Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【てつどう】満鉄の行き残り「プレニ」を見に行く。

2009-07-05 | てつどう。

満鉄生き残りの蒸気(プレニ)が日本にある...

そんな情報を手に入れ(って全然シークレットな情報では無いんですがw)、
向かったのは茨城県伊奈町の「きらくやま公園」...


ってなんでこんなところに、な気持ちはありましたが、
たしかに、いました。プレニが!





プレニ、は「プレーリー型二番機」の意味です。
日本でいえばプレニの役割に相当するのはC56や、C11といった
入れ替えや支線用の小型機とでもいうポジション。

でも満鉄は標準軌なので、入換機なのにでかいでかい...





ちなみにプレニには日本製と現地製があって、
この保存機がどちらかは厳密にはわからないそうです。
説明板には「日本車輛製」ってありますが。





独特のテンダ(スローピングバック・テンダ)。
大連埠頭での入れ替え用につくられたプレニには必須の、後進時の視界確保を考えた設計。
C56のテンダも同様の思想です。



ちなみに「満鉄」ですが。


南満州鉄道 株式会社
(みなみまんしゅうてつどう、略称:満鉄、英語名:South Manchuria Railways Co.)は、
日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部(旧満州)に存在した
日本の国策会社である。
鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満州経営の中核となった。
大連、のちに新京に本社がおかれ、東京に支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。

(wikipedia「南満州鉄道」より)


歴史的な問題はここではおいておき、
日本が満州で行った「先進的な事業の数々」に、
我が国の「すごさ」を垣間見れる気がするのです。


満鉄は鉄道事業だけをしていたのではなく、あの当時から高速道路(未成だが)や
ダムを建築するなど、インフラの整備も行っていました
(その技術や整備されたものは今でも中国東北部が重工業で盛んになった礎となっています)。
要するに、技術を持っていても、小さな島国・日本では出来なかった。
そこで、大陸規模に合わせてそれを思う存分に具現化出来たのが満州。
「壮大な日本の実験場」と言うことが出来るのかもしれない。


だから、満鉄は、すごかった。
カーブが多く、トンネルや橋梁がないとまっすぐ線路も敷けず、
1067ミリの狭軌で車体設計や最高速度に制限もある日本では出来なかったことを
思いきり形にしているのではと思います。
超特急構想が新幹線開業30年以上前に具現化していたのですから
(そう思うと戦後20年内に新幹線を開業させていることもすごい)。

一例が、超特急「あじあ号」。大陸縦貫特急ともいえましょう。
海外列強に日本の技術力を見せつけるように、
大連-新京を平均時速82.5km/h・最高時速120km/hで走り抜けました。
当時の日本国内最速の列車は平均時速60.2km/h、最高時速95km/hですから、
その違いは明らか。
最高速度などが技術力の指針だったころ、
日本の鉄道技術は世界に通用するのだと訴えるには日本国内の列車では不可能だったのですね。

機関車「パシナ」は全長25m、高さ4.8m、動輪直径2m、全備重量200t(!)を超える超大型機。
しかもあじあ号の客車は密閉窓で冷暖房完備!
あの当時で、です。
日本、すげえ。


>>ちなみに、この公園、すごくわかりにくい場所にあります...(涙

>>プレニ、自重90tもあるそうです。これって87tのD51よりも重い!
す、すげえな大陸蒸気(涙
コメント (4)
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【てつどう】憧れの近鉄。やばい、近鉄マジでかっこいい

2009-06-17 | てつどう。


近鉄が大好きです。
唐突ですが。
ほんとに好きなんです(誰も聞いてないよそこまでw



関東在住のieにとって、関西民鉄はつねに憧れの存在です。

マルーンの車体の美しさと普遍的なデザインに感銘する阪急。
圧倒的な「上質感」は、ほんとうにうらやましい。

見事な緩急接続、各駅用と優等用の車種を明確に分けている阪神。
海沿いの下町をぐんぐん走る感じは、どこかしら京急にも似てる。

美しいグリーンの2トーンと優美なデザインの京阪。
カーブの多い複々線区間をうねって走る2600系とか見たら死にそうになります。

高野線と南海線、2つの顔を持ち、山岳路線は17mしか入線出来ないとか、
車両は関東系メーカー製なのにそれを感じさせない南海...などなどありますが、
その中でも近鉄は、特に憧れる。


それはなぜか...。


1)ネットワークがすさまじいこと

・国鉄/JRでもない一鉄道会社で、大阪-名古屋間の路線を持っていること。


2)特急のネットワークもすごいこと

・あまりに広範の運転なので、たとえば少数(総数8両)の汎用特急車12600系などには
そうそうに会えない...。


でもこの間の出張で名古屋で捕獲...感無量。

・特急用だけで電車が400両以上もある...すげえよ!


12200系。一時期は160両を越えていた系列。いまも100両以上はあるはず?
なのに、なかなか遭遇しない。ieはあえて名阪間移動にすら乙特急を選ぶのに、
来るのは22000系ACEばかり(がっかり)。恐るべき近鉄のネットワーク。


・15編成60両もあって時刻表上ではそこそこ運転されているはずのビスタカーに
さえめったに会わない...。広範囲を走っているが故。

・北陸本線や博多界隈の特急も真っ青な高頻度運転。

・大阪-名古屋、大阪-伊勢、名古屋-伊勢、京都-伊勢、京都-奈良など、
路線網を駆使したまさに「近畿日本鉄道」の名前の通りの特急の運転網。


3)車両が独特の世界観を持っていること

・作りが丁寧。作りこみもいい。デザインも凝っている。


地下鉄用ですら品質感では他社より大幅によいと思う(神戸や福岡もすごいが)。
中央線乗り入れ用の7000系。


・独特のデザイン、ドア配置、設計。もはやひとつの「国」の鉄道のよう。

・近畿車両の看板的な要素を持つのか、試行が多く、しかもそれを
何らかの形で導入すること(LCカー、VVVF制御など)。

・膨大な形式の数。現役形式だけで...いくつだ?
団体用とか入れたら、100近くはあるんじゃないのかな?

・細分化された形式が多く、(1233系、5209系、2610系など。
とくに1400番台は細かすぎて、何がどこまで違うのか把握できん)たまらん。

・脈絡のない形式付番がすごい!
例えば、1400系の2連バージョンは1200系、3連バージョンは2050系。
2050系ということは2000系のバージョン違いか?と思われるが、
実際には2000系はビスタカーII世・10100系の機器を流用している車両で、
界磁チョッパの制御に新しい車体を持った2050系とは、
3連であること以外まったく関係が無い!こんなのが多い。

同様に、1000系と1020系はこれまた何の関係もない...。
前者は名古屋線向け旧性能車の足回りを用いた車両で、
後者は奈良線京都線用のVVVF車。
でも、十の位が進む2400系-2410系-2430系は、
それぞれ2400系のマイナーチェンジ版なのだ。

このように、十の位が進むときに、マイナーチェンジのときと
全然関係なく「あいてる数字」をあててる的なときがあって、
もう、わけがわからんところが、たまらん。


これが1000系。


厳密には1020系ではないが、外観はこれに準ずる。1000系と1020系には系列、系譜、形式上何の関係もない。


4)車両に、鉄のこころを揺さぶる要素が多いこと

・21m級の大型車体、広軌(標準軌)。その圧倒的な存在感。

・異形式併結が日常茶飯事。
なので、異なった設計の車体どうしが一編成を組む。


3扉クロスの5200系と古いデザインの2410系2連とか組むんだぜ、これ反則技。かっこよすぎ。やばい。

・基本的に古い車両も大事に使われている。

・(特に)8810系以前の肩の丸いデザイン世代の醸し出す雰囲気。


2410系。2400系をラインデリア化したため10番形式が進んだ。1968年デビュー。まだまだ現役。

・基本的に2両~4両程度の短編成ばかりであること。

・標準車としてE231系的なる車両が大増備される昨今で、近鉄はシリーズ21という
まったく新しい新世代シリーズを用意。これがまたハイクオリティな電車で、
つくづく関東民鉄の機能一辺倒と比べると哀しくなる
(でも、東急車両などの機能に徹しきった車両は嫌いじゃないんです、ほんとは)。


シリーズ21のひとつ、ロングシート版の9820系。
ここまで外観やコンセプトが変わったのに、形式的には思いきり従来型風なのも
近鉄らしくて萌え



5)路線、運転形態などにも萌え要素が多いこと

・2両編成がローカルで走るのに重要幹線である名古屋線。

・21mの大型電車が8両~10両で高密度運転を行うのに生駒のあたりでは
山間部を貫いて走るギャップがすごい奈良線。


8600系。旧世代ボディに広幅裾絞り。
これが10連組んで生駒を降りてくる。それだけでも死ぬる。
エンドウから出ていたNゲージ
(8800系だったが...なぜそんな8両しかない過渡期の形式をモデル化したんだ!)
に死ぬほど恋い焦がれたっけ。


・難波/上本町寄りでは通勤路線、
でも40分も走れば風光明媚な景色になってしまうような変貌ぶりを持ち、
しかも山岳路線区間まで持っている大幹線の風格たっぷりな大阪線。
青山越えって聞くだけで酒が進む。

・狭軌路線で独立、でも車体や設計は大阪線系と同じ近鉄ファミリーという
異端性に萌える南大阪線(古墳を避けて路線がまっすぐじゃないのも萌え)。


...ああ、きりがない。
いまはもう北勢線も、完全にローカル線な風情を持つ養老線も、
奈良電の面影たっぷりな800系列が生き残る伊賀線も
近鉄の路線では無くなってしまいましたが、
それでも近鉄のすごさに陰り無し。





>>長々とすみません。一気に書ききってしまった(汗
とにかく、近鉄はすごいです。
ああ、また乗りに行きたくなったぞ...。

>>って、このエントリ、鉄分濃すぎだよなあ(汗

>>いつものことながら、
携帯カメラの性能が悪すぎるよ...1280×960で撮影するとこのありさま。
さすがに買い替えたいー。
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【てつどう】山中温泉にしらさぎ号(北陸鉄道6010系)を見に行く。

2009-06-02 | てつどう。
GWに行ったGTの続きです。


尾小屋でナローにメロメロになったあとは、
最近のマイブームである「保存車めぐり」へ。


ほどない距離の「山中温泉」に保存されている、
「しらさぎ号(北陸鉄道6010系)」を見に、小松から一路、山中温泉を目指します。





行く先は、「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」。
ここの崖っぷちに、こんな風に「しらさぎ号」がどーんと置いてあります。
大井川時代には良く見たなあ。また会えてうれしい。



山中温泉には、かつて鉄道が伸びていました。
それが、北陸鉄道山中線。


山中線は、山中駅と北陸本線・大聖寺駅を結んでいた8.9キロの北陸鉄道の一路線でした。
1971年に、モータリゼーションの進展、そして玄関であった大聖寺駅に
特急が停車しなくなったことを受け、廃止されました。


「しらさぎ号」は、この山中線のロマンスカーとして、1963年に登場しました。
山中温泉は温泉を浴びる白鷺を見た鎌倉武士が発見したという伝説と、
白いアルミ車体から「しらさぎ」という愛称が付けられましたが、
正式には6010系(6011+6061)と言います。


同じく山中(加南線)線に投入されていた6000系「くたに」や、
名古屋鉄道5000・5200・5500系、長野電鉄2000系などと同様の
2扉転換クロスシート・18m車という基本レイアウトは、
その姿から想像されるように、日本車輌製造本店製。
まさに「日車標準」とも呼べる昭和30年代の私鉄ロマンスカーの代名詞的
デザインです。


車内。


連結部が全周ホロになっていて、とってもひろびろ。


その外観。


ホロが車体幅いっぱいまで来ています。



見た目最新鋭の「しらさぎ」ですが、
ただし、足回りは「くたに」と異なり旧性能(コスト削減のため流用品)。
軽い車体は、その重い足回りをカバーするために採用されたようです。
当時でもアルミ車体は非常に珍しかったのですが、この車体で得た工法が
のちのち日本車輛にとって大きな経験となったとのこと。


台車。クモハ6011は住友金属工業製KS-30L(SH-11)。
クハ6061は日本車輌製造製のD-16。


これは「NSK」の文字からもわかるとおり、D-16ですね。


山中線が廃止になった後は、大井川鉄道へ「くたに」とともに譲渡。
2001年に廃車になるまで、主力として働いていました。


運転席。


古めかしいですが、最近まで使用されていたとあって、今にも動きそうな感じがします。


大井川時代のままの駅名が残っています。



>>その後、廃車されたまま千頭駅に留置されていたのですがが、
2005年にゆかりの地である山中温泉での保存が決定。
そしてこうして、「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」にやってきた、というわけです。
いい話です(涙

>>末長くこの地で保存されるといいな、と思いつつ、山中温泉をあとにしました。



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【てつどう】DD16牽引の旧客に乗る

2009-05-07 | てつどう。
みなさんGWはいかがお過ごしでしたでしょうか。

ieは、混むのだろうなあと思いつつも、C5で遠くに行かずにはいられず、
5/4~5/6(ただし朝)まで、1300キロ程度のGTを楽しんでまいりました。


ieのGTですので、むろん主目的は「鉄」になってしまう(Guさんと同じw)
わけでございますが(汗



ということで、まずはGTシリーズの記事、第一回め。



標題にもあるように、DD16+旧型客車という夢のような列車に乗ってきたのであります。



長野駅にて。


飯山で行われる「菜の花まつり」に合わせて
飯山線の長野~戸狩野沢温泉間で5/2~5/4に運転されたのが、
この「菜の花まつり号」。


小さなディーゼル機関車DD16が、旧型客車4両を引くとあって
しかも全席指定列車なのであきらめていたのですが、
5/3に長野駅に電話してみたところ「150席以上空席あり」とのことで
急遽道中に組み込んだ次第です。
...4両で300人以上は座れるはずなのでガラガラじゃあないか...。



朝4時に起き、C5を飛ばして飯山駅に7時すぎ着。
飯山駅で菜の花まつり号の指定席はあっさり取れたので、
長野9時48分発の菜の花まつり号に乗るために、いったんキハ110系で長野へ向かいます。



飯山駅にも菜の花がいっぱい。




長野駅のドトールで時間を潰し、7番線に向かったらもう列車は入線していました。



スハフ42と新幹線の組み合わせ。



4両編成のうち、割り振られた切符は3号車のオハ47。
車内は蛍光灯で木目の壁ではないとはいえ、
十分に古く、まさに「旧型客車」の風情です。





でも4号車はオハフ36。車内は白熱灯+木の壁でさらに古い。うーん、4号車がこれだって知ってればなあ...。
さすがにオハフ36は全席鉄な方で埋まっていました(汗






告知が少なかったのか、天候のせいなのか、
ホームにも車内にもひとはさしておらず、でしたが、
その場で乗ることを決めた客も多かったようで、
発車の頃には6~7割程度の乗車率に。



いよいよDD16が800psのエンジンをうならせて出発です。
ie的にはDL牽引の旧客というだけで嬉しいのに、DD16、
しかも唯一残った0番台機が牽くというのですから、たまりません(涙


窓を開けると、DD16のホイッスル、エンジン音、そして排気のにおいが
入ってきて、脳天を直撃します。
ああ、これだから鉄はやめられねえ...。




菜の花まつり号は、豊野で5分停車します。
猛ダッシュで反対ホームへ走り、編成写真を狙います。


DD16の非エンジン側が前向きに来てるってのがまたいい(涙



乗ったオハ47。ひさびさのTR23台車の揺れ、最高でした。



豊野からはいよいよ飯山線。
千曲川に沿って右へ左へ。
風光明媚な路線です。



カーブのたびにDD16の姿が見えます。


ほんとうは終点の戸狩野沢温泉まで乗りたかったのですが、
このあとの行動を考え、飯山までで我慢しました。


赤いDLと茶色い客車+非電化の山間駅が作る景色。


でも、正味50分ほどのDL+客車の旅、堪能しましたよ。



>>この客車たちはこの次は「ナイトビュー姨捨(おばすて)」なる
列車に充当されるようです。
なんでも旧客から姨捨の夜景を見よう...ってんですから、いいですねえ。

>>ところで、旧客といえば「ドアは手動」。
どうしてるんだろうと思ったら、
1)使用するドアを半減。
2)ドアの前(デッキ)に係員が立って監視。
でいたずら解放を避けていたようです。たいへんだね。

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【てつどう】山北駅のD52を見に行く。

2009-04-24 | てつどう。


唐突ですが、蒸気機関車の中でもD52が好きです。


あえていうと、そのD52に軸重軽減改造を施したD62も好きです。
さらにうと、メジャーなD51よりも、同じく改造機のD61に萌えるieです。


D52型蒸気機関車は、1943~1945年(昭和18~20年)までの間に285両が製造された大型貨物機。
戦時中の貨物輸送増強に伴い、D51を上回る牽引力を持っています。


でも実際は、戦争の間だけ持ってくれれば良く、また質の悪い材料で作られていたD52は、本来の能力を出し切っていない車両も多かったと聞きます。石炭も悪かったのかも知れません。
性能が良くても燃料の品質が悪く、エンジンのクオリティが設計に追いつかなくて
性能を出し切れなかった戦闘機などと同じですね。


戦時中輸送用に製造されたD52は、戦後ボイラーを交換したり各部部品を
新しいものに変えたりして、
ようやく設計通りのパワーを発揮するに至りましたが、
それでも粗製されたゆえか、上他の悪い数十両は廃車になったそうです。


ちなみに戦後の特急牽引機として名高いC62は、49両全機がD52からの改造です。
なので、あんなにボイラー部が太いんですね。



.....って前置き、長い!


基本的に貨物機萌え、しかもD52はそのただならぬ重量感も含め、
大好きなカマなんですが、
御殿場線・山北駅に保存されていると知りつつ、訪問したことがなかったのです。


そこで、数ヶ月前の話ではありますが、
静岡に仕事で出かけたおり、帰りにようやく見に行くことが出来ました。




おおー!やっと会えた、D52!ボイラー太いし、角処理四角いし、
こりゃたまらん。




逆行でフレアでちゃたが、でもD52の威容はわかるかと思います。
自重83.4t!重い!


D52は貨物機ですが、御殿場線では客貨両用だったようです。
D52牽引の客レ、乗ってみたかったなあ。

昭和43年に電化したあとのスカ色73系も大好きなんですけどもね(^^




>>御殿場線は、ご存知の方も多いかと思いますが
むかしの東海道本線です。

>>昭和9年に現在の熱海ルートになるまでは、
御殿場経由のルートには25パーミルの勾配区間が連続し、補機が必須でした。
山北駅はその補機の機関区が設けられていたそうで、
箱根越えの重要拠点だったそうです。


>>今となってはその面影はありませんが、古い歴史を持つ路線らしく
この山北駅も、趣ある駅舎、
こじんまりとした懐かしい雰囲気を持つ駅前風景を持ちます。

>>トップ画像は、まさに駅前にある近代建築、タケイ美容室。
昭和7年築!!
歴史がある路線でないと、駅前にこんな素敵な建物は存在しえませんよね。


>>ちなみにD52、山北まで行かなくても結構保存されているのを知りました...。
でもゆかりのある山北だからこそ、いいのかもしれないですね。
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【てつどう】空っ風の中の、元京王車を見に行く。

2009-04-15 | てつどう。
ちょっと前の話で恐縮なのですが、
新潟の帰りに上毛電鉄の大胡(おおご)駅に立ち寄ったので、その時の話を手短に。


上毛電鉄は群馬県内の中央前橋と西桐生を結ぶローカル電鉄。

車両はいま、700系(=元京王3000系)だけで運転されています。


京王井の頭線で活躍していた3000系は、18mの3扉ということもあり
地方私鉄への譲渡が非常に多くみられる電車です。
その京王での活躍は本年度いっぱいといわれています。
ちなみにこの非パノラミックウインドゥの顔がオリジナルですが
すでに京王には存在しません。



2連という好ましい単位。先頭車はTc(クハ)だけだった井の頭線と違い、片側はMc化改造され、パンタも乗っていてこれまた良い感じ。


大胡駅に隣接する車庫に、こんなのみっけ。

パ、パイオニアIII台車(の、なれの果て)!



たぶんPIII-703かと思います。3000系のクハの初期車が履いていたものでしょうね。



短い時間の邂逅でしたが、好ましい地方私鉄の駅の風情を見せる大胡駅は
なかなか良かったです。

上毛電鉄といえば、主役はデハ101かもしれませんが、どうしてどうして
初期高性能・初期ステンレス車ももはや「味わい」ですしね。


ちなみに大胡駅の周辺施設は国の国登録有形文化財に指定されているそうです。
その車庫を、旅のお供・C5を入れてパチリとな。


井の頭線時代にはなかった「すごい黄色」のステンプラカラーが面白いですね。




>>それにしてももっと早くに来ればよかった、といつもの後悔しきり。
ちょっと前までは東武の旧3050系、その前は西武の色そのまんま旧クモハ351+クハ1411の...。
ふつうに鉄していたころで、上信とかには行っていたのに、
あのころのおれよ、なぜ...(涙



>>せめて、大胡駅構内にあった、その旧東武車も西武車もはいていたTR11に思いをはせることにしましょう...。




>>そういえばデハ101がいなかったな...どこに行っていたのだろう?
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【てつどう】ひっそり消えていった373系「ながら」。

2009-03-27 | てつどう。
先日のダイヤ改正で、ついに東京駅発着のブルトレが臨時を含めて壊滅。

鉄道会社の怠慢とか、
JR他社との直通運転での協議?が面倒だった、
機関士がいなくなるので廃止するなど(と聞く)といった
JRの都合で消えてしまう理由を考えると、
もう少しなんとかならんかったんかい!って
どうにもやりきれない思いなのでありますけども。

でもまあ、これまで何年も走っていたのに最後の最後だけ注目する「狂想曲」には絶対に巻き込まれたくないie、
あえてブルトレの見送りには行かなかったのでした。


ところで東京から出たブルトレ、もしくは東京エリアに着く東海道筋のブルトレって
何乗ったかな...と思いだすと、
銀河 往復、
出雲 下りのみ、
あさかぜ 上りのみ、
あさかぜ臨時(20系!)上りのみ、
カートレイン(客車はナロネ20!) 上りのみ、

でも、富士もはやぶさもさくらも乗ってない。うーん。


それはさておき。


このダイヤ改正で東京駅から消えたもの、もうひとつあります。


それが、373系の「ムーンライトながら」。







「ながら」が季節列車になってしまった衝撃もさることながら、
373系の使用がなくなって田町の183・189系の運用に代わってしまう...
要するに「車両が古くなる」という不思議な列車になるのですけども、
ということは373系はもう、東京に来ないのか...。



...ということにはならず、
「ムーンライトながら」の送り込み列車として設定されていた
静岡~東京間の普通列車は引き続き運行されているとのことで、
373系、今後も東京で見ることが出来るようですね。


まあ183・189系も経年からすればそろそろやばいので、東京駅からまだ国鉄特急色が出ていく景色を
見られるだけでもありがたいと思うことにします...。


ああ、乗りたいなあ。




>>「ながら」という名前が付く前のただの夜行列車で、
しかも345Mなどの列番そのままに愛称も「サンヨンゴ」で、
車両はむろん静シスのサロ165コミの165系11連だったころには
上りも、下りも、数え切れないほど乗りました。


>>静岡駅では駅弁。必ずと言っていいほど駅弁。しかも取っ手付きのお茶も必須。
懐かしいですねえ。

>>田町の183・189系の後は何が継ぐんでしょうね?まさかE259系の登場で
追いやられる予定のNEX253系????まさかね?
でも短編成で波動用には向いてる気も...(汗

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【てつどう】東武熊谷線の保存車を見に行く。

2009-03-03 | てつどう。
なんだか保存車めぐりがすっかり趣味みたいになってますが、
先日仕事で新潟方面に行った際のその帰りに、こんなの見てきました。


1983年に廃止になった東武熊谷線で走っていたキハ2000です。


ヘッドライトベゼルがいかにも東武(嬉

全長16.5mと小さく、これぞ湘南電車という顔を持つ小粋なDC。
側面窓も当時の流行であったバス窓てのがいいですね。



熊谷線は、先の大戦末期、1943年に、太田市の中島飛行機(要するにいまの富士重!)
への工員輸送を目的として軍主導で開通した路線でした。
当初は熊谷駅~西小泉駅(東武小泉線)を結ぶ計画だったのですが、
さまざまな事情から第一期工事区間の熊谷駅~妻沼(めぬま)駅のみの開業となりました。

もとから軍の要求で開通した路線ですので沿線の声などは聞かないで開通したため集落などを通っておらず、
最後まで利用客がのびなかったことなどから1983年に廃止に至ったとのこと。

でも地元は、未成区間の完成を東武に要求していたのですが東武は頑なに断り続けたそうです。

それは、妻沼線が全通すると、伊勢崎線を利用する館林、太田両市民が
熊谷線で熊谷へ出てしまうのではないか(=伊勢崎線の利用客が減る)
という危惧を東武がしていたのではないか、と言われています。


当初は蒸気機関車で運航されていた熊谷線ですが、昭和29年、近代化のために
当時最新鋭だった液体式ディーゼルカー
(変速機にそれまでのクラッチ+マニュアルギアにかわりトルクコンバータを使用=液体式)
であるキハ2000が東急車両で3両新製され、投入されたのでした。

廃止後も妻沼駅跡近くにある妻沼町中央公民館(ただし、現熊谷市)に2003が保存されていたのですが、
先日の山梨交通の保存車同様、なかなか行くと言っても微妙な距離だったので
今回はちょっと遠回りでしたけどやっと見てくることが出来たのでした。





車内はセミクロスシート。ただし、ちっこい!座面の色はこれまたいかにも東武っぽい。





運転席隣がなんとこんな風にシートがあって、前面展望の特等席。
さぞ楽しかったろうなあ。




エンジンはDMF13 (DMH17を6気筒化したもの。120PS) を1基+TC-2形液体変速機の組み合わせ。
液体式DCの長所を生かし、編成組んでも走ることが出来たので、ラッシュ時は2両だったそうです。




台車はひし形枠だったんだ。知らなかった(形式は東急車両のTS-102)。
いかにも小型DC、私鉄向けDCって趣。

うす暗い社内にいたら今にも動きそうで、乗ったこともないのにタイムトラベル。
しばしひたっていました(^^
基本ディーゼルカー好きなので、いいもの見たなって感じです。

ああ、モノホンの古いDCに乗りたいなあ。ひたちなか行けばまだいるなあ。そろそろ行かないと。




>>写真を撮っていたら公民館のスタッフの方に「撮影許可証」のようなのを書いてくださいと言われました。
悪いことしてるのではないので快諾しましたが、なんだか世知辛いというか
やりにくい世の中になりましたね。
向こうにも悪気はないようなのですけども。

>>そういえば今度の鉄道コレクションは気動車だそうで、このキハ2000の同型である
旧加越能のキハ430型が出るとか出ないとかなので
キハ2000も製品化するのではないでしょうか。これは買いですな。
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【てつどう】山梨交通の保存車を見に行く

2009-02-13 | てつどう。
週末はクルマで山梨へ仕事。


南アルプス市界隈(なんて名前だ!)に向かったので、
ちょっと寄り道して増穂町にある山梨交通の保存車両を見に行ってきました。

山梨は良く行くのだけど、増穂は案外甲府から遠いということもあって
この機を逃すと次はいつかな、って思いました。


で、その保存車はこれ。


郊外型路面電車ともいえた山梨交通電車線は昭和37年に廃止され、現存する車両はこのモハ7のみになります。

ナンバーは801になっていますが、これは山梨交通廃止後上田丸子電鉄に移動→
さらに江の電に移ったあとの形式がそのままになっているためです。

番号に限らず、外観は江の電時代のまま、色だけ山梨交通色になっているようです。


モハ7は1948年(昭和23年)に登場した14mクラス半鋼製車
(同型車にモハ8がいて、一緒に江の電で余生を過ごした)です。
なお、製造は汽車製造です。




3扉化は江の電時代で行われ、同僚モハ8(→江の電802)と連結するために
連結面はのっぺらぼう。
江の電仕様に改造されているとはいえ、地方私鉄の電車として好ましいサイズ、造形ですね。




無骨な台車。鋼鈑リベット組み立てによる台車枠を持つ。
形式はないのですが、汽車製造なのは車体と同じらしいです。
軸距が妙に短いのが路面電車風。




わがC5と。
この電車、あとから増設されたドアの窓だけサイズが違ったり、窓配置が均等では無かったり、
という工事のあとが見えます。

何はともあれ、大事に大事に保存されているこの電車、
末長く美しい姿をとどめていてほしいものです。



>>ところで、
保存場所は増穂形町役場にほど近い「利根川公園」と調べはついていたのですけど
この公園は川に沿って細長く、
公園の下手にあるこの保存車を見つけるのにちょっと苦労しちゃいました。
訪問の際はご注意を!
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【てつどう】アクセルで走る電車・PCCカーに感激す

2009-02-04 | てつどう。

このところ土日出社も続いていて哀しい限りなのですが、たまには息抜きを...ということで
その合間を縫っての寄り道。


荒川方面に来たついでに、最近保存車両に「上屋」がついて
より一層の保存公園としての体裁が整った「都電おもいで広場」へ行ってきました。


都電荒川車庫の脇に作られたこの公園、同車庫に納められていた
5500形5501と7500形7504の2両がきれいに整備されて保存されています。



いま荒川線を走る車両は全部、都電黄金期の造形を持つものはないのですが、
この「原型7500形」は、都電の忘れ形見のような存在。いいですねえ。
でもこの7504、実は1998年までラッシュ時のみ使っていたんですよ。
ああ、ああ、乗ればよかった。


かわいい顔。


内部もきれい。木の床独特のにおいがとてもうれしい。


そしてもう一両、PCCカー、5501。
上野公園でなかば放置状態で置いてあったものの近年荒川車庫に移され、
でもそこでも放置されていたので危惧してたのですけど
晴れてこんなに美しく保存!
まあ、車内はシートも撤去されて家庭用エアコンが据えられて
ギャラリーと化しているのでオリジナル状態はそこなっていますが、
まあ仕方ないのか。



美しい!



「Presidents' Conference Committee=PCCカー」は、
車に対抗しうる新しい路面電車としてアメリカで1930年代から開発されたのですが、
昭和28年、都営がPCCカーの製造に関する技術を有していたウェスティングハウスなどからその技術を購入し、設計した車両です。

5500形は当時の最新技術であるカルダン駆動を日本で3事業者目に採用し、
マイク式の放送装置・パンタグラフも都電では初めて用い、
車内も蛍光灯、系統表示板は行灯式となるなど、新しい試みが盛り込まれていた
斬新な車両でした。車体も14m級でかなり長くなっていました。

5500形は5501~5507までの7両が製造されましたが、厳密には1両目(5501)だけが
純粋なアメリカ流技術の「純PCCカー」と称されることが多いようです。


というのも、この5501だけは本場アメリカのPCCカー標準装備である「足踏みペダル式」による運転方法を採用し、
機器類もアメリカ製の部品を一部に用いているなどしているのですが、
以降の車両は外観こそ類似しているにせよ内容的には完全なPCCカーとは呼べない、と言う理由から。


でもこの特殊性が災いし、大型の車体であることもあって
都電の芝浦工場に近い三田車庫に所属し、都電1系統(上野駅~銀座~品川駅)でのみ使用されました。



しかしまあ...
通常は手で動かす路面電車なのに、5501は自動車よろしくアクセル・ブレーキで
動かすというのですから、さぞ乗りにくかっただろうなあ。




運転台。なんだこれ...
見た時、保存したときにいろいろ撤去された姿かと思ったくらいの違和感。




右からアクセラレーター(加速)、ブレーキ(制動)、デッドマンの各ペダル。
クルマと同じく、右足でA・B(アクセル、ブレーキ)ペダルを操作。
左足は常にデッドマンペダルを踏むことで、
もし運転手に意識を失うなど何かあったときペダルから足が離れれば
非常ブレーキが作動する仕組みになっていたようです。


ギャラリーになっている良さもあり、
運転台の後ろには透明のパネルが置かれていて、運転台の操作説明が書いてあったり、
当時の「運転マニュアル」が貼り付けてあったりで興味深いものでした。






5502以降は台車部分が切りかかれて保守性を向上させていますが、
5501はご覧のように台車ははね上げ式のスカートに覆われて見えません。
FS501と呼ばれるこの台車は、本国アメリカのPCCカーの図面を基に住友金属で製作。
「FS」の名前が住友製を語ります。
内側台車枠、弾性車輪、直角カルダンの駆動方式、
モーター軸に組み込まれたドラムブレーキなど、特殊づくめ。
さらに非常用の電磁吸着ブレーキを持ってます。


車輪の真ん中の箱っぽいのが電磁吸着ブレーキ。


それにしても歴史的記念車がこういう形で恒久保存されていくなんて、
ほんとに素晴らしいことですね。都営の英断に拍手です。
2両しかないミニ電車博物館ですけど、とても楽しかったです。

あ、土日しか開いていないので要注意!

>>玉電の200形とともに、「動態保存」してくれないかなあ...ってもう無理だよなあ。

>>都電9000形に2両目が出ましたけど、こういう「あからさま」なレトロより
昭和30年代的「ほんとのレトロ感」を再現してもらいたいものですよねえ。
JR九州の1962なんちゃらというキハ58改にも同じこといいたい。
どうみてもモダーン、最先端デザインじゃないか...。

>>でもまあ
「ほんとの1962年製の車両を再現」を、と言っても、
もうその頃はすでにデコラ板の内装、アルミ・蛍光灯の素材は普通に使われていただろうから、
「妙に古臭い」で終わっちゃうのはわかるんですけどもね。
だって昭和30年代初頭の内装でさえ、確かに古いは古いけど木造車とかでは無いわけで、
いまの電車とたいして変わらないと言えば変わらないですものね。
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【てつどう】品川にて発見したモノ

2008-11-19 | てつどう。
かつて国鉄には鉄道荷物、鉄道郵便があって、それ専用の車両も用意されていました。

基本的には1両単位で動くことが出来て、客は乗せない。
で、関東で言えば東海道線や中央線のはじっこに連結されてふつうの列車と
一緒に運転されたり、荷物・郵便専用列車だけで運転されたりと、
ごくあたりまえに見られました。



そんな郵便、荷物列車の運転が1986年に廃止になってから早22年。

なのにこの2008年に、
かつて111/113系にひっついて東京駅に出いりしていた
郵便荷物合造車、クモユニ74を品川で発見..............










..............クモユニ74型ポスト!!!!!



>>いやあしゃれっ気ありますねえ。

ちなみにサイドには形式、エンド表記、ATS種類なども書いてあって
マニア的にもにんまり。



>>しかしまあ塗装がきれいなこと...ほんものの黄かん色と緑2号なのかなあ。
だったら感動。
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【てつどう】美しき117系。

2008-09-27 | てつどう。
117系です@京都。


良く見るとクハのトイレの窓と方向幕が無いぞ 

いつ見ても美しい&かっこいいですね。



117系、全然見飽きないのですが実はもうかなり古く、
1979(昭和54)年に京阪神の新快速用に登場しました。

同運用には、新幹線岡山開業で余剰となった急行電車153系が
まわされていたのですが、同系は2扉デッキ付きの急行型で
ラッシュ時の対応には大きな難がありました。
しかもライバルである阪急・京阪の特急車は転換クロスシートを備えており、
直角固定クロスシートの153系ではサービス面も問題といえました。


この153系(ブルーライナー)の入れ替え用に出た117系。
いくつか特筆される事項があります。

それまでは国鉄は、特急なら183系/485系、近郊型なら113系/115系/415系、というように、
直流交流の電化にあわせた区分以外は
特に大きな事情でもない限り(横軽など)各線区用に専用の車両を用意しなかったのですが、
この117系は「地域・目的特化で設計された」、当時としては珍しい車両である、ということなのです。

それまで近郊型は111・113・115系の3扉固定クロスシートで前面は貫通型だったのですが、
2扉・デッキ無し・転換クロスシートという車体設計、
鼻筋の通った湘南型タイプフェイスであったのも斬新でした。



塗装色もハイライト。

アイボリー(クリーム4号)+マルーン(ぶどう色2号)のシックなカラーリングは、
新快速のルーツともいえる戦前の京阪神間急行用・流電モハ52系、
そして戦後この区間で使用された80系の塗装をイメージした伝統のカラーなのです。


輝かしきトップナンバー編成。モハ117-1、原色で健在成り。



その後JR化するまえにマイナーチェンジ(100番台)版が登場したり
中京地区などにも投入されたりしたあと、本来の舞台である京阪神の新快速からは
2扉であることからラッシュ時に対応できにくくなってきたこと、
後継221系の投入、運転速度の向上などに伴い
1991年以降は朝晩以外の新快速運用は221系に置き換えられ、
1999年には完全に新快速から撤退しました。

福知山線や和歌山線、山陽本線岡山地区、115系への改造などあって
オリジナル色状態の117系にはなかなか会えないのですが、久しぶりに京都で出会い、
電車自体の格好の良さ、配色のセンスなどに
安易なデザイン・配色を決めている感のあるJR化後の車両に比べて
国鉄時代のデザインはなんて秀逸だったんだろう、って改めて思いました。



>>JR東日本ならもう廃車のお年頃。1979年以降の製造といえばちょうど
201系がそれにあたりますものね。

>>なんとかこの美しい姿のままでとどまって欲しいものです...
ああ、こんな記事書いていたら、乗りたくなってきましたよ。
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【てつどう】名鉄瀬戸線で線内専用車と吊り掛けサウンドに涙する

2008-08-17 | てつどう。
思いいれがあるわりには、このブログにあまり名鉄のネタが出てきませんね。


中学高校から通いつめた(ちょっとオオゲサ)名鉄。
路線延長が近鉄につぐ日本二位の民鉄でありながら、
路線の構成はローカル線が多く、
独特の世界観と設計、デザインを持つ「名鉄でしかありえない」ような車両のオンパレード。
併用軌道の鉄橋、600Vの路面電車、
それが郊外に乗り入れる先進の運転形態・インターバンでありながら
車両は大正時代の古株だったり、
昭和30年代中葉から延々と使われてきたパノラマカーがあったり、
連続した固定窓+カーテン、転換クロスシートなのに一般車が多かったり、など
その独自性をあげればきりが無い、魅力に溢れた鉄道なのです。


今は亡き犬山の併用軌道を、派手に車体を揺らしながらゆっくりと走る7000系パノラマカー。ねこさわくんのボビンBXとともに。


最近は車両も画一化して面白みがなくなってきましたが、
そんな中、まだまだ名鉄ここにあり、って言う路線が「瀬戸線」。

名古屋本線などの系統とは完全に独立しているゆえか、車両の更新なども
ワンテンポ遅れていて、ここにはものすごいものがまだ、走っています。


先日大阪・名古屋出張の折りに、わずかな時間を割いて
行ってきました。瀬戸線。

何が「すごい」かというと、地方民鉄でさえ乗れなくなりつつある
「吊り掛け電車(旧性能電車ともいわれ、
発車時にンガアアアってすごい音のする昔の電車)」がまとまって
4両編成×6本も残っていることです。

最後まで残った吊り掛け王国・東武の吊り掛け車が全滅した現在、
しかも東京・大阪に次ぐ大都市名古屋で、しかもその中心部「栄」に、
吊り掛け電車が走っていることがすごいのです。



栄についたら運がいいことに早速吊り掛け車が待っていました。
栄からしばらく地下なので、轟音鳴らすモータといかにも古い揺れかたをする
FS40台車に揺られてやってきたのは喜多山。
今回は時間もないので、かつて車庫があったこの駅で折り返し。



瀬戸線専用6750系(一次車)。6650系と呼ばれることもあります。
車体は新し目ですが、走り装置は昭和20年後半の代物です。


しばらく喜多山の駅で電車ウォッチ。


次の下りは、これまた瀬戸線専用、昭和53年からその姿をほぼ変えずに走り続けている6600系。こちらは新性能車。本線系統の6000系の瀬戸線版です。
ずらり並んだクーラーいかにも昔の名鉄。いいねえ♪



喜多山駅構外に置いてあった6750系二次車。
これも新しそうに見えますが(それでも20年以上はたっている)
足回りは旧来品。昭和20年代後半に登場の3850系、3900系のものを再利用しています。



置いてあった6750系Mcが履いていた今や貴重なゲルリッツ式台車、FS107。
これ1台で7t。重すぎw


>>喜多山からの帰りは、6750系を待って栄へ。急行だったのでそこそこ飛ばしてくれました。

>>実はこの瀬戸線も、ついに新型車が導入決定し、
すでに4000系なるステンレス車が試運転を行っています。

>>喜多山にあった瀬戸瀬m唯一の車庫がなくなった代わりに
新しく尾張旭に出来た車庫は
なんと「塗装」する設備がないそうなので、瀬戸線にいる電車は今後
必然的に「ステンレス」などの色を塗らない電車にせざるを得ません。

>>となると、古い足回りを持つ6750系は当然淘汰されるでしょうし、
鋼製+色塗りの6600系、一部瀬戸線にある6000系などもなくなっていくはずです
(6000系は本線系統に転属するようです)。

>>まだしばらくは...と思っていると所帯数の少ない瀬戸線のこと、
すぐに4000系になってしまうでしょう。
次いつ来られるかわからない...なのでieは
短い時間ですがしっかり堪能してきました!



>>ちなみに瀬戸線用6000系も載せておきますね。

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【てつどう】消え行く西武の3扉車

2008-07-25 | てつどう。
何度か引越ししましたが、実家がずっと西武拝島線の沿線でした。
また、母方の実家も、同線の沿線。

子供の頃良く触れた鉄道が好きになるように、やはり鉄道少年ieもまた、
西武線を好きになったのでした。


小学校のころはまだ赤電が生き残っていて、末端路線ともいえる拝島線には
451系などが2両編成×2の4連、×3の6連などで出入りしていました。


鉄コレから出た西武451系。出来が良い。ここまで来たら、クハ1411が欲しいところ。


それまで3扉車ばかりだった西武に新しく投入された4扉の2000系も
よく拝島線に入ってきていましたが、やはり子供の頃の記憶から、
西武は3扉車、というイメージを持ち続けています。

でも実際には、4扉の新2000系(350両以上製造)、
地下鉄直通用6000系(250両製造)、20000系(144両)など、
実はもうほとんど4扉車なんですねえ、西武。


ところで、専門学校時代も拝島と高田馬場間を往復していましたが、
それ以降は仕事で使う程度。
ほとんど接しなくなってしまったのですが、
最近久しぶりに西武線に接し、かなり少数派になってしまった3扉車を見て
関東民鉄で3扉20m車があるという「いまさらながらの感動」を覚えてしまったのでした。
あたりまえだったものが無くなってしまうと、数少なくなったものに感動するものなのですねえ。



新101系と301系の10両編成。2連のダブルパンタが強烈にかっこいい!
ちなみに301系は新101系の付番がいっぱいになって300番台に飛んだため着いた名称で、
正式には単なる新101系の8両編成版と考えてよいです。




で、これが久しぶりに西武の電車を見て、ieを猛烈に萌えさせた301系のモハ。
ダブルパンタ、小さく並んだ窓、今のご時勢に「側面方向幕がない」という、まさに「かつての西武スタイル」。




過渡期、が好きなieにはこれもまた萌え、な3000系。昭和58(1983)年、すでに4扉の2000系が製造されていたなかで、当時の池袋線の性格から「あえて」3扉で作ってしまった異端児。
性能的には2000系の系統なので、3扉でありながら既存の101系などを連結できない、
などといった不便さ・中途半端さもまた魅力的?


3000系は製造が新しいのでまだまだ使うようですが、
確実に101系、301系は数を減らしていくのでしょうね。




>>で、西武の電車もどんどん時代に合わせて変わっていて、
ついにこんなになりました。
ちなみにこの電車が3扉車淘汰の尖兵です。


30000系。愛称、スマイルトレイン。ああ、昔の西武は遠くになりにけり。でも、スキです。



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【てつどう】南海に現れた、「走るンです」。

2008-07-18 | てつどう。

先日仕事で大阪(なんば)へ行った際に、時間があったので南海難波駅で
写真を撮っていました。

関東ではあまり見られない壮大な「くし型」駅なので、
いつも来るたびにワクワクするんですけど、
そこで早速見ました、8000系。



この南海8000系電車、昨年デビューしたばかり。南海の次期標準車です。


8000系は東京圏ではすっかりおなじみの209系500番台に端を発し
E231系から現在はE233系になって、まだまだ増殖中し続けている
「標準型設計」ともいえる車両がベースになっています。


関東民鉄でも、相模鉄道10000系、都営新宿線10-300系、
東急の新3000・5000・6000系列などがこの設計で次々と登場しており、
設計思想はすぐれていてもホスピタリティという面では
ちょっと足りないと感じさせる車両が東京圏にはあふれている状況です。


その設計を、初めて関西民鉄が採用した車両なのです。
これは、ちょっとしたニュース(!?)なのです。


それはなぜか...といいますと。

関西は東京圏に比べて、伝統的に?車両はハイグレードな車両が
いまでも製作されています。
同じJRでも、通勤用321系、近郊用223系などはもう
東京を席巻する【走るンです】とはかなりの差を感じさせます。
簡単に言うと、上質。

阪急の新車9300系など、東京圏では考えられないほどの車両です。
関東で比肩できるのはやっと京急2100系や1000系くらいなもので
そのハイグレードぶりには恐れ入ります...。



基本的に、関西民鉄は車両を大事に使うという傾向があるように思えます。

車両も丁寧なつくりに見えます。
蛍光灯にはグローブカバーがデフォルト。
たとえば阪急などでは車内にビスの頭を出さない設計(これはすごい)。
シートは深く、モケットはやわらかく、寒々と見えるポールも少ないのですっきり。
ドアの内側も基本的にはデコラ板を貼って、ステンレス無地にはしない。
こんな感じで、東京圏の電車にはない独特の世界観があります。


そんな世界である関西民鉄に、
合理化設計、詰め込み主義、殺風景、などと揶揄される
「209系・E231系・E233系ファミリー」の電車が関西に現れたのですから、
それは大きなニュースになるわけです。




車内。もうまんま東京圏の電車です。

ただし「走るンです」グループの偉大さは、充分理解しています。
短寿命のかわりに超軽量。ステンレス車体なのに長持ちしない。
その徹底した合理主義。これまでの鉄道車両の常識を打ち破る発想。
標準化による車両価格の下落が生む鉄道会社への利益。
車体が軽いことによる省エネ、そして馬鹿に出来ない線路の痛みの軽減。

面白みのない車両なのかもしれないし、乗って遠くへ行こうと
思わせないあたりは、サービスやホスピタリティという面でどうなのかと
確かに思うんですけど、だけど、革命的な設計思想に弱いie、
大量生産品に弱いieには、好きな車両たちだったりします。


同じ標準化仕様の電車には、「走るンです」=東急車輛などとは別派閥?の
日立が生産する【A-Train】というのがあり、
つくばエクスプレスの電車、東武の50000系グループ、東京メトロの10000系など
美しいアルミ車体を持つ「見た目もきれい」な通勤車たちがそれに属します。



>>ところで、関西でありながら南海は関東の東急車輛と縁が深いのです。
なので、新車も必然、東急車両が製作する工法による車両になり、
E231系の鋼体を持つにいたったわけですね。

>>かつて帝国車輌という会社が(さらにルーツをたどれば梅鉢鉄工所)堺にあり、
南海の車輌や国鉄の80系電車などを作っていましたが、
帝車は昭和43年に東急車輛の傘下に入り、東急車輛製造大阪製作所となりました。

>>ところがこの大阪工場も閉鎖となり、以降は横浜にある東急車輛で南海の電車が
製造され続けています。
それは、系列会社の阪堺の路面電車も同じで、東急車輛製の珍しい路面電車に
会うことが出来るのはそのためです。
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