![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b4/7f91cc47ba8653a204a7ccd1e1344874.jpg)
さて。
揖斐まで来たからには...行かねばなるまい。
わが心の思い出の地に。
それは、名鉄600区間の廃線跡...。
このブログでも何度か出てきますが、名鉄600V区間は、思い入れが大きいのです。
とくに揖斐・谷汲線は、もう20年以上前、高校時代に猫澤君を監督に8mm映画を撮影した場所。
高校生当時のなけなしのお小遣いを使い果たし、一体何度通ったことか。
そしてクルマを持てるようになってからも、身近なGTの場所として、
幾度も行った場所、それが名鉄600V区間なのです。
なのでもちろん岐阜市内線も、美濃まで伸びていた美濃町線も、すべてが大好きでした。
揖斐線の黒野から先と谷汲線が平成13(2001)年に廃止になり、そしてそれ以外の600V区間も、
このブログに取り上げられている通り、平成17(2005)年にすべて消え去りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b7/e94fc458bf09912fe31347f141cf8a22.jpg)
xantiaで行ったとき。たぶん1998年。北野畑にて。
そう思うとここにはMR2(AW11。最初のieの愛車。)、xantia、猫澤君のルーテシア、
とかいろんなので訪問しています。
いま、再び見直されている路面電車。
しかも、路面電車と郊外電車両方の特徴を備えていた名鉄600V区間は、
ひょっとして新しい公共交通の姿を示せたのかもしれません。
ですが、名鉄と、岐阜県は、維持を選ばなかった。
結果、沿線から岐阜駅への流入が減り、クルマ利用に流れ、岐阜市内の商店の客数が
かなり減ってしまったそうです。
鉄道は無くしたらもとには戻らない。
さて。この話は長くなってしまうので、先に進みます。
養老鉄道の揖斐駅から、旧名鉄谷汲駅を目指します。
揖斐駅の近くには、名鉄の本揖斐駅があったはずなのですが、
本揖斐駅はまっさらで跡形もないという情報を得ていたので、
保存車両置き場と簡単な博物館のようになっている谷汲線の谷汲駅に行く事にしました。
自分たちが通ったころの谷汲駅と違う<平成8(1996)年に新築>んですが、廃止時のままである
ことはありがたいですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/07/11a5fd0c8100c3b9d2c0a59d9c689352.jpg)
駅構内には、谷汲線で最後まで活躍したモ750(755)が保存されています。
大事に屋根までつけてもらっていて、この電車を愛した(大げさ^^;)ieには
嬉しい限りです...。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d1/d62b7e92ffa63ecc413fa5b2d998eeb6.jpg)
モ750は、昭和3年に名古屋鉄道(旧名古屋鉄道)が日本車輛で製造させた由緒正しい「名鉄の生き字引」のような電車でした。
ちょうどこの日は保存会の方がいらしていて、オフ会をされていたようす。
でも車内には入れていただけました。
ちなみに、こんなサボの展示までしてありました。
モ510で使われていたものでしょうか。
「やながせ号」「ハイキングながせ号」は昔運転されていた列車だったように思うので
これはレプリカなのかなあ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b6/bda9da46f025ef596470e9cc16d629c9.jpg)
で、実は谷汲駅にはモ510(514)も保存されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5a/3161247dee6bc8e92b64e472703a0948.jpg)
旧美濃電セミボ510型、なんと1926(大正15)年製!
製造後80年以上もたつのに、ここまでの美しい保存状態に感謝...!
そしてこの電車が現役時代に乗れたこと、見れたことは幸せでした。
1967(昭和42)年揖斐線~岐阜市内直通に抜擢(この時点で製造40年^^;)された際に
2+1配置のクロスシートに改造された車内も、往時のまま残されています。
しばし座って、思い出にふけってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/7b/894bb45aef58a46eae9ea26fb7f1460a.jpg)
さてさて。
名残惜しいのですが、この日は帰る日。
でもまだ、ここまで来たら見ないといけない場所がいっぱいある。
保存されている車両には、また会いに来ればいい。
そう思ってC5に戻り、次なる場所へ向かったのでした...。
またまたつづく。
>>黒野方面の線路はぷつりと切れています...。これだけでも十分切ない気持ちにさせられたのに、
さらに追い打ちを掛けるような景色を目にするとは、このときまだ思いもせず、でした...。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b0/dffbfdfe33cb0546b46d5e84646fc80b.jpg)
>>トップ画像は、2CVに乗っていたときに書いた絵です。これ見ても、自分で
モ750(というか、名鉄600Vの車両全般)を愛していたことを感じます...。
新関-新田間の直線道路に9-5を止めて、後ろを通過するモ800を背景にした写真を撮ったのが懐かしい思い出です。
http://www.ne.jp/asahi/fsato/615/gifu200412/DSCN96020000.jpg
モ510には乗らずじまいでした・・・。
>新関
あの区間(美濃町線)もせつない状態になっていました...。
自分のクルマと電車を同時に収めるのって大事ですよね。いい記録になります...。
当時一緒に通った友人も、このブログに来て下さる方々(鉄+仏車乗りが多いんです~ほそモールさんもそうですよね♪)も、
懐かしい思いで見てくださっていると思います(^^;