昔々のお話です。
ある男のアタマの上に丁度小羊ぐらいの大きさの雨雲がありました。
逃げれば追いかけてくるし、隠れてもずっと待っています。
結局いつもどおり 傘を持って今日もおでかけです。
仕事場をびしょぬれにして首になってしまいました。
泣きたくなって空を見上げたら
ますます雨足は強くなる始末。
「いっそ雨の降らない国に行けば喜んでもらえるかもしれないな?」
この男のアイディアは見事大当たりとなりました。
「ウチの村の畑にぜひ雨を」
「オイラの馬たちに水をやっておくれ」
毎日忙しくあちらこちらと駆け回って
楽しく村人たちと踊り明かしたりしました。
でも雲は日に日に小さくなっていき
とうとう「助けて」と叫びました。
あんなにめいわくしていたのに それを
みていたらかわいそうになってきて…。
男は村のみんなにだまって街に帰ることにしました。
そして今日もアタマの上に雨雲。
でもなぜか、もう気分まで濡れることはありませんでした。
●
織田作之助の「競馬」を読む。
「デカダンスというと、頽廃のことだと、ひとは思っているらしいが、
・・・デカダンスというのは、あらゆる未熟な思想からの自由という意味だ。」
実際、1913年から1947年の33年間の人生で、
そのほとんどを太平洋戦争の暗澹たる世相の内に暮らし、
それでも自分のスタンスを忘れず、検閲にもへこたれず、
だから戦後はいち早く流行作家にもなり、
それが元で喀血し、結核で夭逝するのだけど、
なんとも読後感が潔い。
22歳で知り合った妻「一枝」をベースに仕立てたであろう
「一代」と「寺田」の激しい恋物語。
カフェの女給「一代」の美貌に一目惚れした教師「寺田」は
一途に「一代」の元へ足繁く通い、彼女へ実直なプロポーズをする。
仏具屋の息子である「寺田」は「一代」との結婚に
両親から勘当を受け、なぜか職も失い、貯えだけが頼りとなるが、
まもなく「一代」が胸を患い、それが厄介なことに「乳ガン」だと知り、
乳房を削除するも直ぐさま転移し「子宮ガン」となり、余命宣告を受ける。
それでも「寺田」は「一代」に奇蹟を願い、妙薬を買い、壺を買い、仏を買い、
お百度参りを繰り返し、モルヒネを買い貯め、彼女の痛みを和らげようと躍起になる。
しかし「一代」はどんどん蝕まれ、最期は皮一枚となって、逝ってしまう。
…その状況描写が淡々としているところが、超越している。
病んだ妻「一代」の元に一通のハガキが送られてくる。
「明日午前11時、淀競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待ってる。来い」
用件だけがぞんざいに筆で書かれたハガキを見て、激しい嫉妬に襲われる「寺田」。
「一代」の死後、美術雑誌の編集を2年勤めた「寺田」だったが、
ある日作家が原稿料と引き換えに原稿を淀競馬場まで取りに来てくれ…との申し出が。
2年前の嫉妬が再燃、「一代」の男がいるはずだと血走った目で競馬場へ訪れる。
不器用な「寺田」は、ビキナーズラックの興奮を受け、途端競馬にのめり込み、
印刷料や原稿料、果ては家財もつぎ込み、淀競馬場に入り浸る毎日。
最終日、終いには「一代」の形見の着物を質に入れ、
「一代」との想いと共にやって来た…とばかり執拗に「1」の単勝買いを繰り返す。
すると同じように「1」の単勝買いをするヤサグレ男が。
こいつこそ「一代」の男ではないか…そんな嫉妬がますます「1」の単勝買いを助長する。
淀では決着がつかず、九州は小倉へ舞台を移し、そこでも「1」の単勝買いをくりかえす。
同じように「1」の単勝買いをしていた「インケツの松」も小倉に来て居て、意気投合する。
話を聞けば「一代」のコトをしっかり存じ上げており、
「競馬好きな女で、あれだけのカラダを持った女はいない」とのたもうた。
「寺田」は真っ青になり、翌日の競馬場では運も見放したのか「1」も来ない。
ついには最後のレースで有り金すべてを注ぎ込んで「1」狙い。
しかし願いの「1」馬は出だしで2馬身遅れ、すでに勝機なし。
絶望の叫びを上げたが、後ろで「インケツの松」が「いや、あの馬は、追込みだ」と遠くを睨んでいる。
第4コーナーであっという間に競り上がり、直線でアタマ一つ抜け出した。
そのまま200メートル逃げ切り、万歳!と抱き合って「寺田」は涙をボロボロ流した。
嫉妬も恨みもすべて流して「インケツの松」にしがみついている。
●
現在もアル意味、デカダンス。
そんな世の中でもベースはやはりハートだったり…する。
レインマンのお話も、織田作の「競馬」も、
等身大な感情が心持ちいい。
5月末に写真展を企画中。
心に残る写真をお見せしたい。
ある男のアタマの上に丁度小羊ぐらいの大きさの雨雲がありました。
逃げれば追いかけてくるし、隠れてもずっと待っています。
結局いつもどおり 傘を持って今日もおでかけです。
仕事場をびしょぬれにして首になってしまいました。
泣きたくなって空を見上げたら
ますます雨足は強くなる始末。
「いっそ雨の降らない国に行けば喜んでもらえるかもしれないな?」
この男のアイディアは見事大当たりとなりました。
「ウチの村の畑にぜひ雨を」
「オイラの馬たちに水をやっておくれ」
毎日忙しくあちらこちらと駆け回って
楽しく村人たちと踊り明かしたりしました。
でも雲は日に日に小さくなっていき
とうとう「助けて」と叫びました。
あんなにめいわくしていたのに それを
みていたらかわいそうになってきて…。
男は村のみんなにだまって街に帰ることにしました。
そして今日もアタマの上に雨雲。
でもなぜか、もう気分まで濡れることはありませんでした。
●
織田作之助の「競馬」を読む。
「デカダンスというと、頽廃のことだと、ひとは思っているらしいが、
・・・デカダンスというのは、あらゆる未熟な思想からの自由という意味だ。」
実際、1913年から1947年の33年間の人生で、
そのほとんどを太平洋戦争の暗澹たる世相の内に暮らし、
それでも自分のスタンスを忘れず、検閲にもへこたれず、
だから戦後はいち早く流行作家にもなり、
それが元で喀血し、結核で夭逝するのだけど、
なんとも読後感が潔い。
22歳で知り合った妻「一枝」をベースに仕立てたであろう
「一代」と「寺田」の激しい恋物語。
カフェの女給「一代」の美貌に一目惚れした教師「寺田」は
一途に「一代」の元へ足繁く通い、彼女へ実直なプロポーズをする。
仏具屋の息子である「寺田」は「一代」との結婚に
両親から勘当を受け、なぜか職も失い、貯えだけが頼りとなるが、
まもなく「一代」が胸を患い、それが厄介なことに「乳ガン」だと知り、
乳房を削除するも直ぐさま転移し「子宮ガン」となり、余命宣告を受ける。
それでも「寺田」は「一代」に奇蹟を願い、妙薬を買い、壺を買い、仏を買い、
お百度参りを繰り返し、モルヒネを買い貯め、彼女の痛みを和らげようと躍起になる。
しかし「一代」はどんどん蝕まれ、最期は皮一枚となって、逝ってしまう。
…その状況描写が淡々としているところが、超越している。
病んだ妻「一代」の元に一通のハガキが送られてくる。
「明日午前11時、淀競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待ってる。来い」
用件だけがぞんざいに筆で書かれたハガキを見て、激しい嫉妬に襲われる「寺田」。
「一代」の死後、美術雑誌の編集を2年勤めた「寺田」だったが、
ある日作家が原稿料と引き換えに原稿を淀競馬場まで取りに来てくれ…との申し出が。
2年前の嫉妬が再燃、「一代」の男がいるはずだと血走った目で競馬場へ訪れる。
不器用な「寺田」は、ビキナーズラックの興奮を受け、途端競馬にのめり込み、
印刷料や原稿料、果ては家財もつぎ込み、淀競馬場に入り浸る毎日。
最終日、終いには「一代」の形見の着物を質に入れ、
「一代」との想いと共にやって来た…とばかり執拗に「1」の単勝買いを繰り返す。
すると同じように「1」の単勝買いをするヤサグレ男が。
こいつこそ「一代」の男ではないか…そんな嫉妬がますます「1」の単勝買いを助長する。
淀では決着がつかず、九州は小倉へ舞台を移し、そこでも「1」の単勝買いをくりかえす。
同じように「1」の単勝買いをしていた「インケツの松」も小倉に来て居て、意気投合する。
話を聞けば「一代」のコトをしっかり存じ上げており、
「競馬好きな女で、あれだけのカラダを持った女はいない」とのたもうた。
「寺田」は真っ青になり、翌日の競馬場では運も見放したのか「1」も来ない。
ついには最後のレースで有り金すべてを注ぎ込んで「1」狙い。
しかし願いの「1」馬は出だしで2馬身遅れ、すでに勝機なし。
絶望の叫びを上げたが、後ろで「インケツの松」が「いや、あの馬は、追込みだ」と遠くを睨んでいる。
第4コーナーであっという間に競り上がり、直線でアタマ一つ抜け出した。
そのまま200メートル逃げ切り、万歳!と抱き合って「寺田」は涙をボロボロ流した。
嫉妬も恨みもすべて流して「インケツの松」にしがみついている。
●
現在もアル意味、デカダンス。
そんな世の中でもベースはやはりハートだったり…する。
レインマンのお話も、織田作の「競馬」も、
等身大な感情が心持ちいい。
5月末に写真展を企画中。
心に残る写真をお見せしたい。