私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

漱石の吾輩は猫である

2009-08-05 12:48:44 | Weblog
 豪渓の絵ハガキの事については、またまた置いといて、中村不折が挿絵を描い夏目漱石の「吾輩は猫である」について少々書き綴ってまいります。

 漱石がこの小説を書いたのは明治38年(1905)1月の俳句雑誌「ほととぎす」です。
 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかない。・・・・」
 と言うあれです。その時の雑誌を、私は、又、持っていますのでお見せします。

        

 この猫さまの見た人間模様を、漱石一流の書き振りで、面白ろおかしく書き綴った小説が「吾輩は猫である」です。

 若い時分から何度となく読んだのですが、いつも気になる漱石の書き振りがあります。
 「・・・吾輩の尊敬する筋向の・・・」に続く文章です。

 「白君は先日玉の様な猫子を8疋生まれたのである」という文章があります。正しくは<生んだのである>でなくてはいけないのではと思って、漱石もはやり人の子だと、思いながら一人で、これ又、悦に入っています。

 まあ、そんなことはどうでもいいことですが、この猫様の中には大変難しい言葉がたくさん出てきます。今も辞書を片一方に置いて読んでいます。

 獰悪な、偖、おさんの三馬を偸んで、抔、後架、波斯、酷いなどという字が文の中に見え隠れするだけでもうろうろする始末です。
 また、こんな文章も目に突き刺さります。どう解釈したらいいでしょうか?

 <果然彼は墻壁の缺所に咄喊して来た>
 などと言う、やたら難しい文章です。
  
 さて、こはいかにである。

 まあ、でも面白い小説であることには間違いありません。そんな難しい込み言った解釈が必要なところはスーッ飛ばしていきます。

 次に、この明治38年(1905年)1月号の「ホトトギ」に載った「吾輩は猫である」の中に描かれた中村不折の挿絵をご紹介します。

   

なんとなく柔らか味のある、これこそ明治の絵だと、感じる挿絵ではないでしょうか

 漱石は、子規に頼まれて「ホトトギス」の1月号だけに載せる小説をと言うことで、この猫を書いたのだそうです。そんなに1年半もの長い間、続けて書く予定は漱石にはなかったということです。
 この1月号の猫さまがあまりにも有名になりすぎて、続けて書かざるを得なくなったと言うのが現実だということです。
 なお。この初版本、上・中・下の3冊で、現在では、300万円もの値段が付けられているそうです。「坊ちゃん」と共に、それだけ有名な日本を代表する作品になったのです。