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けしごむ save the day 1




左上から時計回りにお読み下さい





娘が無聊の慰めにすること...創作ダンスをする、読書する、お話を作る、絵を描く。

しょっちゅうこういうマンガ(?)を作成して見せてくれるのだが、
もちろん親が唯一の読者である。
今回、寝ている定規があまりに(わたしの)ツボなのでここに載せてみた。

彼女は英語会話は堪能にもかかわらず、書きは習ったことがないためか、表記するとこうなる。
deて...これやったらオランダ語やん(笑)。



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ハルマゲドン




先日、記事を書いていて芋づる式に出て来た「ハルマゲドン」。

21世紀を迎える直前には終末論が気になる人々の会話によく登場したものだ。



「ハルマゲドン」は今もイスラエルに実在する地名である。

初めてその側を乗り合いバスで通った時、古い物語の中に入り込んでしまったような気がした。
史実としての「関ヶ原合戦跡」とか「ウォータールー」と案内が書かれている土地を見るのとはわけが違うと思ったのだ。

「Har-Megiddo」と書かれた交通表示があるだけで他には何もないラクダ色の広野。
最終戦争の予定地。終わりであり、かつ始まり。
(広野であるからして、布陣を組みやすそうな場所ではあるが、相手がお互い丸見えで、それは兵法的に有効なのだろうか?最終戦争だから正面衝突というわけか?)

ピラミッドや喜望峰を見た時とも比較にならないほどの「ショック」だった。古代の大建造物や大陸の最南端などという実在するものではなく、言葉によって織りあげられた「物語」に動揺させられているという、そのことについてくよくよと考え続けた。

いつか起こる「と言われている」善と悪の最終戦争。
救済も希望も未だなく、破滅も絶望も未だない。
まるで生きることそのもののよう。



湾岸戦争が始まる前、シャバット開けの夕暮れだった。



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あなたしか見えない




わたしは特定の場所で写真撮影をすることを自分に禁じている(勇気がないのだ)。

例えばレストランや、お店の中など。


シックなレストランで一皿出てくるごとに大撮影会になっているのを見かけることがあるが、「撮影してもいいですか?」と了解を得るのがマナーになっているようで、そういうみなさんを白眼視することはない。
そういうことではなくて...

わたしが撮影をしないのは、カメラのファインダーごしにのぞいていると「あなたしか見えない」状態になるからである。
カメラを構えて不自然な姿勢で静止し、被写体しか目に入っていない「自分」を斜め上から見ると、あまりにもみっともない。それに耐えられないのだ。

パパラッチや運動会の父兄が夢中になって被写体を追いかけている姿を想像していただくといいかもしれない。
中腰、横歩き、他の人の視線を遮っても気がつかない鈍感さ、突発的な動きと突然のためらい、フラッシュの強さ、息を止めているのか半開きになった唇、時に荷物を肘から提げたままだったりして...などなど。

先日、ある国の○太子が、外国で写真撮影中のお姿をとらえた写真を見た。たとえやんごとなき方がなさっても、どうしてもステキに見えない動作なんだな~。はっきり申しまして脇の甘い間抜けに見えます。


ちょっと話が違うのだが、ふと思った。
もしかしたら芸術家といわれるほどの写真家の方々はファインダーをのぞいていても「あなたしか見えな」くないのかもしれない。
写真の芸術論理については全く知らないが、何かしらテーマのある表現をする時に、対象物しか眼中に入っていないというのは致命的なミスなのではないだろうか。もしかしたら彼らはカメラの小さな窓から見えている空間以外のものもはっきり感知しているのかもしれない。非常に自覚的に。

自覚的...これが衆に優れたものの秘密?わたしには到底分からないけど。



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天使のような男




バカな人と邪悪な人だったら、邪悪な人の方が好きだが、それとはまた別に天使のような男性が好きだ。


友人と話している時にそう言ったら、
彼は

「天使みたいな男なんかおらへんよ。
もしあなたがある男性に対して、天使みたいな男や、という印象を持ったとしたら、
その男はあなたの前で天使みたいになってるだけよ。」

と言った。

その人に惚れそうになった(笑)。


一日、幸せだった。


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classic chic




副題が「インテリア・デザインのリトル・ブラックドレス」となっていることに惹かれて手にした。

ぱらぱらとめくってみてすぐ「もしMoetにインテリアとプレゼンテーションの才能があったら、こういう本を作っていたに違いない」と思ったので購入。


...しかしおかしなことに、どのページのインテリアが一番好きか?と自問してみても、特にこれというのがないのである。
何度ページを繰っても、例えば「ブログにぜひこれを流用させてもらおう」という写真が見つからない。

でも一つ一つの写真ではなく、本全体として捉えると、たしかにわたしがすごく好きなスタイルが貫かれているように感じるのだ(たしかにこの本におもしろみはない。おもしろみならば、最近購入したインテリア本の中では「Italian Designers at Home」というのが群を抜いている)。


あ、だからこの著者は「リトル・ブラックドレス」と名付けたのか?
賢い~。







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