私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「吾輩は猫である」と姉のとん子②

2009-08-27 10:37:29 | Weblog
 畳の上にこぼれ落ちた飯を丁寧に御はちの中に入れた長女のとん子です。これを見た「吾輩の猫」すら「少々きたない様だ」ど、うそぶいています。
 そんなとん子でも、さすがに姉だけのことはあります。その文を見てください。

 「坊ばが一大活躍を試みて箸を刎(は)ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了(おわ)った時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御(ご)ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速(さっそく)坊ばの顔の掃除にとりかかる。」

 この図がそっくりそのまま不折先生の挿絵に描かれています。坊ばの横長の顔にくっついている御ぜんに、姉とん子の左手がさっと動いて行きます。「顔が御(ご)ぜん粒だらけよ」と、言う声が画面いっぱいに響いているようです。将に「名画」です。こんな生き生きとした挿絵は、他には見られない最高傑作な作品だと思います。
 ゆっくりと、再度、ご覧ください。
    
         

 「第一に鼻のあたまに寄寓(きぐう)していたのを取払う。取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。」

 猫でさえ驚くべき少々きたないことが、朝食の風景の中に描き出されています。食事の時のお行儀なんてものは、苦沙弥先生のご家庭にあっては、無きも等しい事柄なのです。


 「それから頬(ほ)っぺたにかかる。ここには大分(だいぶ)群(ぐん)をなして数(かず)にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。」

 「残らず食べてしまった」とありますので、あっという間の出来事だったのでしょう。そんなに珍しいことではない、いつもやっているからと言うより、慣れていたものですから、あっという間にすんでしまったのだと、読む人はだれしも思います。
 こんなごく身近などこでも見られる風景が書かれています。「お茶の味噌」の学校に通っているような家庭の子供もこんなんかと、庶民一般の人が安心して読んだことも偽らざる事実だということです。