弱者って誰だ?
無知や偏見や差別がそういう言葉を使ってないか?
あぁ私は嫌悪する。
戦争被害者だろうが、
震災被災者だろうが、
男女の世界の女だろうが、
お金をいっぱい持ってなかろうが、
位が高くなかろうが、
子供だろうが、
病人だろうが、
失業者だろうが、
障害者だろうが、
お年寄りだろうが、
弱き者はいないと思ってる。
人が人を強い弱いと表現するのは勝手だが、弱者という言葉に嫌悪感アリアリだ。
もっと他の、「何をもって(その人を)弱いと感じるのか」とか、「その弱さにどうして同情なり共感をするのか」を表現された優しい言葉があればいいが、「弱者」というこのふた文字の言葉で簡単に表現してしまうこと自体、偏見や寛容の浅さ、何でも何にでも勝ち負けの物差しを当ててないか?と感ぜずにいられない。
弱者と呼ばれる嫌悪感を、弱者と括られてる側が発したほうがいいと思うほど、嫌悪感。
しかしなんで私はこんなに弱者という言葉に嫌悪するんだろう。
あの子の発言から考えるキッカケをもらった。
とにかく人を強者・弱者と区別するこの言葉を私は使ってきてないし使う気もない。
弱者救済なんて考えたこともない。あぁ嫌悪する。
病院を探してあげようか、病院に付き添ってあげようか、弱っている人には。
優しい気持ちは向けてあげられるが、救済はできない。(だってそれは出来ないから。「できる」と思うことほど「傲慢で現実をわかってないことはない」と思うから。)
常にいつも「困っている人には協力する」ということだけ。
何かこれからの希望にワクワクしてたり、何か先々(未来)の○現実(×妄想)を真剣に考えてることに協力する。
私はその「困っている」と「弱っている」の境目をわざわざ見分けていないバカな時期があって、「相談してきたことは困ってるってことだろう」と思って120%の気持ちで協力していたら、「実は困ってない(甘えてるだけ)」とか「実は狂ってるだけ(何が何だか無茶苦茶になっちゃってるだけ)」って人からのことまで尽力してしまっていた時期があった。
人生の師匠に「(そんな人たちに)どうしてこちらのやってることが伝わらないんだろう・・・」「あの態度はなんなんだ?(失礼だ!)」って愚痴ることも多く、精神的に非常に○負担(×負荷)が過ぎることがあって、その度に師匠からは「困ってる人と弱ってる人をちゃんと見極めないとダメだ。」と言われた。
「弱ってる人は病院でしか救えないの。自分達では助けられないの。」って言われた。
この言葉を貰ってから、すごく気にして慎重に見極めをつけるようにしてからというもの、随分と自分がムダに振りまわされることが少なくなった。
困っている人が皆、弱者か?ってそうではない。
皆、本当に困っていたら、本気で自分をふるい立たせるもんだ。
結局のところ懐を満たすことだけに走ってることには協力しないスタンス。
こんな人らが「自分は弱い」とか、なめた同情買いしてくるから無性に腹だたしい時がある。勝手にしろ、である。
無知や偏見や差別がそういう言葉を使ってないか?
あぁ私は嫌悪する。
戦争被害者だろうが、
震災被災者だろうが、
男女の世界の女だろうが、
お金をいっぱい持ってなかろうが、
位が高くなかろうが、
子供だろうが、
病人だろうが、
失業者だろうが、
障害者だろうが、
お年寄りだろうが、
弱き者はいないと思ってる。
人が人を強い弱いと表現するのは勝手だが、弱者という言葉に嫌悪感アリアリだ。
もっと他の、「何をもって(その人を)弱いと感じるのか」とか、「その弱さにどうして同情なり共感をするのか」を表現された優しい言葉があればいいが、「弱者」というこのふた文字の言葉で簡単に表現してしまうこと自体、偏見や寛容の浅さ、何でも何にでも勝ち負けの物差しを当ててないか?と感ぜずにいられない。
弱者と呼ばれる嫌悪感を、弱者と括られてる側が発したほうがいいと思うほど、嫌悪感。
しかしなんで私はこんなに弱者という言葉に嫌悪するんだろう。
あの子の発言から考えるキッカケをもらった。
とにかく人を強者・弱者と区別するこの言葉を私は使ってきてないし使う気もない。
弱者救済なんて考えたこともない。あぁ嫌悪する。
病院を探してあげようか、病院に付き添ってあげようか、弱っている人には。
優しい気持ちは向けてあげられるが、救済はできない。(だってそれは出来ないから。「できる」と思うことほど「傲慢で現実をわかってないことはない」と思うから。)
常にいつも「困っている人には協力する」ということだけ。
何かこれからの希望にワクワクしてたり、何か先々(未来)の○現実(×妄想)を真剣に考えてることに協力する。
私はその「困っている」と「弱っている」の境目をわざわざ見分けていないバカな時期があって、「相談してきたことは困ってるってことだろう」と思って120%の気持ちで協力していたら、「実は困ってない(甘えてるだけ)」とか「実は狂ってるだけ(何が何だか無茶苦茶になっちゃってるだけ)」って人からのことまで尽力してしまっていた時期があった。
人生の師匠に「(そんな人たちに)どうしてこちらのやってることが伝わらないんだろう・・・」「あの態度はなんなんだ?(失礼だ!)」って愚痴ることも多く、精神的に非常に○負担(×負荷)が過ぎることがあって、その度に師匠からは「困ってる人と弱ってる人をちゃんと見極めないとダメだ。」と言われた。
「弱ってる人は病院でしか救えないの。自分達では助けられないの。」って言われた。
この言葉を貰ってから、すごく気にして慎重に見極めをつけるようにしてからというもの、随分と自分がムダに振りまわされることが少なくなった。
困っている人が皆、弱者か?ってそうではない。
皆、本当に困っていたら、本気で自分をふるい立たせるもんだ。
結局のところ懐を満たすことだけに走ってることには協力しないスタンス。
こんな人らが「自分は弱い」とか、なめた同情買いしてくるから無性に腹だたしい時がある。勝手にしろ、である。