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秋色




時間つぶしに立ち寄った百貨店リバティの花屋の色が

あまりに秋色ではっとさせられた

まさにリバティ・プリントのようだ



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世界の七不思議






世界の七不思議(紀元前2世紀のフィロンによる)、わたしはこの手の話には目がない。

日本語で「世界の七不思議」にはオカルティックな意味合いを込められることがあるが、Seven "Wonders" of the Worldには「不思議」という意味はなく、「ワンダフルな景観」、というほどの意味だそうである。「オーパーツ」の方がファンタスティックですけれどね!


ギザの大ピラミッド(現エジプト)

バビロンの空中庭園(現イラク)

エフェソスのアルテミス神殿(現トルコ)

オリンピアのゼウス像(現ギリシャ)

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟(現トルコ)

ロドス島の巨像(現ギリシャ)

アレクサンドリアの大灯台(現エジプト)
 

このうち、現存しているといえるのはギザの大ピラミッドのみだ。

遺構のみ残されているのがエフェソスのアルテミス神殿、ハリカルナッソス(現ボドルム)のマウソロス霊廟。今回はこの遺跡2つと、ロドス島の巨像があったとされるところ(像は現存せず)も訪れた。
古代も現在も、このあたりは風光明媚で名所旧跡がたくさんなのだ。


写真はハリカルナッソスのマウソロス霊廟跡と、その建材で要塞化されたボドルム城。
マウソロス霊廟は紀元前4世紀、小アジア西部のカリア国を統治したアケメネス朝ペルシアの州知事(サトラップ)マウソロスの妻アルテミシアによって、当時最先端のギリシャ式で建造された。

アレクサンダー大王も手を出さなかったというこの偉大な霊廟、何度かの地震に見舞われて崩れかけていたところ、聖ヨハネ騎士団が15世紀にやって来、岬の城を対トルコ要塞化するために建材石を持って行ったのだ。
なお、いくつかの彫刻は大英博物館にも持ち出された(さすが略奪博物館)。


この7つの「不思議」のうち、わたしがまだ行ったことがないのはバビロンの空中庭園とオリンピアのゼウス像(があったとされるところ)になった。

オリンピアには行こうと思えばすぐ行けるだろうが、バビロンはどうでしょう、行けるかなあ。行きたいなあ。
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2018・2019年シーズンが「サロメ」で始まる




2018・2019年のシーズンがいよいよ始まった。

昨夜はイングリッシュ・ナショナル・オペラのシーズンのオープニングは新作オペラ「サロメ」。
"quirky"(奇妙な、風変わりな)と聞いていたのでワクワク度が上がる。

イングリッシュ・ナショナル・オペラは、今年でロンドン・コロセウムをホームにしてちょうど50年。次の50年に向けて新たな出発とのことだった。


話の筋は、もちろんオスカー・ワイルドの「サロメ」が下敷きだ。サロメが単なる「魔性の女」ではなく、オーストラリア出身の女性舞台監督によって現代風に書き換えられていて、「現代風」狂気がとても興味深かった。「狂気」自体は普遍的なのかもしれないが、現れ方は時代によって全然違うのではないかと思うからだ。

判で押したような魔性の女ではおもしろくもなんともない...しかし「オリエンタリズム」(サイード)的であろうが、古くさろうが、紋切り型だろうが、なぜか「魔性の女」というのは見ていておもしろいのである。
「7枚のヴェールのダンス」は音楽のリズムも、パワーゲームも、性的欲望も最も盛り上がるシーンであり、今回あの部分を最も投げやりなダンスにしたのは白眉だと思った。

リヒャルト・シュトラウスの音楽は文句なしにすばらしかった。


ワイルドが書いて以来「サロメ」の性格にされてしまったあの有名な筋よりも、ユダヤ人歴史家が書き残している内容の方がおもしろいと思う。
サロメは実在の人物で、洗礼者ヨハネへの報われない愛のために殺めたのではなく、ヨハネに人望がありすぎたため、支配者であるヘロデ王がヨハネを旗印にした反乱が起こるのを恐れて殺した、という方。


昨夜はサロメの顔形の人面魚を飼うという夢を見た。最初はワニで風呂桶で飼っていたのに人面魚に変わっていき、2歳くらいの知能があり、旅行をする時は「木は森に隠せ」方法で魚屋にあずけたりした。新作サロメも奇妙だったが、わたしの夢も相当である。



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聖ヨハネ騎士団のロードス島へ







ギリシャのロードス島にも行った。薔薇の花咲く古の島。

初めてギリシャのロードス島を訪れたのは1998年、結婚して数ヶ月後の春だった。新婚旅行ではない。

その時、1985年に出版された塩野七生さんの「ロードス島攻防記」を読み直し、彼女の描く独特のリズムと島にいる臨場感とが合わさって時間旅行気分だったのをよく覚えている。
高貴さと美しいものをこよなく愛する永遠の若い魂、塩野七生。


今回も島へ向かうボートの中で、表紙のめくれ上がったその新潮文庫を読んだ。

この読み物の中の登場人物は、みなそれぞれが人生の意味を求めている。
主人公の一人、イタリアの騎士オルシーニは「人間は誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利ががある」と言う。「大きな物語」(リオタール)が有効だった時代、人は自分探しなどする必要がなく、その点では生きやすかったのだろうか。
ちなみにわたしは人生は本来「非意味」(無意味とは違う)だと思う。






20年前、われわれはまずクレタ島にいた。そこで一ヶ月弱バカンスを過ごしたあと、衝動的にオリンピック航空のチケットとロードス島旧市街の外にある瀟洒なビーチ・ホテルを予約してロードス島に飛んだ。

旧市街の脇道で、壁に花と緑が這う木製のバルコニーがある旧市街的な建物の小さなホテルが気に入り、即こちらへ映った。バルコニーから城壁がよく見えるのだった。


ホテルの2、3件隣のカフェではその店主の父親に出会った。
お嬢さん2人で始めたカフェで店番をしているのはいつも彼だった。背が低く、がっしりしていて、深く日に焼けて銀髪が光るギリシャのおやじ。1日に2度、3度とコーヒーを飲みに立ち寄るようになると、夜は毎晩夫と差しで飲むようになった。おやじさんの身の上話を聞かされているようだった。夫はいつもこうして年上の男から可愛がられる性格なのだ。
別れ際にはおやじさんは別れを惜しんで自分のコレクションを分けてくれた。今も我が家の家宝として大切に飾ってある。


今回、そのホテルとカフェを探すつもりだった。
ホテルの名前も、通りの名さえも覚えていない。
20年前、通貨はドラクマで、ネットは普及しておらず、店先に下がっている土産物も今のように一律ではなかった(ような気がする)。

ロードス島の旧市街の脇道は砂色の壁でどこも似たような感じだ。方向的センスだけは抜群の夫が「こちらのような気がする」と歩む先について行くと、ホテルがあった。記憶よりも小さかったが、バルコニーや壁の植物は昔のままだった。

夫はレセプションに座っている寝間着姿の老伯爵夫人かという風貌のマダムに20年前の話をした。ホテルはオーナーが変わり、改装もしたとのことだった。「前のオーナーはギターを弾く人だったけど...覚えてる?」と言われたが全く記憶になかった。


カフェはもうなかった。
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ミレトス






綿毛が道路脇の綿畑をどこまでも真っ白にしているその先、丘の上に巨大な劇場が見えてくる。

ミレトスの遺跡だ。

エフェソスには現代の町村があるが、ミレトスには周囲に村もない。

エフェソスの古代遺跡がよく整備されていて観光バスも客も多く、古代人がモザイクの装飾が美しい商店街の店先から飛び出してきそうな活気があるのに比べ、ミレトスの遺跡には柵もなく、観光客もほんの数えるほどだった。

劇場を離れると発掘中のグループに出会った。そのだいぶ先では小型ブルドーザーが石を動かしている。道なき道をたどってそのまた向こうのアゴラを見に行ったら、もう誰もいなくなってしまった。


ミレトスも現在の海岸線からは10キロほどひっこんでしまっているが、古代では港湾大都市だった。
青銅器時代から人が住み着いており、のちにギリシャの植民市になり大発展を遂げる。

エフェソス出身の哲学者ヘラクレイトスの「万物は流転する」を強く感じた。

一方ミレトスでは、持続的観測に基づく自然科学が発達した(ミレトス学派)。
アリストテレスはミレトスのタレス(「万物の根源は水」)を哲学の祖と呼んだ。
アナクシマンドロスは「万物の根源は無限なもの」事物の根源は無限のものである、と。万物はそこから生まれそこへ還る、と言った。

受験勉強的な薄っぺらい知識だが、わたしの薄っぺらい行動範囲においては結構便利で、何かに見当をつけるとっかかりになることもある。


目の前のイオニア式の柱廊のバランスが宇宙の摂理のように美しかった。

この9月、18歳の娘は親元を離れて医学部へ進学した。

このところ、彼女が小さかった頃を思い出しては、懐かしさと、母親である自分に対する忸怩たる思いと、娘に対して感じる誇り、そして時間を巻き戻したい寂しさに笑い泣きしていたのだが、なるほど、万物はどこかから生まれ、流転し、どこかへ還っていくのだ。
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