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東京観光第一回ご報告




「外国人の東京観光」を、みなさまにお願いして1週間経ちましたので、お礼をかねて中間報告をさせて下さい。

まずはお時間を割いてメールを下さったみなさま、ほんとうに、ほんとうにありがとうございました!

ひとつひとつ拝読してるうちに、東京のことをあまりよく知らないわたし自身の心も踊りだし、極東の空へと飛んで行ってしまいました。

東京! いつか短期でもいいから住んでみたいな...
(右写真は東京の方はすぐにどこかお分かりでしょうか。Mさんから頂いた、国立近代美術館休憩室からの眺め「眺めのいい部屋」。これぞ日本!)


英国人夫妻の奥さんの方とは昨日ちょっと話したのですが、これほど多くのご教示を頂けるとは思わなかったようで(わたしも思わなかった)、「時間が足らないわ!足らないわ!」と感激していました。

旅の計画を立てるのはほんとうにワクワクしますね!

頂いた情報はこちらでもぜひシェアさせて頂きたいと思っていますので、少々お時間下さい。


ところが...
一方で京都の情報はこれまでで2件しか頂戴できず!
もしよろしければ「○○寺はあまり知られていないけどおすすめ!」、「ここのおうどん最高!」、「ガイドブックは○○のがいい」などの情報、ご提供下さいませ。お願いいたします(<自分が行く時に流用しようという魂胆あり・笑)。
krugkrug2004()yahoo*co*jp ( ()を @に、 *を.に)


それではみなさま、秋の夜長、よい週末を!
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eau legere




Bottega Veneta のこの香り、このブログには9年前に書いた Cote Bastide の Lin にそっくりだ。

夫がお土産で香水ヴァージョンを買って来てくれたときはぴんとこなかった(たぶん、奥さんがよく服を見に行くブランドの香水だから間違いないだろうと思って決めただけにちがいない)のだが、こちらの「軽い」ヴァージョンを匂ってみたときは一瞬にして「これ!」と思った。

香りを選ぶときはこうでなくてはいけない。いろいろ迷うなら買わない方がましなのだ。
ボトルや名前が素敵だからとか、誕生のストーリーにしびれたからとか、そういう理由で買った香りは、棚の上で肩にうっすらほこりをかぶることになる。

今はこのすぐにかき消える軽い香りと、それからジョン・マスターズ・オーガニックのプリムローズのシャンプーの香りが大好きで、ジョン・マスターズのシャンプーも香りが全然残らないし、あの香りのオードパルファムが出ないだろうか。
そういえばわたしが思春期真っ盛りの頃、「ヘアコロン」というシャンプーが「恋コロン」というキャッチフレーズで販売されたが、ああいうの「美しくない」という理由で使わせてもらえなかったな...

この年齢になったら濃厚なマダムの香りを漂わせて濃厚なマダムになる予定だったのに、わたしが使う香水が毎年軽くなるのは、先日ワンピースと Fiat 500 で書いたように、全部コテコテにしない、というルールを設けているからだ。わたしの好みの服装に母がつけていたようなミツコとか夜間飛行をつけたらもうめっちゃ昭和ですやん。もっともっとおばあちゃんになったらそういうのもいいかもしれないけど。

夫は Tom Ford の Rose Cafe を使っていて、わたしよりも色気のある香りをまとっているのがちょっと気に食わない。
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rhapsody in red




カー・ラジオから Rhapsody in Red と紹介された曲が流れて来た。

もう一度聞いておこうと、今、Youtube でそのタイトルを探してみたのだが見つからない。もしかしたらそんなタイトルじゃなかったのかもしれない。
強いて言うならば、クリスチャン・ラッセン*の絵のBGMにかかっていそうな感じのイージー・リスニング系だった。こういう曲を「クラシック」だと思っている人も(文化資本のあるなしが著しい英国には)いるのではないか、そんな曲。


運転席の夫がまず「ぼく、こういう曲好きじゃないんだよね」と言った。
わたしは「ラッセンの展覧会でかかってそうな曲じゃない?」と言った。どれだけ嫌いやねん(笑)。
アートの「ようなもの」、クラシック「のようなもの」、そういう「ようなもの」を寄せ集めた低俗な何かである、ということでわれわれ夫婦は同意した。

ええ、低俗なのはわたしたち夫婦の方なのかもしれません。

ラッセンはあのような作風で多くの人を惹付け、曲がりなりにも名を残した。だからわたしには理解できなくても、そこには何か特別なものがある、という認識だけは手放さないようにしたい、とは思う。
例えばわたしは夫の「スタートレック」好きが全く理解できないが(特にTVシリーズは背景を宇宙にしたソープ・オペラである)、大の大人があれだけ魅了されるのだから、わたしの次元では想像もできないような何かがあるに違いない、と考えるようにしているのと同じ。
自分に理解できないものはすべて無意味だと言うなら、文楽を攻撃した某市長さんと同レベルに落ちてしまう。


と、後部座席の娘が突然「あなた方、そうやって下劣というけれど、曲の一つでも作曲できるの? こういう作品を好きだという人の気持ちを考えたことがあるの?」と厳しい口調で言った。

「それは音楽を批判できるのは音楽家だけ、という意味に聞こえますね。素人は感想も文句も言うなってことですか?」「ママの作る晩ご飯が「味が薄い」とか「煮過ぎ」と批判できるのは毎日ご飯を作るママたちだけで、料理をしない家族メンバーはどんな味でも黙って食えということですか? そういうお家がいい雰囲気だと思いますか?」「ある学校が荒廃しているから改善せよと意見できるのは校長先生たちだけですか? そんな学校に行きたいと思いますか?」「私は卵を産めないけど、卵の良し悪しはわかる、とも言います(<ネットで拾った)」、とわたし。
彼女は目には涙さえ浮かべてぷんぷん怒っていた。

しまった、彼女、こういう曲が意外と好きなのかも。

夫は、自分がこの曲を好まないだけで、他の人の趣味をどうこう言うつもりはもちろんない、と諭したが、どうも娘が怒っているのはつまり、普段からわたしがある種の文化を cheesy だ、tacky だとクサしていることへの大反撃のようだった。
例えば音楽で言えば流行歌の真実の愛だの本物の恋だのそういうありふれた歌詞とか...

おそらく娘は高音で歌い上げたくなるような恋愛がこの世にあると思っているのだろう(<言わなかった)。
わたしも大失恋したあの時分、腑抜けて死んでしまうのではないだろうかという絶望を味わい、毎夜スティングやモーツアルトのレクイエムを聴いて泣いていたことがあった...(<もちろん言わなかった・笑)。


流行歌の中の愛だの恋だの、本当の気持だの、真実のあなただの、そういう手垢にまみれた歌詞の大安売りはあまり聞きたくはないけれど、ある程度は仕方がないのである、というのがわたしの意見だ。

つまり、わたしたちの愛、恋、真実、美、永遠などという気持ちそのものが、ありふれたようにしか表現できないような感情なのだ。
われわれの表現の手段は非常に限られていて(この場合は歌詞の構成物である「言語」)、世界でったったひとつの「本当の恋愛」を表現するにしても、今まで使われたこともない歌詞をつけるのはほとんど不可能である。と言うか、われわれはたぶん「恋愛」という感情を、何度も何度も使い回されて垢のついた歌詞によって学ぶのである。ドラマのセリフとかもね。
よって恋愛の歌は何度も何度も溶けては固まったかのような劣悪なアイスクリームのような歌詞になる。それを聞くわれわれの恋愛感情もそのようになる。そんな恋愛感情を歌い上げる歌詞はクサくなる。われわれの恋愛感情はさらにクサくなる...

わたしがタンブラーのサブタイトルにもしているワイルドの「ほとんどの人間は他人である。思考は誰かの意見、人生は物まね、そして情熱は引用である」という寸言はそういう意味だ(自分の考えを述べるためにワイルドを引用している時点ですでにトートロジーだ)。


だから別に流行歌の歌詞が安っぽくて低級で悪趣味でもいいのだ。いや、そうであればあるほどわれわれの「ほんとうの気持ち」を表現していると受け取られて広く売れるのである。


娘はもう無言で車窓を眺めていた。

ママはもう恋愛なんてできないわ、おばあさんだから仕方ないよね、と思われたのかもしれない。




*「ラッセンとは何だったのか? - 消費とアートを越えた「先」」という本が出ているようです。必読ですな。
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観月するDNA








昨夜、英国南部で愛でた中秋の名月

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

現代人は春は桜の写真を撮り、秋は月の写真を撮りして
親しい人に見せたり
ソーシャル・ネットワーキング・サービスに載せたりするが、
昔の人は歌を詠んだ、と。

手段は変わっても
花鳥風月を愛で
他の人にも見せたい聞かせたい、
心動かされたよと伝えたい、
というDNAをわれわれはずっと運び続けて来たらしい。

野に桜があり、空に月がある限り
ずっと運び続けてほしいものだ。
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外国人の東京観光




今日はこのブログをお読み頂いているみなさまにお願いがございます!


知り合いの英国人夫婦(40代、学術系専門職)が、再来月仕事で日本を訪問することになり(10年ぶり2度目だそう)、東京で丸一日自由時間を取って観光がしたいとのこと。

わたくし生まれも育ちも関西コテコテ、東京はいつ訪れでもご案内頂く方なので観光のアドバイスを授ける立場にありません。
前回の東京訪問を思い起こせば、六本木ヒルズ内のハイアットに宿泊、便利なためか友達が次々ホテルまで会いに来てくれるのが有り難く、そのためヒルズ内からほとんど出ずに済んだ! という世間の狭さ。
それでも旅行の計画を考えるのは(自分の旅行でなくても)ワクワクします。

日本文化の粋や「お・も・て・な・し」を英国人に見せつけ、「日本はやっぱりすごい!伝統と最先端!」と唸らせるにはどのような東京観光ルートが考えられるでしょうか?

ちなみに彼ら、前回は空き時間を使ってお約束の浅草に行き、良かったのは良かったが、外国人ばかりで辟易したとのこと(笑)。
今回もツアーには参加したくない、スカイツリー等の展望系にも興味がない、と難しいことを...


わたしとしては、早朝の築地でまぐろの卸売りを見学(予約が必要みたいですが、おもしろそうですよね? ご覧になった方いらっしゃいますか?)、明治神宮のオーラを体感してから表参道ヒルズまでブラブラして、そのまま二重橋でも見に行く? くらいしか思いつかず。しかしそれで効率はいいのだろうか? ならばお昼はどこで? 築地で朝ご飯は食べられるのか? 正直、どのエリアがどのエリアに隣接しているのかという地理や交通網を知らないので移動方法なども提案できず困っています。

一日や半日ルートのご提案、ごく簡単でも結構ですので、東京在住の方、元在住の方、どうかお助け下さいませ。
「ここの○○はぜひ!」というようなスポットの提案も歓迎です。


また、京都にも一泊で出かけるそうです。
京都はまあ、わたしも子供の頃から何百遍も行っているのでそこそこのイメージはできるつもり...つもり。
彼らにとって初めての京都なので、東側の三十三間堂、清水さん、高台院、八坂さん、知恩院、祇園でご飯食べくらいのルートと、翌日嵐山散策くらいがいいのかなあ。西の北野天満宮、金閣寺、竜安寺、仁和寺、に嵐山を加えたらハードスケジュール過ぎるかなあ。などと...京都は移動に時間がかかるので、タクシーを一日チャーターしてもいいですよね?
父が宿を取ってくれるそうで、うらやましすぎ、わたしが行きたい。

京都在住の方、元在住の方のお話伺いたいです。
特に食べ物屋さんや雑貨屋さんのお話はわたしも知りたい!


ご教示頂けましたら、今回だけでなく、「日本へ行くんだけど...」という外国人の知り合いにマニュアルとして伝承して参りたいと存じます。
わたしが帰国する時にもぜひ従いたいです!

お手数になりますし、厚かましいお願いではありますが、
krugkrug2004()yahoo*co*jp ( ()を @に、 *を.に)までメールを下さったらうれしいです。


わたしも近いうちに「ロンドンを丸一日で回る!」編を考えてみるつもりです。
需要があるかな...
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