいと思う姿形を備えているに違いないと思う。

ベリーニの描く聖母は清らかで美しい(モデルがいたとしたらきっと一人。あるいはヴァザーリが書いたように、美しい形状を持つ女、複数人の寄せ集め像)。

しかしなんといっても幼いキリストがどれもこれもほんとうにかわいらしい。赤ん坊を描かせたら、西のベリーニか東の岩館真理子かというくらいだ。

写真上はMadonna of Red Angels (c. 1485) - Oil on panel, 77 x 60 cm, Gallerie dell'Accademia, Venice。
ベリーニの描く赤ん坊キリストはどれもこれも最高に愛らしく美しく見飽きないが、これは特別だと思う。ハートを鷲掴みにされる。
赤ん坊が空間をこうやって好奇心の瞳で見上げるの、誰でも見たことがあるだろう。もし赤ん坊が頭上に赤いプッティを見たなら、きっとこういう表情をするだろう。
非常口の緑のサインが反射しているのは許して...


あるいはこの聖セバスティアンの微笑みの深さ(San Giobbe Altarpiece (c. 1487) - Oil on panel, 471 x 258 cm, Gallerie dell'Accademia, Venice)。
不完全な人間性に対する許しとあきらめと慈悲と優しさよ。弥勒菩薩の微笑み。悲しくなるほど美しい。
身体が麻痺してこの絵の前から動けなくなる。


今日はロンドンでナショナル・ギャラリーに立ち寄って、ベリーニの傑作のひとつ《ドージェ、レオナルド・ロレダンの肖像》を見てこようかな...
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ジョットの礼拝堂、パドヴァ。




ヴェネツィアの島側にあるサンタ・ルチア駅からゴージャスな特急列車(ファーストクラス、飛行機のそれのようだった)でわずか15分先、パドヴァを訪れた。

パドヴァと聞いて一番に思いつくのは何だろうか。

13世紀初頭に創設されたパドヴァ大学か。
のちにヴェネツィアでベリーニ家の娘と結婚して活躍したマンテーニャの出身地としてか。

この地で死んだペトラルカ(何年か前に遺骨のDNA鑑定がされていましたね)。
シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』。

あるいは建築家パッラーディオ(今回は彼の建築が24も見られるヴィツェンツアにも滞在した)の。
奔放な坊さんフィリッポ・リッピも、ルネサンスの重要な彫刻家ドナテッロもここに滞在したらしい。

特に美術史を勉強したわけでなくても、世界史を選択した人にとっては、ああ!というキーワードがいっぱいなのだ。


わたしの今回のパドヴァ訪問目的は、何十年か前に訪れて以来、湿気を取り除く調整室が設備され、修復作業も進んだというジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂だった。
あの紺色の夜空が美しい礼拝堂!

空調室や修復科学技術、見学体制に関する感想としては...
イタリア人、やっぱりやればできるのね...であった。友達に聞いたところによると、イタリア語にはまさにそういうことわざがあるらしい。

ちなみに冬のこの時期には予約は必要なく、待ち時間20分ほどの間に「金貸しスクロヴェーニ家の野望とジョットの才能」のようなビデオを見せてもらった。


ヴェネツィア人もだが、パドヴァ人もみなとても親切で、とても感じがよかった。きっと彼らは幸せなのだろう。


・・・・・・


ジョットの話をするならば、チマブーエから始めなければならないだろう。

「ルネサンス」という用語を初めて用いたバザーリの『芸術家列伝』は、チマブーエから始まっているからだ。

チマブーエは、13世紀フィレンツェ生まれのイタリア・ゴシックに分類される画家で、彼の作品には古代ギリシャ様式を母体にしたビザンティン様式の影響が残っている。

キリスト教世界では偶像崇拝が禁止されているため、例えばビザンティン様式で聖母子像を描いた「イコン」は偶像ではないと説明される。信者が崇拝するのは板の上のイコンそのものではなく、その板の向こう側にある聖性を崇拝しているのであると。

ゆえに、イコンの顔は、聖母子の神聖としてふさわしいイメージを機械的にコピーしているにすぎないのであり、そこに作者が個性を表現したり、写実的に描いたり、工夫を凝らすようなことは許されていなかった。
現代のわれわれがビザンチン芸術などに見いだす、一種の硬直性や定型性は、一部、そういう理由にもよっている。

チマブーエはそこから一歩踏み出した「芸術家」であると考えられているのだ。

チマブーエが生まれる数年前に没したアッシジの聖フランチェスコが、史上初めて人間性と弱さを備えた「人間的イエス像」を語り、社会全体に爆発的な人気を誇った。そういった社会の雰囲気は、絵画の世界にも大きな影響を及ぼしたのである。

チマブーエの描く人物には自然な表情が付与され、身体の描き方、空間認識など、ルネサンス絵画への第一歩が見られるようになったのだ。





それをさらに進化させたのが、チマブーエの弟子、ジョットである。

彼によって説話、奥行き、人体への関心、感情表現が西洋絵画に加わった。

スクロヴェーニ礼拝堂は、聖母マリアの生涯が入り口から入って左手上から語られ始め、キリストの生涯へとらせんに繋がっていく。

誕生したばかりのキリストをベッドの上で優しくかきいだくマリア。
裏切り者のユダを見つめるキリストの横顔にたくされたその感情の複雑さ。

人間には見えない世界への鮮やかな憧れと恐れが、過去のある日に実際このような事件が起こったに違いないと思わせる想像力と説得力によって描かれている。


人間にとって「美」とはなにか、人間はこの世界をどのように解釈し表現するか、というわたしの一番の関心ごとにヒントが与えられた。
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カ・ドーロのミラクル




ヴェネツイアでは、どなたもカ・ドーロには行かれると思うが、わたしも何十年かぶりで行ってみた。

夫が内部を見たことがないというので、建物内部はともかく、あのマンテーニャの聖セバスティアンを見なければ、と。


カ・ドーロは、大運河沿いにレースのようなファサードが黄金に輝いていたという、最も美しく、最も有名なパラッツオのひとつだ。
15世紀にヴェネツイアの大貴族、コンタリーニ家のために建てられた。

1月とあって、どこもかしこも閑散としたヴェネツィア、アカデミア美術館も、聖マルコ寺院にも行列は全くなかったが、ここもお客はわれわれとフランス人の中年の優雅な男性カップルだけだった。


入り口のチケット売り場でオヤジさんがとてもうれしそうに言った。

「セニョーリ、今日は特別ですよ。ミラクルですよ! 地上階のロッジア(運河に面して船の発着をした階層レベル。写真上。床のモザイクがまるで絨毯のよう!)を公開していますよ。ミラクルですよ!」と。


ほんとうにミラクルなのかどうかは知らない。どの頻度でこの階層が公開されているのか、それはどうでもいい。

わたしはこういうミラクル話ばかり覚えているからどこを旅しても楽しいのである。


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夢浮橋のヴェネツイア




ヴェネツイアの夕暮れ


朝が明けるのも遅いが、日が暮れるのも早い


人生とは夢の中で浮橋を渡っているようなものと言うが
ヴェネツイアではまさにそのような感じがする


人間の高貴さや、その営みの偉大さのいっぽうで
人間の可憐さや、人生の虚しさがそこここに巣食う感じ


ここでずっとずっと彷徨っていたい





ご質問いただきました

ヴェネツィア、寒かったです!
ロンドンが7度くらいあるのに比べ(中欧から来た友人が「暖かい!」と)、ヴェネツィアは晴天の割に毎日零度から3度、石畳と水辺のためか氷のように冷えました。
空気は一年で一番乾燥している時期なのではないでしょうか。口紅などを使わない人はリップバーム必須です。
風が全くなかったのはラッキーでした。

なんせ重ね着が苦手なので、少ない数で暖かいよう工夫しました。
より気温が下がった時のための予防策に、ダウン嫌いにもかかわらず、薄手のコンパクトダウンを持ち歩きましたが出番はなかったです。
帽子、カイロ、スノーブーツも使わず。

毎夜バスタブに浸かり、暑い暑いと言いながら就寝(笑)。

ホテルの外に食事などに出る場合、ドレスとハイヒールで装うのは伊達の薄着のわたしでもちょっと無理。水上タクシーに来てもらっても無理。足元が...そこはとてもさみしいところ! 着席して目立つ上半身だけはレストランの格に合うようがんばって装いました。

内陸はもう少しだけ暖かかったです。

夏と冬どちらがおすすめかとのこと、もうこれは完全にお好み。冬の静けさよりも、謝肉祭からのあの狂気を伴ったような祝祭的雰囲気が好きという方もおられるでしょう。分かります。
わたしはもう謝肉祭から夏にかけての混雑したヴェネツィアには行かないかもしれません。
毎年、この時期に必ず訪れられるよう、調整したいです。


次に...

ヴェネツィアはわたしは10回以上くらいは行っています!
これからも繰り返し何度も行くと思います!

今回も、教会に奉納されたルネサンス期の重要な芸術家の作品を今一度ひとつひとつ見て回り、人間にとって芸術とは何かを考えることと、ヴィツェンツアの街にあるパラーディオ建築24件を全部見て回るのが主な動機でした。
何十年か前にはヴェネツィアから個人のボートで川沿いと田舎のパラーディオ建築めぐりをしたことがあり、こちらはまた夏場に娘も連れて行きたいです。

他にも「ビザンチン帝国の最後の日」と「活版印刷」の臨時展覧会にも惹かれました。


ヴェネツィア、何度行ってもすてきです。
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pomp and circumstance




Pomp and Circumstance 「威風堂々」

ホテルの部屋からの眺め(上)は
威風堂々のバロック建築、ロンゲーネの傑作サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が
テーブルの上のデコレーションケーキのように近く、

一日中窓辺に座り、対岸と運河と空と聖堂の組み合わせを眺めていられるが
突然、外の広場まで走って行って実在を確かめたくなるほどの有難さ、壮麗さだ


......


1月のヴェネト州を周遊してきた
(ヴェネト州にはヴェネツイア、パドヴァ、ヴィツェンツァ、ヴェローナなど)

時間軸によって絵画を鑑賞する過程で、芸術の起源やその意味
人間にとって美とは何かなどが少しだけ理解できたような気がするという
たいへん貴重な体験をした
このことはまた後日、記したい


旅の拠点としてもっとも長く滞在したのはヴェネツィアで
彼の地は、去年11月訪問時よりもさらにゆったりとしていて(つまり観光客が少なく)
ヴェネツイア・ルネサンス芸術を中心に、繰り返し、行きつ戻りつ見学することができた


ヴェネツイアはサン・マルコ寺院のモザイク画のような街だ

島の限られた面積の上を小片を集めて覆いつくし

朝、6時に鳴る最初の鐘の頃はまだ真っ暗で
その後、舞台の幕が開いたかのようになり

街のパーツのすべてが大小濃淡鮮やかに光を反射し始める
滞在中は毎日晴天で、唯一一日大雪の予報も外れた
雪のヴェネツイアが初めて見られると楽しみではあった...


そして適当な距離をとって眺めてこその美という面も同じだ

イタリア、天才
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