今年は異常とも思われるくらい、全国規模で大雪による被害が拡がっています。
今朝は久し振りに快晴となりました。
今日は「防災とボランティァの日」です。
私にとっても11年前の1月17日は忘れられない日なのです。
そうです、悪夢のような阪神淡路大地震が発生した日です。
当時私たちは京都のマンション住まいでした。早朝5時46分に突然の出来事・・・
この後は先刻ご存知の大惨状でした。 以下 省略
とても家でジッとしてられなくて、二人で話し合い私たちで出来る事「そうだ!あったかいものを作ってあげよう!」と、友人達と総勢10人くらいで長田地区に1500人分の炊き出しに繰り出しました。
その時、被災者でありながら私達の炊き出しを、当時小3・小1年の兄弟がチョコマカと側でお手伝いをしてくれました。
その時は皆、余裕もなく名前も聞かず「有難う 元気でね」と、別れました。
京都に帰り、「私には何が出来るのだろう?」と自分に問いかけました。
当時、女らしい事が一切苦手でその中でも洋裁は特に苦手な分野でした。
長くなりそうなので明日につづく。
今朝は久し振りに快晴となりました。
今日は「防災とボランティァの日」です。
私にとっても11年前の1月17日は忘れられない日なのです。
そうです、悪夢のような阪神淡路大地震が発生した日です。
当時私たちは京都のマンション住まいでした。早朝5時46分に突然の出来事・・・
この後は先刻ご存知の大惨状でした。 以下 省略
とても家でジッとしてられなくて、二人で話し合い私たちで出来る事「そうだ!あったかいものを作ってあげよう!」と、友人達と総勢10人くらいで長田地区に1500人分の炊き出しに繰り出しました。
その時、被災者でありながら私達の炊き出しを、当時小3・小1年の兄弟がチョコマカと側でお手伝いをしてくれました。
その時は皆、余裕もなく名前も聞かず「有難う 元気でね」と、別れました。
京都に帰り、「私には何が出来るのだろう?」と自分に問いかけました。
当時、女らしい事が一切苦手でその中でも洋裁は特に苦手な分野でした。
長くなりそうなので明日につづく。
祖母の一番下の妹さんが長田区に住んでいました。
長屋の住宅だったのですが、
年も年だったし・・借り上げ住宅に慣れなくて入院。どんどん弱って行ったそうで亡くなりました。
出来ること・・なかなか難しいです。
早く新曲のボクニデキルコト♪で癒されたいです!
こういう非常時にサテ自分に出来る事といえば中々難しいのが現実ですね。
結局は一人ひとりの意識が大切で、小さい事でも行動を起こす!というのがあの時の若い人のボランティァを見て思いましたよ。
今までの私の経験の中で一番他人がステキに映った瞬間です。