#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Dec_03】正門鉄橋前

2013-12-10 | Photo-diary
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【Dec_03】渋谷駅前

2013-12-10 | Photo-diary
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【Dec_09】路上から世界を変えていく

2013-12-10 | PHOTO
路上から世界を変えていく
every_stroller_can_change_the_world
 日本の新進作家vol.12

大森克己林ナツミ糸崎公明鍛治谷直記津田隆志

会 期: 2014年1月26日 ( 日 )まで
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【Dec_09】高谷史郎個展“明るい部屋”

2013-12-10 | PHOTO
高谷史郎_solo exhibition_明るい部屋_CAMERA LUCIDA
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10 December 2013 - 26 January 2014
Tokyo Metropolitan Museum of Photography
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都写美の内覧会で「路上から世界を変えていく」と、もうひとつ観た展示。実はこっちが度肝抜かれた。
「暗い部屋(暗箱)」=カメラ・オブスクラ(camera obscura)だけが、写真ではない…
白日の下にさらす明るい部屋=カメラ・ルシダ(camera lucida)で写す写真もあるはずだ
…という提示の仕方で、世界を切り取った写真が並ぶ。

暗箱と明箱_そこにどんな違いがあるのか・・・。図録における柄谷行人氏の文章で、合点がいく。

  谷川俊太郎は数年前、新聞のインタビューでつぎのようなことを話していた。
  多くの人がいまだに、詩は「自己表現」だと思っている。しかし、そうではない、詩は「詩的」ではないのだ…と彼は言う。
  詩とはいわば、言葉を「もの」として示すことである、と。
  谷川俊太郎は、「呪われた詩人」から最も程遠い詩人である。
  いいかえると、ナルシシズムから最も程遠い詩人である。
  「呪われた詩人」が他者の欲望に駆られた者であるのに対して、谷川には自分の欲望がある。
  言葉を「もの」として示すこと、がそれである。

  わたしの考えでは、それは次のようなことを意味する。
  通常、言葉は意味、感情、対象などをあらわす手段であると見なされている。
  したがってまた、言葉は自己表現の手段でもあるとみなされる。
  それに対して、言葉を「もの」として示すのは、
  それを手段ではないものとして開示することであり、言葉にそれ自身の存在を与えることだ。

  高谷史郎の写真についても、同じことがいえる。
  それは、自己表現を目指していない。
  それが目指すのは、対象を「もの」として示すことだ。
  それが高谷の欲望である。このような欲望を持つ芸術家は、実は稀有である。

カメラ・ルシダで切り取られるフレームの中の世界は、とてつもなく美しい。
暗箱が宿命的に背負ってしまう闇の部分がすべて白日に晒され、
何の衒いもなく目に映る世界を提示しているからだろうか?

柄谷氏はこう語る…
  「暗箱から生み出される写真には、仕組みとして鏡の観念が常に入り込んでしまう」と。

ナルシスが水鏡に写った自分の姿に陶然となったように、鏡の観念の中では、この世界を完全に客体化することができない…と。
しかし、明箱という仕組みにおいては対象を「もの」として提示することができる。
谷川俊太郎が言葉を「もの」として提示するように。
まさに高谷氏の写真は、この現実を完全に主体と切り離して「うつくしい“もの”」として切り取ったカタチで成立していた。

このアプローチにひどく感銘したのは、他でもない。
先日、ダンサーとの雑談の中で、“ダンスは言葉だ”というフレーズに引っかかっていたからなのだ。
谷川俊太郎が言葉を「もの」として提示したものが【詩】であるとするならば、
身体を「もの」として提示したものが【ダンス】だといえるのではないか。
それは鍛え上げられ十全に把握された己の肉体であるからこそ、可能であるアプローチ。
谷川も同じように十全に言葉を把握しているが故に、「もの」として提示できるのだ…と。

この発見には、鳥肌がたった。

高谷史郎氏の「明るい部屋」。
物凄い要素が詰まった展覧会であった。
こちらも01/26まで。
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