ところで、ieが最近買ったVISA、正規ものなので、あたりまえなのですけど、
西武自動車扱いのクルマだってことに、ふと気がつきました。
その西武自動車(新西武自動車)と言えば、
1960年代の半ばから、2002年(西武自動車としては1995年まで)まであった、
日本の輸入車に多大な影響を与えた偉大なるインポーターでした。
残念ながらいまはもうありません。
西武自動車販売は創業当初は横浜に本社を置き、シボレー・ホールデンを輸入していたのですが、
1971年ころ、にフィアット・フェラーリ・シトロエン・サーブを扱っていた
「西欧自動車」を吸収合併したことによって、シトロエンやサーブの販売を始めた経緯があります。
フィアットの販売からは撤退、フェラーリに関してはコーンズに販売権を譲渡、
そして、1977年からは新東洋企業からプジョーの取り扱い引き受け、
ここで僕らが思う、「西武=シトロエン、プジョー、サーブ」のイメージがかたまります。
60...なんだっけ?な604も、西武で入れてました。
xantia。京都にて。1998年。
その後1995年、なんと!西武自動車はアメリカ・クライスラーの日本法人である
「クライスラージャパンセールス」に吸収合併されてしまったのです!
でも、西武はシトロエンへの愛を捨てられなかったのでしょう、
ジープの販売会社となった際に、シトロエンの輸入販売を続けるために、
新西武自動車を設立したのでした。えーん、泣ける話です。
その一方でサーブは、ミツワに取り扱いが移り、さらに1997年からはヤナセが輸入販売を開始、
新西武はマツダ(というかユーノス)がシトロエンの販売から撤退したあとも
日本におけるシトロエンの総輸入代理店としてがんばったのですけど、
2002年、シトロエンがついに日本法人「シトロエン・ジャポン」を設立。
輸入権をシトロエンジャポンに移行させたことで新西武はシトロエン事業から撤退することになり、
ここで西武-新西武自動車の歴史は終わることになったのでした(涙
小生の2001年型C5 2.0。エアコンは30度以上で効かないし、LDSも漏れっぱなしだけど、
まだ乗ってますよー!元気です(汗)。新西武もの!
で、これまたふと思い立ち、過去所有車(実家含む)のインポーターをまとめてみたのですが...。
・JAX/2台(R5バカラ、R19TXE)
・日英/1台(スッド1.2ti)
・ミツワ/1台(サーブ900ターボ16)
・伊藤忠/1台(スッド1.5スーパー)
・キャピタル/1台(縦R5GTL)
・ブルーライオン/1台(プジョー206XT)
・西武・新西武/7台(VISA GT、プジョー505 V6、ZX 1.8ブレーク、xantia V-SX、C5 2.0、
実家のBX19TRSとxsara1.6SX)
・チェッカー/1台(パンダ1000CL)
・並行/1台(2CV6チャールストン)
ということで、西武・新西武が突出してました...!
...それにしても、西武自動車って、すごいと思います。
イチインポーターなのですけど、
日本に魅力ある輸入車を根付かせた功績は相当なものです。
それまで本国仕様でなく、アメリカ仕様の4灯丸ライトや牙を抜かれた排ガス対策、
無粋な5マイルバンパー装着をされた「北米仕様」が日本に入っていたころ、
西武は基本欧州仕様のまま、日産からの技術協力なども得つつ自社で触媒を開発し、
クーラーも単なるつりさげる場合以外も504などではダッシュに違和感なく埋め込む等しただけでなく、
外観は本国の黄色く濁るオメメの欧州仕様で日本に入れるようにしてくれたりしていたのです。
美しきかな505。西武自動車の手でなければ、北米仕様が日本に入っていたのかも!?
>>ちなみにie、西武といえば、すごく小さいころから「クハ1411萌え」って言ってました。
相変わらず、いやな子供ですw
>>これがクハ1411。電動車を持たない、制御車だけのグループです。
>>戦災復旧という名目だけど、まんま戦前のクハ55と同じ設計で、昭和30年すぎても作っていた、
なんとも西武らしい電車です。好きだったなあ。
>当時のセゾングループのオシャレなイメージと
フランス車が見事に合致してましたね
ですね、その点、西武とシトロエンプジョーは相性が良かったですね。
>スペシャル「
それは知りませんでした!
フランス車が見事に合致してましたね。
「おいしい生活」などのCMの影響もあり、
セゾングループにすごく憧れてました。
でも、自分が2CVを買ったのは並行店でしたが…
スペシャルが欲しかったけど、西武はチャールストンとクラブだけだったんです。
遅くなりましてすみません!
>クライスラージャパンに吸収されたその瞬間―堤イズムが音を立てて崩れ去りました!
たしかに、西武の扱い車とはずいぶん傾向が違いますものね。JAXがVWを扱った結果なくなっていったように、その瞬間、西武自動車の命運も決まっていたのかもしれません。
>そうした「レベルの低い」モータリゼーションに一石を投じる事をieさんにお願いしたいです。
ありがとうございます。こればかりは価値観なので、押しつけても難しいのです。
ですが、ひたすら発信しつづけて、ひとりでも多くの方に、チリ合わせやシートアレンジより、シート自体の作りや乗り心地にカネをかけるほうがいい、と思ってもらえるようにしていきたいと思っています。
CAMERAさま>
>過去所有車歴、すごいですね!
ありがとうございます(汗
乗り散らかしとも言いまして(大汗
>自分のメガーヌⅠフェイズ2は無事、17万キロを突破いたしました
すばらしい!こんどのVISAは果てしなく乗るつもりです!
エナガさま>
>アメリカで505を何台か見ましたが、4灯のデザインの悪さはami6並みでした(苦笑)
ですよね...西武自動車万歳!
のびさま>
>シトロエンジャポンに在席されているそうです。本当にフランス車の好きな人です。
自分がxantia時代にお世話になっていた烏山の新西武の営業マンの方も、
シトジャポに移られていま、青山にいますよ!なんかいい話です!
けんじさま>
>西武・新西武はやっぱし気概があるよなぁ~って思ってました。
そうそう、気概!たしかにそうですね。片手間って感じではまったくないですものね!
でも当時JAXとかも、本気でしたよね。
GF-D9さま>
>当時の国産車との差はかなり開いているな
と思いました。たとえば雨の日の高速を飛ばし
た時の安心感など。
それはいまでもそうですよね。結局、国産のクルマと欧州車の差は縮まってない...いやむしろ
開いてるようにも思えますね。
Aruさま>
>西武自動車のシールのついたXantiaを見かけましたよー
ある意味ディーラー遺産ですね!自分もがんばって乗り続けなきゃ!
>ローバージャパンのステッカーが貼ってあるプジョー205なんかも好きです
あーたまらないですねー(涙)ARJ扱いとかもう。。。まだあるのかしらー!
>不安定なインポーターにあったのだろうと改めて思います
ルノーがそうでしたね...空白の数年間が大きかったようです。
*tomoちゃん>
>http://diary.non-sense.jp/?eid=348064
包装紙がこのレベルだもん!文化水準の高さを感じるよね...。西武、いまはなんだか普通な感じになってしまった(涙
やうじさま>
>CX、SM、2CVが普通にいた
素晴らしい時代ですよね...。それが当たり前だったという事実!
>私は「旧型電機萌え」でした
わかります!当たり前すぎて、写真とか撮らないんですよー!
>堤清二に足を向けて寝れませんね。
そうなのです。クルマだけでなく、日本の文化に貢献してる度合が凄い...。
《》 nekさま>
>昔のインポーターの
お話を聞くとこれはもう立派な歴史だなあと
思います。
メーカーの資本があるならまだしも、またドイツ車ならまだしも、シトロエン、プジョー、サーブという
これまたマイナーなクルマたちを売るために
彼らが取った努力、戦略ってすごかったと思うんですよね。
いまとは時代が違うのでなおさらです。
ほそモールさま>
>堤社長自ら社用車がプジョーだったらしい
604でしたっけねー。堤社長が好きだったのかしら。
>この老人なクルマチョイスっぷりww。
うひひ、いいですなー、そういうとこw
乗っていました。毎月だったか忘れましたが
ヤナセの会報誌が送られて来て、オーナー
紹介などを見ると、ほぅー自分の世界とは随分
違うな(全体にセレブっぽい)と当時の若造は
思いました。しかし、たかが大衆車のゴルフ
でも当時の国産車との差はかなり開いているな
と思いました。たとえば雨の日の高速を飛ばし
た時の安心感など。
今、自分が持っている西武と関係あるものは
ズバリ、SAISONカードだけです。
スズキでプジョーやオートザムでランチアって、どうしても片手間な感じで。
ユーノスはインポーターとしては結構頑張ったと思いますけど、地方のディーラーは異業種からの参入が多かったですしねぇ・・・
ちなみにうちのAXも西武モノでした!
その時の営業Iさんは、その後、モーターホームの会社に出向したり苦労されました。しかし、現在はプジョー。シトロエンジャポンに在席されているそうです。本当にフランス車の好きな人です。
アメリカで505を何台か見ましたが、4灯のデザインの悪さはami6並みでした(苦笑)
ヨーロッパ仕様でよかった!
自分のメガーヌⅠフェイズ2は無事、17万キロを突破いたしました。
PS:マイバイク、CD125、手放してしまいました。もう年ですので重いバイクは扱えないので。でも、ちょっと後悔しています。
同時にこれは、日本人の民度の低さ.....「外国といえばアメリカ」「∴外車といえばベンツ/BMW/サーブ/シトロエンをさしおいて、GM/フォードにクライスラー(orシボレー/ダッジ)」という情けない田舎者のセンスが被って見えてなりませんがそれって果たして偏屈でしょうか?
小生がこう言うのも、実は自分自身がヨーロッパ車信奉者で、速度無制限のアウトバーン/馬車時代からの歴史/レベルの高いユーザーetcと連なる「高速性能・一次/二次安全性」がモノを言う文化圏に育まれたヨーロッパ車こそがクルマだと思って生きてきたためであり、1970年代後半の時期にそれまでブルーバードU1600GLを愛用していた父親にアウディ80GLEを買わせたのも小生なら、1986-87年頃に「ナイトライダー」が流行った時期に友人がナイトライダーの話題で持ちきりなのを「フン!アメ車の世界なんて」と「意図的に拒否して」自分はベンツやビーエム、アウディにルノーにサーブetcが一番なんだと「自分のキャラ」を打ち出したのも小生でした。
この話には実は続きがあり、そんな高校生のある日学校でVWゴルフ/アウディ80のサービスマニュアルを読んでいた小生に向かって、ゴルフGTIを指して友人「このクルマ何?もしかしてホンダのシティターボ?」と口走る.....対して小生「バカモン!IQが高い俺様がホンダだスバルだアメ車の世界なんかマークするか?人の顔を見てものを言え!!」と相手の手の甲をCDのケースでバコン!と叩いたぐらいだから「思春期にしても」プライドが高く反面切れやすかったと自己分析できます。
かくも「高性能・高水準のシャーシ性能・熟考された安全性」をヨーロッパ車のシノニムと考えていた小生にとって、アメリカ車など「乗用車と遠足のバスほども違う」「carとvehicleほども離れた」「ヒトとサルほども距離がある」存在と捉え、そうしたセンスに自分のアイデンティティを見出してきたものです。
新西武自動車が生まれてシトロエンの扱いを始め、「元祖」西武自動車はジープチェロキー他クライスラー車を売るようになった―この時、多くの日本人は欧州車だシトロエンだと言われたところで、それらの真髄などまあ全くと言って良いほど判っておらず、「時速160-180でアウトバーンを疾駆しても十二分に保たれるステアリング/ブレーキの安全性」「170km/hで中東の洗濯板上の道を疾駆しても最後の最後まで保たれるトラクション」なんかよりもただ「みんなとワイワイディズニーシーに行ける」ことの方がよっぽど有難いのであり、だからこそミニバンやSUVの方を求めていたと確信できますが如何でしょうか。
この「速いも遅いも関係ない」文化こそ今日の日本のミニバン文化の基盤であり、そうした「レベルの低い」モータリゼーションに一石を投じる事をieさんにお願いしたいです。
>>ちなみにie、西武といえば、すごく小さいころから「クハ1411萌え」
私は「旧型電機萌え」でした。
所沢に行けばごろごろいたためか、こちらも写真がありません(泣)
http://diary.non-sense.jp/?eid=348064
私も、実に西武の子なのです。
(Xmは西武でもsaab93はヤナセだけどね 笑)
こうやって見ると、イラフラ車がドイツ車ほど根付かなかったのが、不安定なインポーターにあったのだろうと改めて思います。
そーか、ieさんちのC900はミツワ時代のなんですね。
ieさんがエグザンティアだった1998年、私はベンツの300DTでした。この老人なクルマチョイスっぷりww。
そしてモハ501(20m)萌えでした。実車に乗ることはなかったですけれども。
だらけになった昨今、昔のインポーターの
お話を聞くとこれはもう立派な歴史だなあと
思います。
そうか西武自動車の功績って考えてみたら
すごいですね。
シトロエンは2台乗りましたが、偶然にも
どちらもユーノス物でした。
父親が乗っていた83年のSAAB 900 APC turboが
今思えば西武物のはずです。
桜新町のショールームがなつかしい^^
セゾン美術館、WAVE、パルコ、アクロス、リブロポート、トレヴィル、無印良品、アール・ヴィヴァン、シネ・ヴィヴァン、シネセゾン、CLUB QUATTRO、ロフト、イルムス…
堤清二に足を向けて寝れませんね。