こう‐せい【更正】
改めて正しくすること。まちがいを直すこと。
こう‐せい【更生】
生き返ること。よみがえること。蘇生(そせい)。
更生してやってるように見受ける馬鹿親切な人を見かけて、
「そもそも更生する気が無くて悪い事してるんだから、同情の余地も無い。
なのに馬鹿みたい、馬鹿親切にさぁ。」
みたいな短絡的な台詞を耳にする。
(ね)はその度に「うーーーーーん。」と考えてしまう。
「見えるところしか見えない人なのね、あなたもね。
見えてるところが所詮その人なんだからって反論してくるんでしょうけど、
それすらどっちでもいいんだ、あたしゃ。
そうだから何にも生まれないし豊かにならないんさ。」
と心でつぶやく。
なんて言うの?
更生してあげようと思ってやってるんじゃなくて、
更正してるだけなんだと思うのよ。
他人を更生させるなんて出来ないよ。おこがましい。
更生できたのはその人自身。
だけど更正は出来る。
相当に厳しいの。厳しいのは「愛」ですよ。
「更正してますよ? あなた、聴いてます?
聴いたら後はまずは自分で消化してかなきゃ仕方ないんですよ?」
っていう。
多分そういうと、
「それが正しいかなんて分からないでしょ。」
とばかりに主張をのべてくるのだろうけれど、
(ね)の親族に共通しているのは、そういう口の聞き方をすれば、
「素直じゃないっ!」って怒られるし、
そういう口の聞き方をしている人を見かければ、
「なんでも素直に聴いときゃ損しないだよぉ。
聞き分けいいだけでもダメだに?
人間素直じゃなきゃ所詮ダメだよぅ。」って呑気にヤレヤレしている。
そういう摺り込みをされてきている。
(ね)の場合、
「あんたは聞き分けが悪いっ!どうして聞かないの?」とよく怒られたが、
「言ってる事がややこしくて分かりづらい。
あんたが理解してないからややこしい言葉しか出てこないんだよ?
聞き分けがいい人はややこしいことも聞き分けるんだろうけど、
聞き分けがいいだけではダメ、人間素直が一番って言ってるのはそっちじゃ~~ん!!(笑)」
って反論していたような。
とにかくあたしゃ根が素直なもんだから、結局重宝され続けてるんだよね。ブハハ
(ね)に言わせれば、生きて活きてる人の言ってることに間違いは無くて、
だって事実、自分自身が背負って関わって交わってやってきたのだから。
間接的に情報収集しただけじゃなく、関わる程度じゃなくて、交わって背負ってきたのだから。
こんな間違いの無い事は無いじゃん?
それが結果的に面倒臭いことになったり失敗であったとしても、
やってきた事実を述べている内容には間違いないじゃん?
失敗が間違い? 違うよねぇ。
面倒臭いことになってしまったことって間違い? 違うよねぇ。
「そういう説教が嫌だ!」とか言ってる風景も、
「アホかぁ。(ニュアンス的には、「憎々しい」ではなく、「とほほほ」風に取ってください。)」って思うだけで、
「だ~~~から後は自分でその更正意見を調理すればいいじゃ~~ん。」って思うだけで、
「いちいち否定したり評論したり論破して小手先で勝つくらいなら、行動して突きつけてやれよ。」って思うだけで。
間接的な知識だけい~~~っぱい詰め込んで「正しい」を述べられても、
「だからなんなの?」って思う人は大勢いるんだよね。
で、更生するっていうのは、当人でやってかなきゃ仕方ないんですよね。
厳しい人は愛をもって更正するのです。
「更生させてくれるんだ。ラッキー。」なんてやってると、
「甘えるんじゃない!自分の人生を自分から手抜きするんじゃないっ!!」とばかりにまた、
「愛の更正鉄拳」が下りるのです。
更生するのは、当人がやらなきゃ仕方ないんです。
罪を犯して死刑にされるより、もっともっと厳しい。
だって本質は「更生させてやろう」っていうんじゃなくて、
「更正するから更生しなさい。」っていうことでしょ。
ものすごく厳しいよねぇ。
だけど更生するための更正はしてくれるんだよ?
もしも(ね)が、
更正意見を聴く気も無くて、更生する気も無くて、罪を犯したとする。
そこまで自覚してたら自分で「お願いですから死刑にしてください。」って懇願するよ。
「死刑にならないように立ち振る舞おう。」
「ここの環境は自分がそこまで自覚(開き直り)しているのに気がつかれない環境だ。
よしよし、しめしめ、ここは安住の場所。」
な~~~んて気にもならない。
だってそこまで自覚してたらよ?
潔く「お願いですから死刑にしてください。」って懇願するよ。
犯罪者で自分で死刑を懇願する人がいるけど、あれは多分、自覚してるんだよね。
「更正意見を聴く気も無くて、更生する気も無くて、それでも罪を犯してますから、私。」
ってところまで。
怖いよねぇ。恐ろしい。と同時に、別の意味の関心を抱く。
「何が、誰が、どうしてそこまで開き直らせたのか?」って。
ってまた、そういう人に平気で関われる人も怖い。
「だって割り切ってるし、そういう人だからそうやってつき合えばいいでしょ?」
っていう。
「お~いっ!
そうやってつき合えばいい人なのかい?
本気で言ってるのかい??
そうやってつき合って楽しいのかい??
そうやってつき合ってあげちゃうから、もっと図に乗らせてるんじゃないのかい?
だからややこしくなるんじゃないのかい?
そういう人を「これでも関わってくれる人がいる」ってさらに納得させてあげちゃうから、
その人をさらに向こう側に行かせちゃうんだよ?
それすら共犯だぜ? あんたも罪人だぜ?
それは愛じゃないぜ? ただの変態だぜ??
スルーしないとダメだぜ??
「あれ?自分おかしいかな?」って気がつくまで関わっちゃいけないぜ??」
って呆れるんだ。
「何の楽しみをもって生きてるんだろう? 暇だなぁ。」ってね。
きびし・い【厳しい/▽酷しい】
1 厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。
2 いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。
3 自然現象などの程度が著しいさま。
4 物事の状態が緊張・緊迫しているさま。
5 すきまがなく密である。
6 なみはずれているとしてあきれ、また、感心するさま。たいしたことだ。結構だ。
本当に厳しい人って6番の意識が強いと思うよ??
1、2番の意識じゃないんだよね、6番だよ。
ニュアンス通じてるかなぁ。
自分で自分に厳しく出来て、かつ他人にも厳しい人は、6番だよ。
ひとまず感心(誤解しないでね。)して、呆れて、「ならば、だから、こうだろ!!」っていう。
「いいかげんを許さない!」なんてそんな未熟な精神レベルでのどっちでもいいことじゃなくて、
「だから、ならば、こうだろっ!!」ってことを言ってくれてるだけ。
改めて正しくすること。まちがいを直すこと。
こう‐せい【更生】
生き返ること。よみがえること。蘇生(そせい)。
更生してやってるように見受ける馬鹿親切な人を見かけて、
「そもそも更生する気が無くて悪い事してるんだから、同情の余地も無い。
なのに馬鹿みたい、馬鹿親切にさぁ。」
みたいな短絡的な台詞を耳にする。
(ね)はその度に「うーーーーーん。」と考えてしまう。
「見えるところしか見えない人なのね、あなたもね。
見えてるところが所詮その人なんだからって反論してくるんでしょうけど、
それすらどっちでもいいんだ、あたしゃ。
そうだから何にも生まれないし豊かにならないんさ。」
と心でつぶやく。
なんて言うの?
更生してあげようと思ってやってるんじゃなくて、
更正してるだけなんだと思うのよ。
他人を更生させるなんて出来ないよ。おこがましい。
更生できたのはその人自身。
だけど更正は出来る。
相当に厳しいの。厳しいのは「愛」ですよ。
「更正してますよ? あなた、聴いてます?
聴いたら後はまずは自分で消化してかなきゃ仕方ないんですよ?」
っていう。
多分そういうと、
「それが正しいかなんて分からないでしょ。」
とばかりに主張をのべてくるのだろうけれど、
(ね)の親族に共通しているのは、そういう口の聞き方をすれば、
「素直じゃないっ!」って怒られるし、
そういう口の聞き方をしている人を見かければ、
「なんでも素直に聴いときゃ損しないだよぉ。
聞き分けいいだけでもダメだに?
人間素直じゃなきゃ所詮ダメだよぅ。」って呑気にヤレヤレしている。
そういう摺り込みをされてきている。
(ね)の場合、
「あんたは聞き分けが悪いっ!どうして聞かないの?」とよく怒られたが、
「言ってる事がややこしくて分かりづらい。
あんたが理解してないからややこしい言葉しか出てこないんだよ?
聞き分けがいい人はややこしいことも聞き分けるんだろうけど、
聞き分けがいいだけではダメ、人間素直が一番って言ってるのはそっちじゃ~~ん!!(笑)」
って反論していたような。
とにかくあたしゃ根が素直なもんだから、結局重宝され続けてるんだよね。ブハハ
(ね)に言わせれば、生きて活きてる人の言ってることに間違いは無くて、
だって事実、自分自身が背負って関わって交わってやってきたのだから。
間接的に情報収集しただけじゃなく、関わる程度じゃなくて、交わって背負ってきたのだから。
こんな間違いの無い事は無いじゃん?
それが結果的に面倒臭いことになったり失敗であったとしても、
やってきた事実を述べている内容には間違いないじゃん?
失敗が間違い? 違うよねぇ。
面倒臭いことになってしまったことって間違い? 違うよねぇ。
「そういう説教が嫌だ!」とか言ってる風景も、
「アホかぁ。(ニュアンス的には、「憎々しい」ではなく、「とほほほ」風に取ってください。)」って思うだけで、
「だ~~~から後は自分でその更正意見を調理すればいいじゃ~~ん。」って思うだけで、
「いちいち否定したり評論したり論破して小手先で勝つくらいなら、行動して突きつけてやれよ。」って思うだけで。
間接的な知識だけい~~~っぱい詰め込んで「正しい」を述べられても、
「だからなんなの?」って思う人は大勢いるんだよね。
で、更生するっていうのは、当人でやってかなきゃ仕方ないんですよね。
厳しい人は愛をもって更正するのです。
「更生させてくれるんだ。ラッキー。」なんてやってると、
「甘えるんじゃない!自分の人生を自分から手抜きするんじゃないっ!!」とばかりにまた、
「愛の更正鉄拳」が下りるのです。
更生するのは、当人がやらなきゃ仕方ないんです。
罪を犯して死刑にされるより、もっともっと厳しい。
だって本質は「更生させてやろう」っていうんじゃなくて、
「更正するから更生しなさい。」っていうことでしょ。
ものすごく厳しいよねぇ。
だけど更生するための更正はしてくれるんだよ?
もしも(ね)が、
更正意見を聴く気も無くて、更生する気も無くて、罪を犯したとする。
そこまで自覚してたら自分で「お願いですから死刑にしてください。」って懇願するよ。
「死刑にならないように立ち振る舞おう。」
「ここの環境は自分がそこまで自覚(開き直り)しているのに気がつかれない環境だ。
よしよし、しめしめ、ここは安住の場所。」
な~~~んて気にもならない。
だってそこまで自覚してたらよ?
潔く「お願いですから死刑にしてください。」って懇願するよ。
犯罪者で自分で死刑を懇願する人がいるけど、あれは多分、自覚してるんだよね。
「更正意見を聴く気も無くて、更生する気も無くて、それでも罪を犯してますから、私。」
ってところまで。
怖いよねぇ。恐ろしい。と同時に、別の意味の関心を抱く。
「何が、誰が、どうしてそこまで開き直らせたのか?」って。
ってまた、そういう人に平気で関われる人も怖い。
「だって割り切ってるし、そういう人だからそうやってつき合えばいいでしょ?」
っていう。
「お~いっ!
そうやってつき合えばいい人なのかい?
本気で言ってるのかい??
そうやってつき合って楽しいのかい??
そうやってつき合ってあげちゃうから、もっと図に乗らせてるんじゃないのかい?
だからややこしくなるんじゃないのかい?
そういう人を「これでも関わってくれる人がいる」ってさらに納得させてあげちゃうから、
その人をさらに向こう側に行かせちゃうんだよ?
それすら共犯だぜ? あんたも罪人だぜ?
それは愛じゃないぜ? ただの変態だぜ??
スルーしないとダメだぜ??
「あれ?自分おかしいかな?」って気がつくまで関わっちゃいけないぜ??」
って呆れるんだ。
「何の楽しみをもって生きてるんだろう? 暇だなぁ。」ってね。
きびし・い【厳しい/▽酷しい】
1 厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。
2 いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。
3 自然現象などの程度が著しいさま。
4 物事の状態が緊張・緊迫しているさま。
5 すきまがなく密である。
6 なみはずれているとしてあきれ、また、感心するさま。たいしたことだ。結構だ。
本当に厳しい人って6番の意識が強いと思うよ??
1、2番の意識じゃないんだよね、6番だよ。
ニュアンス通じてるかなぁ。
自分で自分に厳しく出来て、かつ他人にも厳しい人は、6番だよ。
ひとまず感心(誤解しないでね。)して、呆れて、「ならば、だから、こうだろ!!」っていう。
「いいかげんを許さない!」なんてそんな未熟な精神レベルでのどっちでもいいことじゃなくて、
「だから、ならば、こうだろっ!!」ってことを言ってくれてるだけ。