私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 32

2008-05-19 10:51:20 | Weblog
 部屋の中は静まり返っています。お園は、しばらく、どうしたらいいのか分らず、まず、手始めに障子でも開けてみようかなと立ち上がります。
 「開けんで」
 と、鋭い声が飛んできます。
 「外は緑がきれいですけど・・」と、小さくうなずいて、又、その場に座ります。
 何かを話しかけるのがいいのか、それとも、何も言わないでこのままいるのがいいのか、どうしたらいいのか見当も立ちません。
 ふと思いました。あれは福井の婚家を去り、宮内に帰ってきたあの時です。例え父母であろうと、誰の顔を見るのも、また、誰と話をするのもすべてがいやで、兎も角も一人っきりで、誰とも逢いたくなく、一人でじっとしていたかったことを。
 きっと、このおせんさんも、あの時の自分と同じで、何かの理由で、今は、唯一人で、誰にも邪魔されずに自分だけの殻の中にじっと閉じこもってしまいたいのではと思います。
 少しは時間が掛かるでしょうが、しばらくその場を少し離れているのがいいように思い、次の控えの間に、ただ黙っていざるように下がります。真っ白い障子を通して初夏の日の光が薄らと入ってきます。そよ風でしょうか楓の梢を揺らしているのでしょう影が障子に動きながら映っています。
 お園は、ただ、黙って何も言わないで待ちます。おせんの方から声をかけて来るのを待つのが、おせんと会話が出来る一番の早道ではないかと、自分の過去から考えた結論でした。ただ、そうして待つことが今の自分に与えられた仕事なのだとは思いますが、その時を待つのが如何に気長な辛抱の要ることなのかということも分りました。
 あの時も、継母である美世はじっと待ってくれていました。「なんて冷たいお人だ」と、怨んでいた自分の至らなさが身に沁みて思い起こされます。自分への接し方が本当の我娘のように大切に思っていたらこそできた事ではなかろうかと、おせんの前に、ただ、じっと待っているだけの自分と比べながら思うのでした。
 「おかあさん」と、これが本当の母を慕う心であるのだろうと思いながら、声にならない声を心に出して言ってみました。
 これから、果たして、どうなるのかもお園にも見当すら立ちませんが、今はただこうして待つことだけなのです。おせんも、相変わらず、うつろにただ座っているだけです。障子に映る楓の影が桟の一目一目へと刻々と動いていくだけで、後は何一つ部屋は動いてはいません。総てが元のままで静かです。この静けさこそがこいさんの心を癒してくれる今一番の特効薬であるようにも思えました。誰にも邪魔されずに自分の心の葛藤を打ち破る事が出来る最高の時ではないかとも思われます。