この週末は、南房総を堪能。
『北千倉 千倉神社祭礼』では二日間に渡って千倉全8区の神輿と山車が千倉漁港に集合し、
それぞれ自慢の輿と囃子を披露。
その威勢の良さと内輪な盛り上がりに、連綿と培われてきた文化の太さを感じた。
内向きの強さ…とでも言うのか、引き継いできた文化へのリスペクトが矜持となって肉体に宿っている。
それはどんなことがあっても此処千倉に戻ればやって行ける…と言う【ホーム】の強さ、コミュニティの強さ。
江戸までの日本には、そんな盲信があったように思う。それが黒船来航で外の目に晒され、一挙に崩れ落ちた。
盲信は他者を排斥するが、矜持の深さは度量の深さにつながる。円熟とは、そう言うものだ。
やはり、明治維新からの150年でこの国は徹底的に矜持を喪ってしまったのだろう。
この度量の浅さ浅薄さは、拠り所を失った民の動揺と共にあるわ。
#photobybozzo
【on_Flickr】0713_CHIKURA
『北千倉 千倉神社祭礼』では二日間に渡って千倉全8区の神輿と山車が千倉漁港に集合し、
それぞれ自慢の輿と囃子を披露。
その威勢の良さと内輪な盛り上がりに、連綿と培われてきた文化の太さを感じた。
内向きの強さ…とでも言うのか、引き継いできた文化へのリスペクトが矜持となって肉体に宿っている。
それはどんなことがあっても此処千倉に戻ればやって行ける…と言う【ホーム】の強さ、コミュニティの強さ。
江戸までの日本には、そんな盲信があったように思う。それが黒船来航で外の目に晒され、一挙に崩れ落ちた。
盲信は他者を排斥するが、矜持の深さは度量の深さにつながる。円熟とは、そう言うものだ。
やはり、明治維新からの150年でこの国は徹底的に矜持を喪ってしまったのだろう。
この度量の浅さ浅薄さは、拠り所を失った民の動揺と共にあるわ。
#photobybozzo
【on_Flickr】0713_CHIKURA