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飛梅




(今週は先月の日本一時帰国の思い出話をヨタヨタと書いています)


友人たちとの旅行、前回(2021年)は北海道、今回は九州へ。

この調子だと今年2023年は韓国や台湾かしら、あるいはぐっと近場の有馬温泉もいいなあ...楽しみだ。


友人2人は新大阪からのぞみ号で、わたしは新神戸からさくら号で。
電車の旅、大好き。

さくら号は飛梅...ならぬ飛桜。すらすら飛ぶように走るとても快適な列車だ。コンパートメントもこぶりでくつろげる。

が、待てど暮らせど「車内販売」が来ない。

山陽の美しい景色を眺めつつ、駅弁に舌づつみを鳴らすつもりでホテルの朝ごはん(<これまたよいものだ)は抜きで出てきたのに、そして居眠りもせずにメールの返信作業をするなどして待機していた(笑)のに、ですよ。




...さくら号では車内販売や食堂車もないのを知ったのは、岡山をとっくに過ぎたあたりだった。
子供の頃、ひかり号の「ビュッフェ」で食べるあの喜び、旅行の祝祭気分を味わうぞと高揚させていた気持ちのやり場のなさよ。
(この後、賢島行きで乗車した「しまかぜ」のビュッフェがわたしの子供心を満たしてくれた)

博多に到着後、時間差で到着する友人を待つ間、「コーヒーを飲んで待っているね」と言ったにもかかわらず、あちこちで赤く輝く「明太子」のサインに幻惑され、構内で早速明太子と唐揚げの駅弁を買って食べた。
新幹線の改札を出たら、夢のような駅中レストラン街があるとも知らずに...

博多、おいしいもの満載ですね! わたしだったら政権争いに敗れて「左遷」されたとしても楽しむわあ!




太宰府にお参りし、勉強が好きなわりには、ほとんど身につかない我が身をお守りいただくようにお願いする。

参道の梅ヶ枝餅のお店で食べ比べ。

博多ではもつ鍋、イカ活け造り、ごま鯖...
イカ、友達がちゃんと予約してくれたので食べられた。夜早いうちに売り切れてしまうそうだ。凍てついた透明の海の色をして新鮮で、生の魚介に目が無いわたしにとっては最高のごちそうだった。
鯖が生で食べられるなんてねえ...英国人に言っても信じてもらえないだろう。とーってもおいしかった。




コンデンスクリーム入りのサニーパンや厚焼き卵入りサンドイッチ、博多ぐる皮、九州産栗のお菓子なんかも。博多最高。

博多、神戸よりも、ロンドンよりも、ずっと寒かったので驚いた。まあ日本海側ですもんね...

そうそう、博多は美形が多い、というのは本当だった!!
また行きたいなあ!
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レモンケーキ巻き巻き




先月の日本一時帰国中の思い出をフラフラと書きつづっている途中だが、娘のリクエストでレモンケーキを焼いたので!
週末の、これぞウイークエンド・シトロン。
わたしもレモンは味も色も形も大好き。

薄紙で巻き巻きラッピングして、明日はロイヤル・メールで大学街のアパートへ送る。




美術書の上の檸檬爆弾...

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第一突堤の夢




先月の日本滞在中、日が暮れてから水族館を訪れてみた。

神戸の新港、第一突堤に、アトアという水族館を含む施設ができたのである。神戸港ウォーターフロントの大規模再開発の一環だそうだ。

神戸は80年代に最盛期を迎え、バブル崩壊後は何をしてもぱっとしないままだ。
当時の栄華(まさに栄華だった)を知っているわたしは、その時代をいつも19世紀末の居留地の時代と結びつけてしまう。そしてある種のなんともいえない気持ちになる。




すっかり暗くなった空のなか、水族館のチケット売り場にはぼうっと光が灯っていた。
匂いも新しい建物の中に入ると、客はわたしたちだけだった。

水族館の、水槽を照らす独特の光の使い方。
海洋生物のゆったりした動き。
水の匂い。
ひっそりとして、水の音がたまに聞こえる、あのなんともいえない悲しみ。

「水族館 リラックス効果」で検索すると、学術論文もたくさん見つかる。
水族館の展示を眺めていると血圧と心拍数が低下し、自律神経が整うそうだが、あのひどく懐かしく、ひどく寂しい気持ち、あれは何なのだろう。わたしは自律神経が整うと悲しくなるタイプのか(笑)。




それとは別のある日、帰神が遅くなったので、わたしと夫はアトアに付属する、23時まで営業しているという小洒落たフード・コートに食事に行った。

神戸は昔から「朝は遅い」街だが、コロナ禍のせいだろうか、夜も早くなっていて、21時を過ぎたら夕食難民になってしまうのだ...

ラストオーダーよりも1時間は前だったにもかかわらず、連休明けの平日だったせいか、フードコートは眠っているようだった。
中心に設けられたバアの天井にある、みずいろの水槽の中の魚だけが動いている。

夫と2人でもかなりの寂寞感があったのに(まあロマンティックではあったが)、もし、自分1人だけの客だったら、わたしは神戸全体を覆うような「自分は遅れてきた、手遅れ」感に耐えられたであろうか。

「邯鄲の夢」は、栄枯盛衰は夢にすぎない、と教える。


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日本から英国へ瞬間移動したり




先月の日本滞在中、わたしは神戸で旧交を温めていたら、娘からこんな写真が送られて来た。
一瞬、「娘、もう日本へ到着したよね?」と思ってしまった...


夫と娘は2日連続でUFJを訪れていたのだった。

親子で魔法学校のハウス・スカーフを身につけて歩き回ったようだ。

夫も娘も、いわゆるジョセフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』系のストーリーが大好物だ。
わたしもとても好きだが、映画やシリーズものの方には行かず、どちらかというと構造主義的な手法そのものが好きなタイプ。



魔法学校の建物は、エジンバラ城がモデルになったという(今調べました!)。
エジンバラ城、しばらく行ってないので写真がない...
こちらはかのシリーズの撮影現場にもなったグロスターの大聖堂。似ている


フライング・ダイナソーだかで、スタッフの方から「日本語がお上手ですね!」と声をかけられたと、娘は怒っていた(笑)。
父親と一緒にいると外国人に見えるようだ(国籍上は外国人だけど)。おもしろいですね。




彼女の日本語レベルは、普段は小学校低学年レベルでとても可愛く上品な日本語を話すが(罵倒の単語すら知らない)、耳コピが得意だからか、3日くらい日本で日本語にもまれると驚くくらい上手になる。
読み書きはひらがなと多少の漢字のみ、ほとんどできません(笑)。

来年は医学部内で超短期留学ができるので、日本を選ぼうかなと言っている。どうなるか楽しみ。<当然わたしもついていくつもり。


こちらはウェールズのコンウィ城
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鬼神を敬して之を遠ざくる




今週末からベルギーへ1週間行く予定が延期になってしまったため、カレンダーに大きな空白ができてしまった。

これを奇貨に、懸念の掃除や、日本旅行の写真の整理や...思い出の続きを、と書き始めた。
いつまで続くかしら...




伏見稲荷大社は、外国人観光客の間で、日本一の人気スポットなのだそうだ。

ベルギー生まれ英国育ちの娘も、インスタグラムで写真を何度も見たことがある、「スタジオ・ジブリ」作品を想起させるなどとという。
すなわち、隣り合わせになっているが、普段は忘れているもうひとつの身近な世界、自分がそこから来たような懐かしい世界だと。

わたしがそのように感じるのは、そうかなあと思ったりもする。そして日本には一度も居住経験がない娘にとっても、「ジブリが好き」という外国人にとっても、そうなのだという。

あのシリーズはローカルでありながら、ローカルであるからこその普遍性があるのかなあ、まるで村上春樹の作品のようだ。




前回、2021年に伏見稲荷大社を訪れた時は、コロナ禍の、外国人は入国が許されていなかった時期だった。
まるで人影がなく、うっかりするとあちらの世界へひょいと渡ってしまいそうになる感覚があった。

このように聖と俗が分かち難く入れ子になっている街、わたしはもうひとつよく知っている...

イスラエルのエルサレムだ。
懐かしい。




今回は、まずは修学旅行生の多さに驚き、上へ登れば登るほど日本人がだんだん減っていき、登山する気で満々の服装をした外国人ばかりになるという状況がおもしろいなと思った。

たぶん、外国人は、「ここで引き返したら、『この次の瞬間にあるもっと不可思議でもっと現実離れした景色』を経験できない...だから下山のタイミングが永遠に測れない...」というジレンマに陥っているのではないかと思う。想像だけど(笑)。







本来、稲荷神は稲に象徴される農耕神だという。
なるほど、狐様は稲の穂をくわえておられる。

「本来の「田の神」の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった」(Wikipediaより孫引き)

赤い鳥居の両脇のおそろしい顔をした狐様については、「狐は稲作の害獣を取って喰うから、神様のお使いとして大切にお祀りする」と子供の頃聞いたものだった(他にも諸説あり)。

そしてふと思った。




わたしが住んでいる英国南東部サリー州の丘陵地帯には、狐が隣人としてしばしば出現する。

野良犬野良猫は全然いないが、夜の運転中には絶対に最低一匹の野生の狐には出会う。
化かされたことは...たぶんないと思う(笑)。
ゴミは狐に荒らされないよう注意しなければならない。庭にも迷い込むし、怪我をした小狐を介護したこともある(英国の狐には例の寄生虫はいないそうです)。

そんな身近な隣人なのにもかかわらず、ここでは狐は悪名高き「狐狩り」、つまり人間の娯楽、ブラッド・スポーツ(血まみれのスポーツ)の対象になってきた。

本邦では祠を建ててお祀りをする狐穴を、英国では狐が穴に隠れてしまわないよう穴をふさぎ、行き場のない狐を馬で追うのですからね! この違い。

日本でも仏教伝来とともに、人間を化かす妖怪としての扱いもされたわけだが、「鬼神(きしん)を敬して之(これ)を遠ざくる」という態度には変わりがないのでは...
(たった今、内田節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という超面白そうな本を買ってしまった)




夏に旅行したインドネシアのバリ島の高床式倉庫が、日本の神明造り、端的に御稲御倉(みしねのみくら)に酷似している(当然といえば当然か)のに驚いたのだが、あちらに狐はいるのかどうか、聞けばよかった。

なお、あちらの、一昔前の日本の原風景を思わせる水田は、どうも日本占領時期に広まったようである。
バリ島の人の姿形顔つきや礼拝の作法を見ていると、日本人にそっくりで、日本人のルーツはここにあるのか? と思ってしまいそうになるけれど。
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