知りすぎると逆に何をしたいかわからなくなったりするから知りたくないの。
とある知人が言った。
まぁ世に対する表向きの体裁ではない、ホントの裏事情(本来のカラクリ)関係の情報を指しての発言だった。
私もなんだか知りすぎてしまった感があって、それは「知りたくないの〜」と言ってる隙間がない、「そもそも(裏というより奥の奥というか)」に関わることが何故か幼少期から多く、社会人になってもそんな経験ばかりで、正直「ゲンナリ」することはあるし、世間はそれぞれが自分の解釈したいように成り立っているから矛盾は当たり前に生じる訳で、そこにも「ヤレヤレ」「なんだかなぁ」と感じてしまうことが多い。
ついこないだ人生の先輩とこの話題になった。
この人生の先輩も「そもそも」どころか「何十年も前の耕し期」くらいから世の中を関わってきてるから、ある程度世に見えてきてからの演出ごとで「実はそうしてるだけなんだよね〜裏はこうなんだよ〜」なんていう、よくいがちな「知ってる君、知ってるさん」気取りな人たちをはるかに超越してしまっている。
私は行き着くところ、こういう種の諸先輩と縁が何故か繋がってしまうので、そこで鍛え上げられてきてしまった。
私は「なんだか知れば知るほど関われることが狭くなってきますねぇ、、、今は特に。」と言った。
そうしたら人生の先輩は言った。
「そうじゃないんだよ。
知れば知るほど自分がやることが明確にハッキリ見えるし判断つくから逆にやりやすいんだよ。
選択肢なんてものは多くなくていいの。
最初から無駄に関わらなくていいこと(好き嫌いの次元のことではなく)がハッキリするから。時間も有効に使えるし。」
そう考えるとしよう。