日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
彼を追いかけて 落日のヴッパータール
ロマンチストはわたしの別名。
彼を追いかけて、去年の12月は横浜と東京に夜間飛行...愛はミステリー。
今年はドイツ、西の街ヴッパータールへ。
産業革命で栄えたが、今はそうでもない控えめな街だ。
繁栄のその面影は今はもう薄いものの、この街が輩出した面々を見ると、当時の文化文明の爛熟がうかがえる。
今回のわたしの目的地ヴッパータールのオペラハウスも、そんなひなびた街のひなびた通りに突然現れる、過去の残火のようだった。
去年は、エンゲルスが生まれた街という豆知識だけ持って、ハノーファーまで行く途上でここで初めて一泊し、もう2度と来ることはないだろう...思いつつ(旅の途中に、ガソリンスタンドや、レストランやで小休止し、「もうここには来ることは2度とないだろう」と感じるのが好き)夕食をとった。
縁とは奇なものですな。
わたしを遠くまで旅させる、その彼の名はクリスティアン・ツィマーマン。
前回、エッセンでのクリスティアン・ツィマーマンのリサイタルのチケットを取った時にメールマガジンに登録しておいたおかげで、Maria João Piresの代打に立つという貴重な情報を知ることができた。
豪華なゲストで盛り上がる、Klavierfestival Ruhr(ルール・ピアノ祭)の一環である。
昨今、リサイタルの数がどんどん減っていくクリスティアン・ツィマーマンのリサイタルには、どこへだって飛ぶのだ。人生は短いのだ。
それはそうとリサイタルである。
Johann Sebastian Bach: Partita Nr. 2 c-Moll BWV 826
Frédéric Chopin: Sonate in b-Moll op. 35
Claude Debussy: Estampes L.100
Karol Szymanowski: Variationen op. 10
アンコールはRachmaninov Prelude Op.23 No.4 in D major
彼は自分のグランドピアノを持って演奏旅行する。「歯ブラシだって持って行きますよ」とおどける。
そして会場のアコースティックと、自分自身のコンディションに細心の注意と情熱をそそぎ、調整に調整を重ねるのだ。
彼は言う。「音楽は時間の感情である」と。
バッハのパルティータは飛ばしに飛ばし、わたしの好みの方向ではなかった(わたしはこのパルティータが大好きなのである)一方、ショパンのソナタとドビュッシーの「音楽は時間の感情である」性、時間の可視化、には今回も驚愕した。
まるで、自分自身も世界の高みにいて、世界の時間を五感しているような気がした。そうだなあ、古代ローマの詩人ウェルギリウスに案内されているダンテはこんな気持ちだったのでは...
特にショパンのピアノのソナタ2番(全編素晴らしい演奏、もちろん)の第四楽章を、こんなに完全でこんなに美しく、不可欠だと感じたのは初めてだった。
彼は去年12月の日本のリサイタルの後はニコニコだったのに、今回は笑顔もなく、とても疲れているようだった。
命を削るような演奏...
シマノフスキーで手を痛めたようで、痛そうにしてたし(練習に集中しすぎて歯を折ったというエピソードを持つ彼である)...
リサイタルの後、駐車場に戻ったら、目の前の建物裏口から彼が出て来、すばやく平凡なバンに乗り込んだ。
あまりにも早業だったので、夫はもちろん、他の誰も気がついていなかった。
あのバンに彼のスタインウェイを載せるのね...
そして夜の蒼いハイウェイをピアノのように滑走するのね...
昔は、自分で運転していたそうだが、まさかもうしていないだろう...
わたしは後をつけたかったのに(冗談です)、夫は付き合ってくれなかった。
彼を追いかけて...積乱雲のドイツ
ロマンティストはわたしの別名。
ケルン・ボン空港から車で20分、ベンベルグという田舎町の丘の上に建つ300年前のバロック様式の城。
ドイツには諸侯が建てたこのような城がいっぱいある...
そういった城を利用したこちらのホテルは、とてもシックというわけではないが(でも、ものすごくシックな2つ星レストランVendomeがある)、どんどん廃れゆく雰囲気が気に入ったので、今回も彼を追いかける本拠地にした。
今夜はここから45分かけて行きます...彼に会いに!
バレエ『冬物語』 春の来ない冬はない
The Winter’s Tale『冬物語』はシェイクスピア原作のバレエだ。
初演は2014年、あれはもう10年前...
Christopher Wheeldon が制作振付した 3幕作品は、1965年のケネス・マクミランの『ロミオとジュリエット』以来のシェイクスピア作品であり、英国ではやはり期待が大きかった。
10年前の初演時にこの作品を見た、当時14歳だった娘は、Christopher Wheeldon作品といえばのAlice's Adventures in Wonderland『不思議な国のアリス』に感銘を受けた後だったため、この作品を絶賛した。
14年しか生きていない人間に、この作品のどこがそれほど感動的だったのだろうか、と考えた。
最近、娘に質問してみたものの「覚えていない」と言う...
わたしは子供にはまだ早いとか、子供にはわからないだろうなどとかは、あまり思わないし、子供向きか難解かを基準にして娘に紹介したことはない。
小説でも映画でも芸術でも人生のその時点でしか受けられない衝撃はある。「全くわからない」というのは貴重な体験だ。
例えば、小学生だった娘にある小説を紹介したとき、夫は「この本はフランス革命が何か知らないと面白くないでしょう」と言ったが、わたしは「この本を読んでフランス革命が何かを知るのです」と言った。今もそう思っている。
今シーズン再び The Winter’s Tale『冬物語』を見て、わたしはこの作品の激しいコントラストに衝撃を受けた。
嫉妬と猜疑心で何もかも失うシチリア王の世界は「冬」、暗く、冷たく、まるで地下のようだ。王の狂気を表現する蜘蛛のように這う動き。
彼の子の世代が生きるボヘミアは、光と彩り、音楽、喜びと希望に満ちた「春」。地上の世界。螺旋のように複雑で、蝶のように飛んでいってしまうようなジャンプ。
このふたつの世界を取り持つのは、王妃の侍女頭であり、彼女は二つの世界を行き来する。さしずめギリシャ神話の「ヘカテー」。
ならば王妃は娘ペルセポネを奪われるデメテルと...つじつま合うなあ。
人間の営みには冬がある。しかし、必ず春は来る。
人間は成長して、次の次元に繰り上がらなければならない。
こういったストーリーの原型は世界中どこの神話、民話やおとぎばなしにも見られる。
とすれば、14歳の娘が惹かれたのも当然かもしれない。
下敷きにギリシャ世界があるのがわたしがこの作品を好きな点でもある。
気のせいではなく、衣装や舞台装置や登場人物の名前もそうなのです...
最後になったが、昨夜もわが女神Marianela Nunezは素晴らしかったです(王妃役)。
« 前ページ |