始めて漱石が、子規の依頼で「吾輩は猫である」を「ホトトギス」に投稿したのは明治38年の1月でした。
このホトトギスには以後(十一)まで「吾輩は猫である」が掲載されます。最初は一回だけで終わる予定だったようですが、その猫様の猫様ならぬ生きざまが好評を博したので、その後、十回もの長きにわたって連載されることになったのだそうです。
挿絵を担当した画家も不折先生をはじめとして、勿論、月村さんも加わります。そのほか2,3人の画家の挿絵も見ることができます。
でも、不思議なことですが、この「ホトトギス」に載っている「吾輩は猫である」の挿絵の中には、主人公である猫の挿絵が一枚もありません。昨日取り挙げた「ステーションスケッチ」にしても、すべてが物語とは関係のない挿絵ばかりです。
どうも猫様に対して申し訳ないような気分がしてなりません。猫様に同情しながらいつも読んでいるのですが。
このホトトギスには以後(十一)まで「吾輩は猫である」が掲載されます。最初は一回だけで終わる予定だったようですが、その猫様の猫様ならぬ生きざまが好評を博したので、その後、十回もの長きにわたって連載されることになったのだそうです。
挿絵を担当した画家も不折先生をはじめとして、勿論、月村さんも加わります。そのほか2,3人の画家の挿絵も見ることができます。
でも、不思議なことですが、この「ホトトギス」に載っている「吾輩は猫である」の挿絵の中には、主人公である猫の挿絵が一枚もありません。昨日取り挙げた「ステーションスケッチ」にしても、すべてが物語とは関係のない挿絵ばかりです。
どうも猫様に対して申し訳ないような気分がしてなりません。猫様に同情しながらいつも読んでいるのですが。