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ベルギーの中世の黄昏




今日はこれから中世のベルギーをご案内します...

ベルギー東部の大学街で知られるルーヴェン、ゆるい坂にある教会を過ぎると。黄昏の入り口。




2月下旬、逢魔が時。18時。




青い闇の中に溶けだしていく建物。
黒っぽい服装で道を急ぐ人。

鳥の鳴く声。
家屋の中にぼうっと灯る暖かい色の灯り。

鐘の音。
怪物のような大きい横腹を見せる教会...

「天国の救いの約束」が何よりも必要とされた『中世の秋』のころである。




ここはベルギー・ルーヴェンのべギン会。

修道院、と日本語には訳されていることもあるが、べギン会は修道院ではなく、未婚の女性や寡婦のコミュニティのことで、起源は13世紀にさかのぼる。




ルーヴェンのべギンホフはまさに「ルーヴェンの街のなかの街」だ。
ヨーロッパの街の特徴である門のある市壁に囲まれているが、もちろん出入りは自由である。

ルーヴェン・カトリック大学によって1964年から1989年の間に修復され、現在は大学の職員や学生が住み、優雅な宴会場などもある。

12の通りがあり、多くの16世紀の建物には、現在約100件の家と300のアパートメントが入っているという。




ウンベルト・エコーが創作した魅力的な人物や、ロバート・ラングドンのような宗教象徴学者が住んでいるような(いたらいいなあ)雰囲気がぷんぷんしている。

こんなところで研究できたらさぞはかどるだろう。


世界の秘密、それを知識ある人にだけこっそり明かす記号、象徴...




この3万平方メートルほどの小さな街、中世に迷い込んで出られなくならないよう気をつけて...


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マルディグラ@ルーヴェン




昨日から東ベルギーの街、ルーヴェンに来ている。

ルーヴァンには15世紀に設立されたルーヴェン・カトリック大学があり、街の平均年齢の若さに圧倒される。
娘ももし、親の仕事の都合で11歳の時に英国へ引っ越さなかったら、おそらくここで大学生になっていたであろう。


昨夜は月曜日だというのに(ベルギーは飲食店が日・月で休業することが多い)やたらと人出が多かった。
学校はクロッカス休暇中ではあるものの、大学にはあてはまらないはず。にもかかわらずカフェもレストランもどこもいっぱいで、いったいなぜだか考えたら...そりゃそうだ、謝肉祭の最終日だったのだ。

午後4時ごろから街を散策しつつ、よさそうなお店の店先や雰囲気を確認しに行ったりしたが、「満席」の張り紙をしてあるお店も少なくなく、あやうくディナー難民になるところだった。
拾う神あって...(満席の張り紙があったため、翌日は予約できるかと聞きに入ったところ、2人ならと入れてくれたのだ)とても好みのレストランで夕食を楽しめた。




というわけで今日はマルディグラ、告解の火曜日、パンケーキ・デイ...である。
今日も昼過ぎから目ぼしいカフェやティールームは学生さんたちで溢れている。

まだ春には遠いような気がする...でも春はベルギーでは突然来る。
今からルーベンのべギンホフ(べギン会修道院)の庭に何の花が咲いているか見に行ってみようかな...きっとクロッカスだろう。クロッカス休暇中だけあって。わがイングランドの片隅の庭にもクロッカスが満開だ。




ルーヴェンの市庁舎は、15世紀に建築されたブラバントのフランボワイヤン・ゴシック様式。

繊細で豪華なレースのような飾りが特徴。今でこそ「ベルギー」は地味な国かもしれないが、15世紀といえば、ヨーロッパ随一の繁栄を誇っていたブルージュが衰退し、続いてアントワープが次のヨーロッパ一の都市となりつつあったことを忘れてはならない。
それを念頭におくと、フランダースの街々のこの豪華さが伊達ではないと思えてくる。


明日は灰の水曜日。ベルギーの国境を超えたところにあるドイツのアーヘンの大聖堂に行ってみようかと思っている。

春の兆しを求めて。
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薔薇とフランボワーズ、レモン、いちご




週末、デザートバアでお客さんを迎えようと、まずは大小のイスパハンを作った。


デザート作成に熱中して、食事の用意の方がおろそかになった。
こういう日に限って魚屋の取りそろえが少なく、あてにしていた天然スズキにいたっては、今後2ヶ月は英国海域では禁漁だそう(数を増やすため)...

フランボワーズも質の良いのを求めて3件スーパーを回り、やっと発見! 新型コロナ禍、エネルギー価格高騰の影響だけでなく、政府は頑なに認めようとしないが、ブリグジット(英国のEU離脱)のせいもある。




いちごのショートケーキも。
クリームをラフに塗るのってかえって難しい...


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彫刻か、絵画か。




ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館で始まった『ドナテッロ展』Donatelloへ行ってきた。

ドナテッロ(1386-1466)は、フィレンツェ出身、ルネサンス初期の金細工師、彫刻家である。

ギベルティ工房で修行し、絵画のマザッチョ、建築のブルネッレスキとともに、彫刻分野でフィレンツェの初期ルネサンスを牽引した...
これらの名前を見ているだけで、ルネサンスの初期の鼓動が聞こえるようだ。フィレンツェでまさに今、という感じ。




ドナテッロの一番重要な作品である、ブロンズのダビデ像(それまでどんな時代のどんな地域においても創られたことのなかったルネサンス的な斬新な作品)や、うっとりするほどハンサムな聖ゲオルギウス像こそ来ていない。

が、優美な大理石のダビデ像(一番上)、少年の姿をしたヨハネ像(二枚目)、ブロンズの聖人San Rossore(三枚目)、浅浮彫・スキアッチャート(四、五枚目)の数々は、この瞬間に生まれんとするルネサンス(再生)、人間中心主義。




ブロンズの聖人San Rossore、現実の人間の内面の描写...生きているようである。




ドナテッロの浅浮彫は、ルネサンス期の「彫刻と絵画のどちらが上か」論争、つまり比較芸術論争(パラゴーネ)を思い出させた。

ドナテッロ誕生の約80年後に生まれた盛期ルネサンスの巨匠レオナルド(1452-1519)は、表面上に立体を表現し、深遠を伝える絵画が格上であることを主張。
一方のミケランジャロ(1475-1564)は、「自分は画家ではない」彫刻家である、彫刻こそ本来の芸術である、と豪語した。

浅浮彫(透視図法を駆使した錯視的表現)は、彫刻と絵画の間にあるようだなあと。




ミケランジャロは他にこうも言っている。

「絵画なるものは、彫刻に似ているほど良く、彫刻というものは、絵画に似ているほど悪い。絵画と彫刻には、月と太陽ほどの、違いがある」

「二次元で表現する絵画よりも、三次元で表現する彫刻の方が上である」と。


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愛だよ、愛。




ロンドンはメイフェアにヴァレンタインの愛の天使、降臨。


この花の翼の真ん中に立ち、自ら天使になり、自撮り...

わたしは今18歳の花も恥じらう乙女だったとしても恥ずかしくてできないだろうが、花を背負った愛の天使が世界にあふれるのはいいことだ! 
ロンドン・天使の詩。『ベルリン・天使の詩』の色彩のシーンを思い出してしまった。


あちこちで仕事帰りに赤い花を抱えた急足の男性をたくさん見かけた夕暮れだった。
彼らの背中にも薔薇色の翼が見えた。
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