私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「吾輩は猫である」と姉のとん子

2009-08-26 09:42:17 | Weblog
 「坊ばは暴君である」様子を見てきました。次に、姉のとん子の食事の有様をご紹介します。まずは本文を。

 「姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪(りゃくだつ)されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻繁(ひんぱん)に御はちの方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目である。」

 やっぱり、とん子は長女だけあって我慢する心が見え、微笑ましい姉妹愛を思わずにはいられません。坊ばのなすがままなのです。
 
 「とん子は御はちの蓋(ふた)をあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらく眺(なが)めていた。これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦(こ)げのなさそうなところを見計って一掬(ひとしゃく)いしゃもじの上へ乗せたまでは無難(ぶなん)であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入(はい)りきらん飯は塊(かた)まったまま畳の上へ転(ころ)がり出した。」
 
 こんな小さな頃から、ご飯は自分でよそっていたのです。ここらあたりの躾も大分現代と様相を異にしています。
 「まあなんとお行儀の悪い、もっとお上手に」とが「それそれこぼれた。まあきたない。やめなさい」
 とか何とか、お小言ばっかりで、母親がすぐ茶碗を取り上げてしまうから、子供たちの経験が乏しくて、何時まで経っても上手にならないのです。そのくせ
 「なんて忙しいのだろう。まるで戦争だね」
 と、母親は、いつも愚痴ばかりこぼしているのです。
 
 なお、「御はちの蓋」「茶碗の上をこいたら」、何んて言葉ご存じですか?生活の変化に伴い死語がやたらと増えてきたのは、いいことなのでしょうかね。

 次に進みます。さて、畳の上へ転(ころ)がりした飯の行く末はといいますと、簡単に解決済みになります。
 
 「とん子は驚ろく景色(けしき)もなく、こぼれた飯を鄭寧(ていねい)に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。少しきたないようだ。」
 
 なかなか生活力の豊かな「とん子」です。経済観念がもうちゃんと備わっているのです。「もったいない」と。でも、猫から見ても少々きたないと思えるようなことでも、子供たちにとっては、生活全般からすでに身に沁み込んだ「もったいない」と言う感覚の方が勝っていたのだろうと思われます。と、屁理屈を書いてみたのですが、案外、あっさりと元にあった処へちゃんと戻しただけなのかもしれません。

 現代ですと、「こぼれた物を拾うなんておぞましい賤しい者のすることだ。」と、決してあってはならないお行儀なのだと散々に叱られること間違いなしです。
 でも、明治の御代には、堂々と生活の中に密着していた食習慣だったのです。

 これら昔のお話を読んでみますと、生活習慣の変遷がよく分かります。この「吾輩の猫」に書かれているような生活の姿は、戦前までは、普通の家庭で普通に見られていた特別なしぐさでも何でもなかったんです。それが現代では、何もかも大きく変化して来たのです。