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黒い山








夏休み第一弾。

東地中海貿易で栄えた海洋国家ヴェネチア共和国は、
航海の中継地点に使っていたバルカン半島沿岸のこの地域をそう呼んだ。

沿岸から実際黒い山が見えるのか、あるいは何かのメタファーなのか、
よく見てこようと思う。

みなさまもどうぞお健やかに楽しい夏を!
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小さな教会で








毎年この時期に、地域の小規模の教会やチャペルを支援するためのコンサートがある。
教会の修復費用の足しにするのはもちろん、教会所有のピアノのローンの足しになったりもする。

娘が毎年ピアノトリオやソロで参加させてもらう縁で、わたし自身も楽しみにしている学校主催のイベントのひとつだ。

一年中で最も気候のいい時期でもあり、また夏休み前のリラックスした雰囲気もあり...少女たちの奏でる清らかな楽器や歌声に豊かな気分にさせられ、ささやかな祈りも捧げた後は、教会近辺の普段は訪れることもないようなパブのテラスで一杯。遅めの夕ご飯も済ませて帰ろう。

おお、このような幸せが他にあるだろうか。

教会は神社や寺と同じように共同体に無くてはならない。
下界から切り離された精神的な世界、これなしで共同体は機能しない。人はパンのみで生きているのではないのだ。


あ、そうそう、パブもなくてはならないものですな。
最近、やっと英国のパブの良さがわかってきたの...(遅い)
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アレクサンダー・マックイーンという病




ヴィクトリア・アルバート博物館で絶賛開催中の「アレクサンダー・マックイーン:野蛮の美」(Alexsandar Mcqueen: Savage Beauty)展は、ナショナル・ギャラリーのレンブラント展(終了)と並んで、今年上半期一チケットが取りにくい展覧会にちがいない。

なんせ先々月行けなくなり、改めてチケットを取ろうとトライしたらまさかの一ヶ月半待ち。
長かったなあ!

2010年に亡くなったデザイナーに敬意を表すべく、サラ・バートンのアレクサンダー・マックイーンの服を着た。
マックイーン自身、「シルエットとカッティングの本家本元になりたい。僕が死んでも21世紀はアレクサンダー・マックイーンで始まったと記憶されたい」と言っているので、着て行ってよかったと大変自己満足。


「ルールを破るためにはルールを熟知しなければならない。ルールは破壊するが伝統は大切にする」、すなわち、手のかけ具合、職人の仕事が素晴らしい展覧会、いやショーだった。

作品も素晴らしいが、インスタレーションとメランコリックな音楽も。

写真もスケッチも厳禁なので、会場の様子はネットで検索していただくとして、わたしが一番前のめりになったのはマスクやマウスピースの類の豊富さだ。
マックイーン自身、アクセサリーやジュエリーの類をSM的な拘束衣、倒錯の一種であると言っており、彼の抑圧されたセクシャリティを連想せずにはいられない。人間は仮面をかぶった途端に自由に発言できるようになることを思い出そう。
また、仮面をかぶることによって、人はあの世からの使者になったり、神になったり、鬼にもなれる。カタルシスを昇華し、人間を祝福し、穢れを祓うことができる。このあたりに彼の創作の秘密がありそうな気がするのだが、的外れだろうか。
で、これらマスクやマウスピースの写真を手元に置いておきたいがために超重たいカタログを買ってしまったよ...

インスタレーションの素晴らしさは、どの部屋も良かったのだが、特にスコットランドにインスパイヤされた服と、イングランドにインスパイアされた服を着たマネキンが優雅に、しかも敵対心丸出しで向かい合っている部屋。音楽はヘンデルのサラバンド。合いすぎ。

そして「驚異の部屋」。「驚異の部屋」、好奇心のキャビネット(Cabinet of curiosities)(驚異の部屋に関しては、ミロワの「大英博物館で」の中で目一杯考察したのでもしよかったらご覧ください)。おお、まさにこれら展示されている服飾品はもう「服」ではない。本来の使用方法から切り離された「コレクション」なのだ。


もし、もう一回ウエディングドレスを着る機会があるなら、絶対にマックイーンの芝居がかったドレスを着たい。これ、最高の賛辞だ。
そうそう、妙なマスクもセットで絶対にかぶってみたい。いやマスクがかぶりたいからマックイーンを着るのだと言うべきかな。
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all of this belongs to you








ロンドン快晴、23度の予報。

今日は待ちに待ったアレクサンダー・マックイーン展へ!
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beleza








ここには何度も書いたことだが、そういうことを書く場なのでご容赦ください。

わたしの一番の興味、人生のテーマのひとつは「人は何を美しいと思うのか」だ。

「何を美しいと思うか」。
ここにはわれわれが大昔のある時点で人間になったきっかけが隠されていると思う。
人間だから何かを美しいと感じるのではない。美しいと感じたから人間になったのだ。

人間以外の動物は夕日を美しいと思うのだろうか。花を美しいと感じて好きな人に捧げたり、綺麗な石をとっておいたり、野生の動物の神々しい姿を壁に再現したいと考えたりするのだろうか。
霊長類ならしそうだ...最も、彼らにとっての「美」はもっとストレートに「善」に結びついていそうだが。
(最近の、猿のグループが酒造して飲んでいるというニュース! 天晴れ!)


わたし自身が属している文化圏から出て、つまり金魚鉢の中の金魚は水や鉢のことを考えたりしないように、普段は自分が当たり前だと思っている「美」を外から(金魚鉢の外から)眺めてみる。これがおもしろい。

そして何より、他の土地の人がさまざまな環境や歴史や文化や言語やらの条件下で感じ、表現する「美」を見せてもらいたい!!! 
これはものすごい衝動で、それがわたしを旅行に駆り立てるのだ。ああ、もう家はいらないから年中旅から旅への人生が送りたい!


ここでポルトガル。
鈍感なわたしでさえも、人々が長い歴史の中でアラビアの影響を受けた装飾タイル、アズレージョを美しいと考えてきたのだということがすぐに分かる。
色が美しいとか、配置によって美しい形や陰影(光の加減によってかなり色が変わる)が生まれるとか、そういう視覚的な理由の他に、乾季は30度越えの土地で、タイルのひんやりした感覚や、埃まみれになってもささっと掃除できるというような感覚も、「美」に含まれているのではなかろうかと感じた。

建物のファサードだけでなく、もちろん部屋の壁などにも配置されていて、それが装飾的にまったくうるさかったり古くさかったりせず、むしろ爽やかな美なのがすごいなと思う。


タイトルのbeleza(ベレーザ)とはポルトガル語で「美」「良い」という意味で、わたしが外国で一番最初に教えてもらう単語だ。
おいしいものを食べても、歴史建造物を見ても、子供を見ても、お土産物を求めるときも、シーツのかけ方にも、お天気にも、常に使える便利な言葉。言われて嫌な気がする人はいない。


......


フライングで出かけた夏休み。ポルトガルは10年ぶりで訪れたのに一週間では全然時間が足らなかった。

ポルトガル、大大大好き!


(ちなみに写真はずべてアズレージョ。タイルっぽく貼ってみました)
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