次に不折の絵葉書「三鈷の淵」を紹介します。
この絵について、中村不折は、次のように言っています。
「豪渓は山や岩ばかりでなく、谿が中々ものになって居る。ここを本当に研究すれば、雪舟のような大家になれること印紙を貼って保證する」
と。
どうです。よく見てください。そういわれると、いかにも雪舟を意識した絵とは思われませんか。筆の流れ具合や薄墨の中の岩などの描き方なんかを見ると、「いかにも雪舟だな」と、強く感じられませんか。
雪舟の修行した井山の宝福寺から、この豪渓までは距離にすると8kmほどです。それほど近い豪渓を描いて、備中生まれの偉大なる先人雪舟に対して、それも「印紙を貼って」などという漱石流のしゃれた言葉を使って敬意を表しています。
なお、不折が描いた「三鈷の淵」なる所が、現在もそう呼ばれているのかどうかは不明です。谿が大きく周りの花崗岩を侵食し嵌入蛇行して流れている場所が2,3か所ありますが、そのうちのどれかをそう呼んでいたのかもしれません。
でも、三鈷と名がつくような谷川が特別に三つに分かれて流れている場所はないのではと思うのですが。
この「三鈷」とは、「三鈷杵」と呼ばれている真言密教の仏具の一つです。
これもまた、余談ごとですが、この三鈷杵についてこんな言い伝えが高野山には残っているそうです。
中国で修行を終えられた弘法大師が、師から頂いた三鈷を日本めがけて東の空に投げ上げます。その三鈷杵が飛んできて落ちた場所が高野山だと言われています。そこに空海は真言密教の道場を建てたのだそう。
此の高野山に、今でも、何代目かの、中国から飛んできた三鈷がひかっかった木「三鈷の松」を見ることができます。
この絵について、中村不折は、次のように言っています。
「豪渓は山や岩ばかりでなく、谿が中々ものになって居る。ここを本当に研究すれば、雪舟のような大家になれること印紙を貼って保證する」
と。
どうです。よく見てください。そういわれると、いかにも雪舟を意識した絵とは思われませんか。筆の流れ具合や薄墨の中の岩などの描き方なんかを見ると、「いかにも雪舟だな」と、強く感じられませんか。
雪舟の修行した井山の宝福寺から、この豪渓までは距離にすると8kmほどです。それほど近い豪渓を描いて、備中生まれの偉大なる先人雪舟に対して、それも「印紙を貼って」などという漱石流のしゃれた言葉を使って敬意を表しています。
なお、不折が描いた「三鈷の淵」なる所が、現在もそう呼ばれているのかどうかは不明です。谿が大きく周りの花崗岩を侵食し嵌入蛇行して流れている場所が2,3か所ありますが、そのうちのどれかをそう呼んでいたのかもしれません。
でも、三鈷と名がつくような谷川が特別に三つに分かれて流れている場所はないのではと思うのですが。
この「三鈷」とは、「三鈷杵」と呼ばれている真言密教の仏具の一つです。
これもまた、余談ごとですが、この三鈷杵についてこんな言い伝えが高野山には残っているそうです。
中国で修行を終えられた弘法大師が、師から頂いた三鈷を日本めがけて東の空に投げ上げます。その三鈷杵が飛んできて落ちた場所が高野山だと言われています。そこに空海は真言密教の道場を建てたのだそう。
此の高野山に、今でも、何代目かの、中国から飛んできた三鈷がひかっかった木「三鈷の松」を見ることができます。