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swan lake, english national ballet








イングリッシュ・ナショナル・バレエの来シーズンのプログラムのひとつ
「白鳥の湖」の宣伝用ポスター。ロンドン公演は2019年明けから。

ファースト・アーティストのプレシャス・アダムス(Precious Adams)
(彼女はEmerging Dancer 2018にもノミネートされていた)

美しい

クラシックバレエの多くは、生と死の境目、あの世からのメッセージを語る。
特に「白鳥の湖」には生きることと死ぬことが描ききられている。
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swan lake 2018, natalia osipova 2




ロイヤル・バレエ新プロダクション「白鳥の湖」を見た。
今シーズンはこれで6回目になる。


昨夜はナタリア・オシポワ(Natalia Osipova)のオデット・オディールだった。

前回、彼女は王子が花嫁を選ぶ舞踏会の場面で、あの有名なオディールのグラン・フッテ32回転をやらなかった(代わりに超スピードのピルエット)ため、あれはいったいどんな事情だったのかと、いつもとは違った意味でも楽しみにしていた。
ちなみにグラン・フッテは彼女の十八番のひとつである。

やりませんでした、32回転。

やはり光速ピルエット。

他のダンサーはマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez 完璧な32回転。神業)も、サラ・ラム(Sarah Lamb)もやったので、これが公式振り付けというわけでもない。

まことしやに噂は伝わってくるものの、どれにもあまり決め手がない。気になるなあ。どこかにインタビューがないかなあ。



さて。
先日イングリッシュ・ナショナル・バレエのコンクールで、若手のダンサーが踊るパ・ド・ドゥを4つほど見たばかりだった。もちろん若手の彼らも今後熟達していくのだが、ナタリア・オシポワを始め、プリンシパルがどれだけすごいのかというのがとてもよく分かった。

まず、ほんのわずかの変な間がない。秒の何十分の一という単位でも。
音楽や動きが余らない。
ピアニッシモな動きにもぼやけた輪郭の動きというのが全くない。弱い動きとぼやけた動きは全く違う。若手ダンサーで気になったのが、決めのポーズに減り張りがより少なく、動きに奥行きや重層がないことだった。


ところでわたしのシロウト意見として、マシュー・ボル(Matthew Ball)はジークフリード王子としてはいまひとつだと思っている。
青春の苦悩と、突然の恋に落ちた喜び、誘惑に負けるあふれる熱情が伝わって来ず、それどころか彼がいなくても筋に全く影響はないというくらい存在感が薄い。特にオシポワの相手役としては力不足だと思う(うまい相手と組んで成長するという目的はあるだろう)。


ナタリア・オシポワ、第2幕の舞踏会のパ・ド・ドゥの登場のシーンで、まだ何もしていない(舞台に素早く登場するだけ)段階でポワントが滑って尻餅をついてしまった。あの数秒間でいきなり裂け目から現実が顔をだしたようになったが、すぐに持ち直して最後まで踊った。もう母親のような気持ちでハラハラしましたよ。

卑近な例、わたしは冬のフレンチ・アルプスのホテル前で、漫画のような尻餅をつき(前夜、ボヤがあったので消防車がこぼした水が凍っていたのだ)目の前に星が飛び、しばらく動けず、数カ月にわたって痛みで往生したので、ただの尻餅とは言えないことはよーく知っている。

怪我だけはしないでほしい!



(写真はRHOより、 Bill Cooper。リハーサル中のオシポヴァとボル)
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emerging dancer 2018








イングリッシュ・ナショナル・バレエが、若手ダンサーの中から新しい才能を祝福し見出す趣旨で毎年開催しているEmerging Dancerを見て来た。

今年で開催9回目なんだそうだ。わたしは見に行くようになってまだ3年目。

去年は金原里奈さん、一昨年はセザー・コラレス(Cesar Corrales)が出ていたため見る気満々だったのだが、今年はわたしは「若きカリスマ!」みたいな人物を早々見つけられず、行く気になったのは2、3日前のことだった。

でも、やっぱり見に行ってよかった。


彼らは若く、そしてとてつもなく美しい。
特に男性が女性をリフトするときの軽々しさよ!

若いだけでも誰でもまあまあ美しいが、彼らの精神的な強さ、努力ができる才能、何よりダンスを愛する気持ちが会場にあふれていて、観客は魔法の栄養ドリンクを飲んだかのように即席で幸せになれる。

スピードと力のみなぎりはスポーツも同じだが、福田恆存が「藝術とは何か」で書いているように、スポーツは直線運動でなまの現実に即しているのに対し、ダンスは動と反動で織り成される円環、「創造と破壊」であり、ダンス独特の制御力、コントロールが美しい。

「外部から内部へ、すなわち根源から切り離されたものが根源的に復帰しようとする執拗な努力においてのみ、リズムのくりかえしがおこなわれる」(147頁)
「現代のスポーツは記録をめざしているがゆえに、進歩の概念と同様、往きがあって復がない運動であります。動があって反動がない。このことが、舞踏とスポーツを区別するーあるいは芸術とその他の人間活動、たとえば科学とか日常生活とかいうものを分けるー根本的な要因ではないかとおもいます。芸術には動があっても、それはかならず反動をともないます。いや、むしろ反動のために動を起こすといってさしつかえない。静止と完成とを獲得するために、わざわざ乱れた動きをやってみる」(113頁)



優勝したのは「海賊」を踊った男性ダンサーダニエル・マッコーミック(Daniel McCormick)で、「海賊」は振り付けと音楽そのものがものすごくアッピールするのを差し引いてもすばらしい踊りだった。


英国に住んでいる限り、毎年見に行こうと思う。
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maria alexandrova@english national ballet





去年ボリショイ・バレエを引退したマリア・アレクサンドロワ(Maria Alexandrova)にはファンが多いと思う。

ボリショイの、この世のものではありえないほど美しいが、感情や内面表現には少々欠けると批判されることもあるダンサーの中で、マリア・アレクサンドワは表現の豊かさと気持ちの良い大胆さが確かな技術力に裏打ちされたダンサーで、観客をぐいと引き込み、また実際大柄なこともあり、舞台上に大らかな大輪の花が咲くような存在感があった。


昨夜はイングリッシュ・ナショナル・バレエの「眠れる森の美女」にオーロラ姫役でゲスト出演する彼女を見た。

以下、ファンを怒らせるかもしれない。
しかし世の中にはあのスベトラーナ・ザハロワを嫌いな人もいるわけで(「ダンボールの切れ端」とか!)、いろいろな意見があってこそクラシック・バレエは今後何百年と存続していくのだとシロウト意見も大目に見てほしい。


アーティストの年齢のことは決して言いたくない。実年齢がいくつであれ、舞台上では16歳になり、60歳になるのがアーティストだと思うからだ。

しかし、昨夜のマリア・アレクサンドロワのオーロラ姫には確実に無理があった。

彼女の個性であり強みであった、姫役には不可欠の大らかさや大胆さ無邪気さが、そのコインの裏側にあるドタバタな厚かましさ、雑さに負けてしまっていて、とてもとても16歳の、空にかかるオーロラのように軽やかに光輝く姫には見えなかったのだ。
 
デジレ王子役のAaron Robisonはとても良かったのだが、彼との練習時間が短かったのだろうか、全く息が合っておらず、動きと動きの間の時間の不細工なあまり方にはハラハラさせられた。

また彼女をリフトするのは男性が気の毒だと思わせるほどどっしりしていて、実際彼女の体を支えきれずに、ああっ落とす! と思ったシーンもあった。

彼女が負傷してリハビリを超えてきたのは承知の上で、下半身の強い美しさに対して、ごつい上半身には柔軟性がなく、ごりごりしたオーロラ姫だと思った。


「眠れる森の美女」のオーロラ姫役は古典であり、鉄板の技術やコンディションが要求され、ごまかしや適当さや流しが全く通用しない役柄だと思う。

彼女はまだまだ踊れるし、観客もそれを望んでいるが、客観性は失わない方がいい。もっと別の役、今の彼女にふさわしい役をやればいいと思う。
スターをゲストに迎えるにあたって配役の政治もあるのだろうが、例えばの話、オーロラ姫ではなく、リラの精の役だったらもっと合っていたのではないか。

彼女に期待する観客をあのように悲しませてはいけない。



(写真はexpress.co.uk より " Bolshoi star Maria Alexandrova joins English National Ballet's Sleeping Beauty in June"記事中の「白鳥の湖」を踊るマリア・アレクサンドロワ)
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the sleeping beauty@english national ballet








イングリッシュ・ナショナル・バレエの「眠れる森の美女」、今季はケネス・マクミラン(Kenneth MacMillan)のバージョンで、ロンドンのオープニングナイトへ行って来た。

オーロラ姫はアリーナ・コジョカル(Alina Cojocaru)。


特に衣装はとても美しく、舞台装置もきれいなのだが、あのお話に欠かせない豪華さに欠ける。舞台がスカスカ...なのが気になってしょうがなかった。

アリーナ・コジョカルは相変わらず舞台に登場するとその場の雰囲気が一瞬にして変わる華があり、はっとさせられる瞬間が何か所もあった。特に彼女はひとつひとつの動きに対応する呼吸が長い、と言えばいいのだろうか、すばらしい。

しかし、わたしが持っている昔のDVD(ロイヤル・バレエの頃の同じくマクミラン版。ユーチューブにも上がっているのでぜひこのローズ・アダージョを!)に比べると踊りが非常にシンプル化されており、複雑で難しいエクストラな動きはほとんどなく、こちらもなんとなくスカスカで豪華さに欠けたと思う。


シンプルでいいのだということもできるかもしれないが、この「眠れる森の美女」は、オーロラ姫が誕生した設定の16世紀ヴァロワ朝の衣装と舞台装飾から始まり(カラボスがエリザベス一世なのも時代考証に合っている。さらにユグノー風の帽子をかぶる人とかも)、100年後のオーロラ姫の目覚めがブルボン朝(勘定が合わないが、この変化で時間の経過を強調する)に変化するのも楽しみどころで、金糸銀糸で織られたタペストリーか、絵巻物を見ているようでなくてはならないのだ。

さらに善を現す妖精たち、ほかのペロー童話の主人公たち、宝石の擬人化、各国の王子が次々登場するのだから、世界で一番リッチでゴージャスな舞台でもいいと思うくらいだ。


タマラ・ロホは今回オーロラ姫を踊らないが、アリーナ・コジョカルがもし抜けたらどうなるんだろう...と不安を掻き立てられる舞台でもあった。

その中で 金原里奈さんの青い鳥はとってもよかったです!



ちなみにわたしはカラボスとリラの精はそれぞれが冬と春を象徴する、死と再生の神だと思っている。
オーロラ姫が長い眠りにつくのが冬、目覚めるのが春。
オーロラ姫は豊穣神デメテルの娘ペルセポネ(のようなもの)だ。ペルセポネは冥界の神、ハデスの花嫁。
そして冥界の神ハデスはもともと豊穣神と冥界神を兼任していた。つまり根本的にカラボスとリラの精は同一人物、というのがわたしの考えオーロラ姫は何者か、あるいはカラボスとは何者か



(写真はポスター)
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