私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 27

2008-05-10 13:48:39 | Weblog
 「さあ、暖かいのをお一つ」と、おかみさんが大旦那様に勧めます。そのお酒をお受けになられて、
 「人が生きていくのは考えてみれば難しゅうおますな。いっぱいのなんや知らんけど約束事がおまして、窮屈な世の中どすなー。宿世なんていっても、しょせん、人様がおつくりにならはったものと違うのかいなと思いますねん。その宿世というもので、みんな、自分に降りかかった災難というのか、なんと言ったらよろしゅうおすのか知りしまへんけど、不幸というのかもしれまへんな、そんなものをなんとなく諦めてしもうておるのと違いますやろか。・・」
 そう言うと、手にした盃を見つめられたから、ぐいっと、さもうまそうにお酒をお飲みなさいます。
 「うまい酒どすな、女将さん。・・・・どうでしゃろ。お園さん、わいと賭けをしてみまへん。お園さんのと、わいのと、どちらが本当の宿世であるのか。神さんだけしか知っておへん。神様にお尋ねしてみようじゃおませんか」
 「神様に尋ねて見るといっても・・・」
 お園さんはそんなの出来っこありませんという風に、大旦那様のこの申し出に怪訝な顔をして尋ねます。
 「神さんにです。それしか方法があらしまへん。・・・ここのお宮はんにはお竈殿という吉兆を占う神さんがいてはると聞いています。どうどす、占ってもらいまひょ。お竈の音が大きく鳴りよったら、これは吉どす。平蔵と一緒になりなさいというお告げどす。もし鳴らんようなら兆です。平蔵さんに諦めてもらいまひょ。どうどす。お園さん。神さんに、いいのか悪いか決めてもらいまひょ。平どんも納得しよりますさかい。そうさせておくれやす」
 お園さんは、しばらく黙って考えていました。立見屋のご主人も女将さんも、大坂の大旦那様が持ち出したお竈殿の占いに随分と驚かれている様子でした。平蔵は平蔵で、漆黒の闇のおにぎり山の中に一旦は消えていったお園さんが、再び、こちらにちらりと顔を向け、一歩自分のほうに近づいてきたようにも思えます。不思議なことですが、おそい十六夜の月でしょうか、山の頂から、その時、顔を出して真っ暗のお山が一瞬の光に包まれ青黒く輝きます。
 「どや、神さんにどちらがほんまか占もうてもらうのやさかい、文句はありゃへんやろ。お園さん。・・・立見屋はんも文句はおまへんやろ。お上さんはどうどす」
 二人ともどう返事していいのか判断がつきかねるように押し黙ったままです。
 「お園、私もお前のと大旦那様のとを比べて、どう判断したらいいのかはわかりません。折角、ああ言ってくださっている大旦那様に従って、占ってもらってみたら。わしも、ここ当分、あそくで占ってもらったことはなかったけえ、ついでに占ってみてもろうてもいいような気もしている」
 「おばあさまは大変賢いお人であったから、言われた事には間違いはないと思います。でも、ようわからんが、大旦那様が言われるように、この際、一度お竈殿で占ってもらうのもいいんじゃあないかなー。行く行かんは、また、別問題にして」
 「そうだす。おとっつぁん、おっかさんもああ言っておられる。占ってもらいまひょ」
 お園はしばらくの間、どうしたものだろうかと迷うのです。お竈殿の占の事を持ち出されて言われた大旦那様の老獪さに、決して打ち負かされたのではないのですが、大旦那様や父母の言葉を聞きながら、宿世とは、結局、そんなものではないだろうかというき気分にもなります。
 今までに何回も、何か困った事があった時は、いつも吉備津様に来てお願いしていました。おばあさんが息を引き取る間際も、どうぞ生かしてくださいと、一心にお願いしました。その甲斐があって、最後は、本当に安らかに、私の膝の上で、眠るように大往生されました。これも吉備津様の御陰だと思っています。福井から帰ってきた時もそうです。「いいよ、いいよ、元気をおだしと」と声をかけてくださったようでもありました。これまで何度も何度も、お助けいただきました。
 今度の事も、吉備津様にお縋りして見るのもいいのではとも思います。そんな思いがあちらこちらと心の中を駆け回っていましたが、結局、ゆっくりと、大旦那様のほうに向き、頭を下げます。