今年、昨年に比べて多いように感じるのは、太平洋戦争の再検討的記事や地上波&BS放送、YouTube放送の番組の題材。
気のせいかなとも思う。
自分がそこに注目したからそう思えるのかなとも思う。その一つ一つを読んだり視聴する時間がないから、結局見出し的認識に過ぎないのはわかっているのだけど。
ただ、我が国が戦争に至った経緯を客観的に見ることが難しかった学生時代、その私達の世代に、ずいぶんときを経てからの現代に、アメリカ国防省の分析がなかなか興味深い。
特に真珠湾攻撃の再検証などは興味をひく。
真珠湾に関して、実に卑怯な作戦だったと教え込まれるか、何でもかんでもあの時代は仕方なかったんだ、と言う自己弁護的な日本の大人の言葉に違和感を覚えて育ってしまった。
縁あってハワイに滞在したとき、真珠湾を見学し、気持ちがどよーんとしたことは覚えている。
いまは、それほど偏りのある気持ちはない。
ああ、だけど、勝つか負けるかしかなくて終戦を迎えたのだなあと、8月15日になるたびに思っていた。無条件降伏だと思っていたけれど、実は条件付き降伏だったとか色々わからないことが多い。何にもわからないでいたし、これから自分に何ほどのことが理解できるのかもあやしいお年頃となっている。
とかなんとか、思い巡らした。
そんな時何度も思い出すのは、私の友人の母の体験だ。
友人みよちゃんのお母さんは、終戦当時防衛省に勤めていて、そこの事務室の一室の棚の上に、ダンボールに入れた玉音の録音が保管されたと言う。内容をどれだけ知らされたのかはわからないが、「来るべき時が来たらこれを使うから、ここにあることは口外厳禁」と言われていた。web記事で読んだ事には、14日夜録音し、15日に発表したとあるから、保管の時間は短いと言える。朝出勤してお昼までの間と言うことだったのだろうか。
当時そう言う職場に働くにはしかも独身の女性、余程身元のしっかりした人物でないと採用されなかったのだと、みよちゃんは力説した。当時としては女性で大学を出て裕福な家柄だったらしい。
先日あることで電話が来た時うろ覚えだったその玉音の録音が職場に短期間でも存在した事実を聞いてみたのだった。そこ聞き出すまでに、彼女の近況や、話したいことを一切合切聞かなければならなかったけど。
レコードだったんでしょ?ってきいたら、いや、レコードではなかったと思うよ、との返答。
まあ、伝わり方はもう細部はわからないなと。web記事が絶対とも間違いともそれはもう問題じゃないかもね。わたしの注目は、口止めされて緊張したその日の、二十代の、みよちゃんのお母さんの緊張感のあるすごい体験なのだ。
大正生まれのお嬢様育ちのその方もう今は亡くなられて久しい。
学生時代、終戦までひたすら「回天」のバッテリーをつくらされていた私の父も三回忌が済んだ。
若いと思っていた自分自身もいつの間にやら歳を重ねた。まあだから、少し落ち着いて物事を考えるようにしたい。
って思うけど、落ち着けるかしら、、あたふたな日々🥲