私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「吾輩は猫である」と衆議院議員選挙

2009-08-23 08:56:15 | Weblog
 衆議院議員選挙と「吾輩は猫である」?  
 どんな関係があるのと思われるかもしれませんが、豈図らんや、大いに関係があるのです。まあ、読んでみてください。

 もうこのあたりで苦沙弥先生の3人娘のことは、他所にしようかと思ったのですが、再度読んでみて、今までには余り感じなかった面白さが年と共に増してきたような気になりました。
 
 明治の人たちが、“いずれも同じ秋の風か”と、面白可笑しゅう読んだだけのことはあります。
 当時、どこの家でも展開されていた、ごく普通に見られていた風景が、漱石先生の本の中にも見られるのです。あの偉い漱石先生の家でも「こんなんか。何だ自分の家だけかと思っていたのに、ちょっともちがやあへん。同じことだんべ」と、何か安心したのでしょう、村上春樹の「IQ84」そこらの話ではありません、みんな競うように買って読んだと言われています。

 まあ、本を出して御読みくださいと言っても、なかなか時間もないことだろうと思いますので、ここに2,3回に分けてその一部を、苦沙弥先生の3人娘の言動の部分だけでも、載せて置きます。時間と興味のあるお方は見てください。

 まず、不折先生のその部分の挿絵(昨日掲載済み)です。



 「・・・・楽しそうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利(き)かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸(はし)と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪(にく)い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄(がら)にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽(ほうが)しているのである。その因(よ)って来(きた)るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶(くんとう)で癒(なお)せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。
 
 軽いタッチのそれとなく書きなでるようなすらりとした書き振り、なんとも言いようのない漱石先生一流の描写力です。
 
 「・・・世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄(がら)にもない官職に登りたがるものだが・・・・・」
 と、漱石先生は書いています。
 
 今、衆議院議員の選挙たけなわ。私の家の前の道を
 「私がいなかったなら国の政治はよくなりません。是非、よろしくお願いします」
 と、やたら大声をがなりたてながら通り過ぎて行っています。
 これらの人にこの一文を捧げたいと思うのですがどうでしょう・・・・。

 どうでしょうか。此の何ら関係のなさそうな2つの間にも、多少とも関係があるように思われませんか。