地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

②しばらくは、音楽の話でも

2006-08-22 19:43:34 | 音楽の部屋
 ぼくが初めて洋楽のレコードを買ったのは、中学2年のころだった。
 そのレコードはナットキングコールのLPの小型版であった。そのなかに入っていたルート66という曲が、初めて覚えた英語の歌である。
 最近、アニメ映画「カーズ」と、いうのが上映されるということだが、どうも舞台がマザーロードと呼ばれるルート66であるらしい。
 観てみたい気がする。
 そのころ、漸く自我に目覚め始めたぼくは、音楽にも強い関心を持った。
 京都というところは、おもしろいところで、音楽には敏感だった。それは多分、京都が大学のまちであったからであろう。
 その当時、すでにロカビリーで名をなした石橋勲やカントリーではドン・佐野などがいた。
 石橋勲は高音の甘い声で、「北風」「枯れ葉小僧」といったレコードを出していた。彼は平尾昌明からもらったという古い茶色っぽいショートネックのマーチンのギターを持っていた。
 ぼくは弾かせてもらったことがあるが乾いたいい音がする、まさに当時でもアンテイークの名器であった。ぼくが初めてマーチンのギターに触れた瞬間だった。
 当時、ギターといえばマーチンなどは高額でとてもぼくらの手が届くものではなく、モンタナやヤマハなどがやっとだった。
 が、京都には隠れた名器があった。それは、WSと呼ばれた庄司ギターと茶木のギターである。茶木のギターは、憂歌団のリードギターが使用していたため、いまだに人気があり、たまにネットオークションなどで見かけるが、WSはあまり目にしなくなった。
 茶木はどちらかというとギブソンタイプでWSはマーチンに似ていた。
 ぼくらは、それぞれのギターにロゴを写してギブソンやマーチンとして使い、満足していたものである。
 今思えば、茶木やWSのギターに失礼なことをしたものである。
 思い込みもあるとは思うが、どちらのギターもそれぞれによい音がしていた。
 やがてマーチンやギブソンのギターを実際に手に入れることになったが、あの当時、WSのギターを手に入れたときの喜びは忘れられない。

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