ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「みんなで力を合わす」ということ。

2011年03月28日 13時49分39秒 | 考えるねーさん
ひとつの“目標”に向かってみんなが一緒に(空気を読んで)行動するんじゃなくて、

ひとつの“目的”に向かってみんながそれぞれに自分でできることをやる。



自分でできることがある人は、“目的”だけわかれば当たり前に「できることをして力になろう(これは自分が責任持ちます)」と身体が動くからね。

自分でできることがない人が、“目標”にむかって「みんなで一緒に!(誰かが責任者なんだよね?私は最終責任まで負えないけど。)」って行動し始めちゃうのね。


「みんな一緒に!」っていうのってほんっとに責任所在が実に曖昧なんだよねぇ。
誰も責任なんかは背負いたくなかったり、責任は背負えないから、

「みんな一緒にやろう!
そのほうが○不安(×不満)から解消されるじゃん?」

ってなるんだよね。


あたしゃ常々思う。
そんなにそこまで○不安(×不満)なんだったらむやみに動かない方がいいってば。(苦笑)


で、「最後の責任は・・・?」ってなると、

「いや、わたしではありませんよ。」

「いや、わたしでもありませんよ。」

「え?わたしは声をかけられて賛同したただけですから責任と言われても知りませんよ。」

「じゃ、みんなの責任ってことで・・・。」


こういう行動って「力なんか何にも合わさってない」のよねぇ。
これは「力が合わさってる」んじゃなくて、みんなで「抱きつきお化け状態」なんでしょ?


最後の最後に総崩れ~~~。(間違いない)
「ぶっ壊したりぶっ潰すものすら構築されない」から~~~。(間違いない)
「ドミノ倒し」とか「メルトダウン」みたいになっから~~~。(間違いない)

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