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街と(ちょっと)親しくなるには




イングランドの、寒く、暗く、雨の多い5月はいつになく長く感じた。

毎年、5月、6月は最もカラッとさわやかで、緑も花も風もかぐわしい季節なのに、今年は観測史上最も雨の多い5月だったとか...

そんな5月も今日で終わり。明日からはもう6月だ。




みなさまもう聞き飽きたかもしれないが(<と、もえがいうのすら飽きたのでは?)、英国イングランドは去年12月から続く三回目のロックダウンの段階的解除途上である。

今月5月17日には、たとえば一部の海外旅行が解禁された。




海外の国々は、青黄赤の信号システムに分類され、青信号の国から帰国した場合は隔離が免除される。
来週6月7日には、また青信号リストに分類される国が増えるらしいが、今の段階で、青信号に分類されているのは世界12ヵ国。
フォークランドや、セント・ヘレナ島。ポルトガル、アイスランド、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド...
オーストラリアやニュージーランド、シンガポールには青信号がついているものの、現在は英国からの渡航者は受け入れておらず、イスラエルは政情不安定である。

というわけで英国から観光客の熱い視線が注がれているのがポルトガルだ。

今日の写真はすべてリスボンとポルトからです。




先日、ある仲間たちと週末旅行を予定している娘が、「ポルトガルに3泊4日で行くなら、リスボンかポルトかどちらをすすめるか」意見を求めてきた。




わたしも夫も熱かった。

ポルトガルはまず食べ物が非常においしく、しかも比較的安価。若者が好むようなナイトライフも充実している。
アズレージョなどの目につきやすい独特の美や、かつて大航海時代を切り開いたの背景、栄華をしのぶ歴史的建築物。
プールサイドでくつろぐのもよし、トラムを乗りついであちこち見て回るのも、街歩きするのもよし。鉄道で移動するのもおもしろい。
オーバーツーリズム(観光公害)についても考えさせられる。

両方ともおすすめ! と。




わたしたちは即答したのだが、娘が質問してきたのには理由があった。

仲間のひとりが「リスボンもポルトもすることがない」とおっしゃったそうな。


わたしの知り合いにも「パリは意外と見るところがない」という人もいる。
個人的には、もしもパリに見るところがないのなら、世界のどこにも見るべきものはないだろうと思う。まさか大自然を求めてパリに行くわけでもないのだろうから。




たぶん、どんな国のどんな街を訪れるにしても、多少の素養がないと面白くもなんともないのであろう。

欧州の街を歩く場合は、最低でも世界史とキリスト教の大枠くらいは理解していないと味わえる部分は少ない。
エッフェル塔に登って、モナリザを見て、観光地を点から点へ移動するだけならば、そりゃ1日もあれば全部見て回れるだろう...

20歳そこらの彼らが、リスボンやパリを訪れてそう言うのも、経験の少なさゆえ仕方がないことなのかなとは思う。




街はそこにそれとしてある。
そこから何を引き出すかは訪れる人それぞれ次第である。
街がその胸襟を開いて、くめども尽きぬ興味やロマンを供給してくれる度合いは、訪れる人の知識や好奇心に正比例する。
しかも知れば知るほど、何も知らないとしみじみ理解できるほどに、だ。

わたしみたいな単なる無為徒食・無芸大食がパリを訪ねて喜ぶのを100とすれば、鹿島茂先生(<大ファン)のようなフランス文学の大家、博覧強記がパリを訪れるのでは、見て聞いて分かること、気がつくことは何百、何千倍だろうな、と思う。

わたしは、美術品の鑑賞も、交響曲やオペラの鑑賞も、同じだと思っている。感性だけで味わうには限界がある。


夏休みは上手くいけば、インドネシア旅行をするつもりで、『狂気の時代』とか『想像の共同体』くらいは再読しようと思う。


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the door into summer




「主人公ダンの愛猫ピートは、冬になると家中の扉を開けてくれとせがむ。ピートは、扉のどれかが明るく楽しい夏へ通じていると信じて疑わず、「夏への扉」を探しつづけ、決して諦めないのだ。」

(ウィキペディア『夏への扉』より)
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トパーズ色




ハンプシャーの金色の色紙か、黄玉宮殿か。

遠くで光り輝いていた。

トパーズの「語源ははっきりしておらず、ギリシャ語で『探し求める』を意味する『topazos』(トパゾス)からという文献もあ」るそう。なんと美しい。(ウィキペディアより)
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回遊する



今日の内容に合わせた写真が選べず、困った。
ロンドンのナショナル・ギャラリーのセインズベリー・ウィングは改修のためまもなく一時休館となる予定。
収蔵品はまた世界の展覧会を「回遊」するのかしら...
セインズベリー・ウィングの最も好きな絵から2枚ほど。



去年の3月下旬、イングランドで一回目のロックダウンが始まったとき、まさか1年と2ヶ月後の今でも新型コロナ禍が終息していないとは思わなかった。

わたしは悲観的な口だったが、年明けには、と思っていた。

去年の春は特に気候がよく、もう二度と長期で一緒に暮らす機会もないのかと思っていた娘(英国では、一般的に大学進学とともに子供は家を出る習慣)が帰宅し、ほんわか幸せな家庭的気分もあった。


最初は三度の飯よりも好きなバレエやクラシック音楽のネット配信を熱心に見たりしたが、次第にどうでもよくなってしまった。やはり生でなくては。

できるだけおいしいものを食べ、ピエール・エルメのレシピでお菓子を作った(<かなりハマって体重増加。今年は止めて体重調整)。
下手くそなバッハやショパンを練習し、読書した。
昨日も書いたオンラインの学習コースを取った。

近所をハイキング、ネットショッピング。
薔薇が咲くのを心から楽しみにしたり...

テレビでドラマや映画は一時期スカンジナビアの刑事ものなどを見たが、定期的に飽きてしまう。
部屋の模様替え、ペンキを塗り替え、実物を見ないで大物の家具を買うなどのチャレンジもした。





とはいえ、もともと出好き旅行好きなタチで、外との世界の接触がネットだけになったのには多少不安を感じた。
回遊していないと死んでしまう海の生きものなのだ、わたしは。

自分がいる場所とは全く異なった時間と空間ではどのようなものが「美」と考えられているか、を見たり聞いたり感じたりすることが何よりも好きだ。自分がよく知っていると思っている社会の中で、旅先で、劇場で、美術館で。


自分にとって大切なもの、なくてはならないものは何かなどを確認するよいきっかけではあった...
と、きれいにまとめたいところだが、実は全然違う。

自分の卑小さを思い知らされたのであった。
細々と参加してきた社会活動すらも中止され、自分が無駄飯食いであることや、役に立たなさが重くのしかかってきた。

今後は、もっと社会活動に参加したいと思っている。もう十分社会から受け取ったので、今後は返していく番。
「自分は無駄飯食いで役に立っていないのではないか」と、人には思わせないようにしたいのです。
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美術品鑑定の世界をちらっとのぞき見れば




イングランドでは一年二ヶ月前にロックダウンが始まった。

こんなに長丁場になるとは想像もできなかったが、後で振り返って家にいたのに何もしなかったと後悔するのも嫌なので、ネットで配信されている教育機関の美術史のコースを取って勉強したつもりに。

幸い、夫も好きな分野なので、二人で試聴すれば費用的にも半額(笑)!


コースの中には一般的すぎて、途中で寝てしまいそうになるコースもなきにしもあらずだった。
せっかくの講義なのだから、本で独学で得られる程度の知識からは一歩出たい。

一方、ものすごく興味深いコースもあった。
今週終了した、某オークションカンパニーの講師による「美術鑑定」の触りのコースはたいへんおもしろかった。
深入りする時間はないため、鑑定はどういうところを見るかというところを教えてくれ、テクニカル寄りでありながら、美術の蘊蓄を楽しむ部分は残したレクチャー、最高だった。

教養的美術史と、プロのコースの間にある、巨大な逕庭に位置するという感じ。

もの好きなシロウトが、プロの集まる部屋の、分厚い緞帳の間からのぞき見した世界...

問い合わせたら、次の段階はオークションカンパニーの提供している学位が取れるコースなどに該当するという。

時間もあるし、取ってもいいのだが、論文を書いたり、討論に出たりするのはハードルが高い。
高すぎる。わたしは怠け者なのだ。夏のプールサイドで寝転んで勉強し、美しいシフォンのドレスに着替えて美術館や教会をぶらぶらするくらいがちょうどいい。リタイヤした元美術史の先生がガイドをしてくれたら最高。

今一番受けたい授業は、ルネサンス期フィレンツェのネオ・プラトニズム。どこかで開講されていないだろうか。


(上写真は先日たまたま通りがかったロンドンの某オークションカンパニー。イングランドの初夏の天気、なかなか改善しません)
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