私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 36

2008-05-26 19:42:00 | Weblog
 それっきりでで、再び、部屋は、おせんがお園の方に身体を向けているのを除けば、二人だけの以前と同じ黙りこくった時間が流れます。
 じっとりと額に汗がにじみ出ます。今日も暑くなりそうだなと思った途端です。
 「お園さん、障子開けまひょか」
 と立ち上がり、締め切ったままになっている障子を開けます。部屋に外の明るさと一緒に涼しい風も飛び込んできました。幾日振りかの外の空気もです。燕でしょうかさっと向こうに飛んでいくのも見えます。
 「あ、燕がもう来ていてはります、お園さん、はようはよう」
 と、子供のように手で招きます。お園も近づいておせんが指差す方を見ます。二羽の夫婦燕でしょうか、そこら辺りをそれこそ縦横無尽に、行ったり来たりしながら飛び交っています。
 「うらやましゅうおへん、お園さん。思ったところへ何処にでも行ける燕が・・・」
 「燕でも雀でも羽がある鳥は羨ましいですね。何処へでも飛んで行けるのですから」
 「お園さんは、今、平蔵さんのところへ飛んで行きたいのでぇしゃろ。うふふふ」
 お園は、又、顔を真っ赤にしながら、いやいやをするように小さく顔を左右に振ります。
 「まあかわいい、お園さん。どうして、直ぐに、そんなに真っ赤になるのどす」
 それがきっかけとなりました。
 おせんのどうして、どうしてという問いかけが山のように続きます。その都度、真っ赤になったり、下を向いたりしながらおせんの話をもっぱら聞きながら、ただ「いえちがいます」とか「そうですね。そうかもしれません」と、最初の頃は、ごく簡単に返事をするだけのお園との会話でした。
 今まで、この部屋で自分の気を張り詰めて、どうすることも出来ない問題を自分自身の体の中に閉じ込めて来ていたおせんですが、何か言うと直ぐに顔を真っ赤にして恥ずかしそうにめいるようにするお園さんに、なんだか安心して話をすることが出来るのではないかという雰囲気を感じたのかもしれません。今まで長い間、黙りこくっていたのもを、この機会に一挙に取り戻せるのではと思えるような話し振りです。
 そうなってくると、「そうです」「ちがいます」といった簡単に相槌を打つだけでは話が進まなくなってきます。かえって、お園の話の方が長くなったりもします。
 平蔵と一緒になったこと、お竈殿の占いのこと、宮内の昔話のこと、子供の時のこと、宮内というところ、桜のことと、いくらでも後から後から、この「どうして」と言う言葉以外の話題が多く入ってきます。
 次から次へと際限なしかと思われるように、二人の話が進むのです。お園自身も、この2、3日おしゃべりをする機会がありませんでしたから、似たもの同士と気があったからでしょうかいくらでも会話が続きます。
 だが、不思議なことですがお園の離縁については、一切、おせんは口にしませんでした。おせんが知らないのか、それとも聞くのが悪いから話の中に入れないように意図的に避けていたのかは分りませんが、問われたらどう答えようかなと、気には掛かっていましたが、おせんの「どうして」の中には、最後まで入ってはきませんでした。


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