今日は5・15事件の76回目の記念日です。
1932年5月15日午後5時ごろのことであったと言う。海軍の青年将校の一部が首相官邸に討ち入り、当時の首相であった犬養毅 木堂を、「話せば分る。いや問答無用」のもとに、数発の銃弾によって暗殺してしまった事件です。
当時、軍部のでっちあげによって起きた満州事変(1931)がまだ解決を見ておらず、騒乱の世の中です。一旦は、政界から身を引いていた木堂を再び首相に祭り上げなければ収まらない日本の国内事情があったようです。77歳という高齢で日本の首相に着いたのです。
孫文と親交があったということも手伝って、
(木堂記念館にある孫文からの手紙)
木堂は、この事変の日支双方の円満解決への道を探っていたという。それにはどうしても、軍部へのてこ入れが必要でもあるのです。この干渉が、軍部には大いに不満であり、その干渉を排除するために暗殺という非常手段に訴えたのです。
きしくも、事件後の今年は、木堂の年齢と同じ時間が流れました。吉備津にある木堂広場に建っている犬養木堂の銅像は、今何をみて、どうお考えになっていらっしゃる事でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8e/e235c87947a443a90e74d773b2e0293e.jpg)
今日、午後から神社では木堂の銅像の前でお祭りが行われます。
私は、朝、ささやかですが、そっとこの像に「杜若」の一輪をお供えておきました。その足で、川入りにある木堂のお墓にもお参りしてきました。ここではもう法事は済んで、側にある生家や記念館には大勢の人で賑わっていました。
1932年5月15日午後5時ごろのことであったと言う。海軍の青年将校の一部が首相官邸に討ち入り、当時の首相であった犬養毅 木堂を、「話せば分る。いや問答無用」のもとに、数発の銃弾によって暗殺してしまった事件です。
当時、軍部のでっちあげによって起きた満州事変(1931)がまだ解決を見ておらず、騒乱の世の中です。一旦は、政界から身を引いていた木堂を再び首相に祭り上げなければ収まらない日本の国内事情があったようです。77歳という高齢で日本の首相に着いたのです。
孫文と親交があったということも手伝って、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/63/e219c7c0f03a75a0cef0746a940a0ff3.jpg)
(木堂記念館にある孫文からの手紙)
木堂は、この事変の日支双方の円満解決への道を探っていたという。それにはどうしても、軍部へのてこ入れが必要でもあるのです。この干渉が、軍部には大いに不満であり、その干渉を排除するために暗殺という非常手段に訴えたのです。
きしくも、事件後の今年は、木堂の年齢と同じ時間が流れました。吉備津にある木堂広場に建っている犬養木堂の銅像は、今何をみて、どうお考えになっていらっしゃる事でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8e/e235c87947a443a90e74d773b2e0293e.jpg)
今日、午後から神社では木堂の銅像の前でお祭りが行われます。
私は、朝、ささやかですが、そっとこの像に「杜若」の一輪をお供えておきました。その足で、川入りにある木堂のお墓にもお参りしてきました。ここではもう法事は済んで、側にある生家や記念館には大勢の人で賑わっていました。