私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

こどもの日 端午の節句です

2008-05-05 08:49:06 | Weblog
 今日は、こどもの日です。「端午」の節句です。この端午とは五月の始め(端)の午の日又は五の日の事で、男の子の節句です
 粽、菖蒲、蓬、鯉幟、武者人形などを飾るのが端午の節句の定番だったのですが、 今では、何処を捜しても見当たりません。
 私の生まれた中国山地の山間の村々では、今日、五月五日には、何処の家でも、出入り口に薬玉を束にして結わえ付け、屋根には菖蒲の葉と蓬を束にして投げ上げていました。また、新聞紙で作った兜をかぶり、縁側に並んで、山から取ってきたその年のみずみずしい香立つ柏の葉でこしらえた出来立ての柏餅を、ふうふうと息をかけながら、食べた思い出があります。
 そんな風習は、近頃は何処の家にもありません。この吉備津でも菖蒲の姿は見ることもありません。まして、屋根にほうりあげられるなんて。そん慣わしがあったことすら人々の間から忘られてしまっています。
 
 そうそう。こんな思い出が私にはあります。
 
 あれは、確か、戦争が済んだ時だったと思うのですが、ある夜、近所の子供達が用水の側のやや広い裏道に集まって、花火をして遊んいました。打ち上げ花火も当然その中にあったのだと思います。誰が打ち上げたのかはわかりませんが、そのうちの一本が、不発のようになって近くにある栗林を通り過ぎて、どこかへ飛んで行ったは記憶に残っています。
 その夜の花火も済んで、もう蚊帳の中に入って寝ていた時分だったと思います。隣の家が火事だというので大騒ぎになりました。幸い発見が早かったので、麦わら屋根の1㎡ぐらいを焼いただけのぼやで済みました。原因は子供達の花火遊びで、打ち上げに失敗した栗林を飛び越えて飛んでいった花火だったらしいのです。
 どうも、その燃え上がった屋根の辺りに、その年の端午の節句に投げ上げた菖蒲が、まだ、ずり落ちずに屋根にそのまま残っていたというのです。
 「屋根に今まで残っていた、あの菖蒲が大火事になるのを防いだ」
 と、地域の年寄りから言い聞かされて、幼い私どもも菖蒲の威力を大いに感じさせられました。
 その焼けた所だけを新しい藁で葺き代えた円形の形が何時までもその家の屋根に残っていて、
 「花火をするときは、よう気ィつけんといけんでえ」
 と、いつも言っていた母親の顔とともに、何時までたっても忘れず、五月五日には、柱の傷ではないのですが、思い出されます。
 
 こんなの話は、今ではする人もなくて、端午の節句に菖蒲を屋根に葺くという事とともに完全にこの世の中から消えてしまっています。

 さて、今日は旗日です。こんな美しい風景を吉備津で見つけました。