私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「吾輩は猫である」と挿絵⑦

2009-08-22 08:09:08 | Weblog
        

 この絵が初版本「吾輩は猫である」の口絵です。

 ちょっと、これもご存じのこととは思いますが、ご紹介しておきます。
 
 吾輩のご主人「苦沙弥先生」には、3人のお子様がおられます。いずれも女の子ばかりです。長女は「とん子」、この子は「御茶の味噌の学校」に、二女「すん子」と一緒に行っています(幼稚園です)。三女「坊ば」は、まだ、三歳です。顔を洗うのでも平気で雑巾でごしごしとやるような超自然児です。 この子たちの顔の描写がとても面白いので、これ又、ご退屈でしょうが、書いてみますのでお読みください。


 「・・・主人は一応此三女子の顔を公平に見渡すした。とん子の顔は南蛮鉄の刀の鍔の様な輪郭を有して居る。すん子も妹丈に多少姉の面影を存して琉球塗の朱盆位な資格がある。只坊ばに至っては独り異彩を放って、面長に出来上って居る。但し竪に長いのなら世間に其例もすくなくないが、此子のは横に長いのである。如何に流行が変化し易ったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。・・・・・」

 と、みそくそに書き表わしています。
 
 この「とん子」などが、よく「吾輩」のしっぽを掴んで遊ぶことがあるのです。それを、不折先生は数ある吾輩の風景の中から、わざわざ選んで、「こんなものを敢えて口絵にしなくても」と、吾輩は猫の声が聞こえてきそうですが、堂々と掲げています。

 なお、此の3人娘についての挿絵がこの初版本に載っていますので見てください。

         

 不折先生は、漱石先生のようにこの娘たちの顔について破天荒には画いてはいません。自由で天真爛漫な家庭の様子を描き出しています。こんな姿は、何時の時代にも何処でも見られた家庭の風景であったのです。が、それがいつの間にか、小子化という特別な波に飲み込まれてしまって、自分の過去は完全に忘れてしまって、「家庭の躾」と言う名のもとに、「みっともない、世間様に笑われる」と言う意識が過剰に成りすぎて、残念なことですが、何千年と続いたであろうこの絵の中にあるような風景が、何時の間にやら日本の家庭から、きれいさっぱりと消えてなくなってしまったのです。
 躾と言う名のもとにです。
  
 だから、こんな絵を見ると、年寄りの私には昔が懐かしく感じられます。しかしあと何年か後の人が、こんな絵に接すると、なんてお行儀の悪い、家庭の躾ができてないのだろうと驚きの声を上げながら批判的に見入ること間違いなしと思いながら見ています。