環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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古くて、新しい問題、「環境問題」をもう一度考える

2010-01-18 23:33:05 | 環境問題総論/経済的手法
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今日は1995年1月17日に発生した「阪神/淡路大震災」から15年、鳩山首相が参加して「阪神・淡路大震災15周年追悼式」が行われました。また、5日前の1月12日にはハイチで大地震が発生しました。

今日のテーマは「環境問題とは何か」です。この古くて、新しい大問題を「2010年の混乱の始まりの年」におさらいしておきましょう。「日本は常に環境問題を矮小化し、経済と環境は別物と考えている」と思うからです。

私の著書『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書792 朝日新聞社 2006年2月)で、私は次のように書きました。

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さて、2005年、日本は戦後60年を迎えました。この節目の年にちょっと立ち止まって日本を、そして世界を考えてみてください。

日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。
 
しかし将来、自然災害の発生をとめることが技術的に可能になったとしても、また、戦争やテロ活動がなくなり世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している環境問題に終わりはありません。私たちの「経済のあり方」「社会のあり方」が、環境問題の直接の原因だからです。
 
あらためていうまでもありませんが、工業化社会では資源やエネルギーが大量に使用されます。その結果、必然的に生ずるのが、水質汚染、大気汚染、廃棄物などの「環境への人為的負荷」です。そして、その環境への人為的負荷が蓄積し、「環境の許容限度」と「人間の許容限度」に近づくと「環境問題」として表面化し、広く社会に認識されることになります。
 
つまり、環境問題が示唆する本質的な問題は、「それほど遠くない将来、私たちが日常の経済活動から生ずる環境負荷の蓄積に耐えられるかどうか」ということ、つまり「私たち人類の存続危機」にかかわることなのです。

それだけではありません。20世紀の後半になって顕在化してきた地球規模での環境の悪化は、拡大しつづける市場経済社会の行く手を阻むことになります。なぜなら、環境をこれ以上悪化させないために、また、できれば環境を改善するために、エネルギーや資源をできるだけ使わない経済のあり方が求められるようになるからです。

「化石燃料の使用により大気中のCO2濃度が増えると、地球が温暖化する」という仮説を最初に唱えたのは、スウェーデンの科学者スバンテ・アレニウスで、1896年のことでした。この114年間に「世界の経済状況」と「私たちの生存基盤である地球の環境状況」は大きく変わりました。114年前にスウェーデンの科学者が唱えた仮説がいま、現実の問題となって、私たちに「経済活動の転換」の必要を強く迫っています。

環境問題の根本には人間の経済活動が原因として横たわっているわけですから、この問題を解決するための具体的な行動は、経済的に見れば「経済規模の拡大から適正化」への大転換であり、社会的に見れば20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量をできるだけ抑えた社会)」への大転換を意味します。

先進工業国がさらなる経済規模の拡大を追求し、途上国がそれに追従するという20世紀型の経済活動の延長では、経済規模は全体としてさらに拡大し、地球規模で環境が悪化するにとどまらず、これからの50年間に人類の生存基盤さえ危うくすることになるでしょう。私たちがいままさに、「人類史上初めての大転換期」に立たされていることを示しています。
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以上の記述を可視化したのが、次の図です。


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日本の「温暖化懐疑論」という現象(2)(2008-09-25)


もう一度繰り返しましょう。
日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。

しかし将来、自然災害の発生をとめることが技術的に可能になったとしても、また、戦争やテロ活動がなくなり世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している環境問題に終わりはありません。次の図で、「自然災害」と「戦争やテロ活動」を取り除いてみて下さい。私たちの正常な「経済のあり方」「社会のあり方」が、環境問題の直接の原因だからです。 




これらの図に加えて、もう一度、前回のブログに掲げた「問題群としての地球環境問題」をご覧下さい。

  


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