【竹野小城】
藤原邸を1955年に請け負った大工・田口五八郎さんに当時の話を聞く。
御年82歳、当時は15歳…という時代の家づくりは、何もかも手仕事。
大黒柱と梁を継ぎ、立てる作業も人力。ほぼ全ての建材が自家用材で、竹野の木。
木挽きも大工も左官も瓦も漆も、全て竹野の職人。
驚いたのが施主の役割で、工事期間中の職人の寝泊まりと食事&風呂の用意、
左官が盛る土壁の水ごねも施主の仕事ということ。
身の丈の粋を集めた財と匠の集大成が『邸宅』であり、
家を建てること即ち「生き様」の如き趣きがあったのだなぁと。
その専門性が見事に剥ぎ取られ、匠なくとも建てられるのが今の『邸宅』で、
30年保てばOK…となれば、68年前の粋も見事に平準化し、文化も壊滅するワケで。
人間が機械化し、身の丈を極める生き様も失われた現在において、
『個』だけが屹立した共同体では、文化も育たず、
人間性も育まれないのだとガッテンした次第。
「幸せとは何か?」を求めて家出した
五八郎さんの若かりしエピソードなども聞くと、
この現代社会の疲弊ぶりに天を仰ぐわ。
#photobybozzo
藤原邸を1955年に請け負った大工・田口五八郎さんに当時の話を聞く。
御年82歳、当時は15歳…という時代の家づくりは、何もかも手仕事。
大黒柱と梁を継ぎ、立てる作業も人力。ほぼ全ての建材が自家用材で、竹野の木。
木挽きも大工も左官も瓦も漆も、全て竹野の職人。
驚いたのが施主の役割で、工事期間中の職人の寝泊まりと食事&風呂の用意、
左官が盛る土壁の水ごねも施主の仕事ということ。
身の丈の粋を集めた財と匠の集大成が『邸宅』であり、
家を建てること即ち「生き様」の如き趣きがあったのだなぁと。
その専門性が見事に剥ぎ取られ、匠なくとも建てられるのが今の『邸宅』で、
30年保てばOK…となれば、68年前の粋も見事に平準化し、文化も壊滅するワケで。
人間が機械化し、身の丈を極める生き様も失われた現在において、
『個』だけが屹立した共同体では、文化も育たず、
人間性も育まれないのだとガッテンした次第。
「幸せとは何か?」を求めて家出した
五八郎さんの若かりしエピソードなども聞くと、
この現代社会の疲弊ぶりに天を仰ぐわ。
#photobybozzo