My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

地震/コノ・・・イッカゲツ・・・

2011年04月09日 | 或る日或るとき

先月の9日。

震度1くらいの地震を感じ、宮城のほうはもう少し強く揺れていたらしいので、その地方に住むネットのお友達にメッセージを送ってみたら、(携帯メールは遠慮)
「大丈夫よ~」と返信が来たので、それはよかったわ~
・・・で、すんだ。

そのすぐあとの11日。

娘が「お母さん、9日は日は引っ越しして東京の生活を始めた日だったね!もう2年もたったのだわ!」と電話してきた。そうね、荷造りや荷ほどきの最中にかけてたレミオロメンの「3月9日」って言う曲が懐かしいね。

2年前の3月9日の午後、私達は羽田に着いて、管理会社に直行して鍵を受け取り、娘と別れて私はその足で、聴きたかった某大学オケの弦楽セクションのコンサートにひとりで行った。学生オケを聞いたのはこれが初めてだった。

翌日、契約したマンションで、こちらから送った引っ越し荷物を受け取り、・・・・
なんてことをその電話で懐かしく思い出していた。過去を「懐かしく思う」、平和というのはこういうことか。(そこまでに至るに、ずいぶん苦悩の日々があったことなど遠くなっていた。)

送って欲しいと頼まれていた荷物のことで、「いつ頃届くの?」 と聞かれ、明日送ろうと思うことを伝えている間に、揺れが来た。娘のところのほうが揺れは大きく、彼女の恐怖感がしだいに大きくなるのがわかった。振動で戸棚の上に置いてあるたくさんのコスメの容器が触れ合いカチャカチャいう音が聞こえてくる。姿見が倒れそう、、、向かい側の机がこちらに移動してくる、パソコンが(ディスクトップ)倒れた、、慌てる娘にこちらも揺れながら安全のための指示をするのは怖かった。遠く離れているのがつらかった。

その時話していた携帯を切ってからは、つながらなくなった。携帯電話が復旧して様子がわかるまでは落ち着かなかったが、のちに、被害が無かったことがわかると安堵。

3月9日の揺れが、あんな巨大地震の前触れだったなんて考えもしなかった。日常、地震のことは少し気にかけていた。携帯にはツイッタ―の地震速報はいつも入っていた。結構頻繁に微震が観測されているのだなと見ていた。けれど、何か自分のこととは遠かったような気がする。。

地震のその後は、恐怖と緊張と、事の大きさとに、被災していない自分も半ば翻弄された。不意打ちを受けたような、ショックが大きい。そして都会の混乱。物不足、計画停電、水の安全度。(原発事故と言う恐怖。)どんどん不安な状況。情報錯そう。やや遅れてこの地方にも、その影響が及んでいた。 が、春の日差しは、何事もなかったかのように暖かい。なにか奇妙な感覚だった。自然は私の心と無関係に動いている。

 小出しにされてしだいに明らかになることと、並行するツイッタ―の動き、行き過ぎて先導、、それらを受け止めることに戸惑ったれど、今は少し頭が整理されてきた。何事も、うのみに出来ないという点で。

あれから1カ月経ち、blogを通してのお友達もこの地震についてを書くようになった。やはり直後には、いろんな意味で、書くのが無理だったのだろうと思う。私も。そして今も地震は続いている。復旧途中にまた被災されている方々がいる。これからのことに対する不安はいかばかりかと思う。

私自身はどうだ。・・・冷静に、これからのことを考えるときが今。慌てず、急いで、考えようと思う。そしたまた一カ月先、事態がこれ以上悪化しないでいることを願いつつ、この一大事を乗り切ることを余儀なくされた方たちの生活を思い、共に生きていく。それしかまだ私には思いつかない。

 

 

コメント
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