ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

テクノロジーありきの考え方

2011年11月16日 23時06分59秒 | 考えるねーさん
テクノロジー(Technology、科学技術)

人類や他の種が、道具や技巧の知見を使い、環境に適応し制御する能力を高める方法に関する幅広い概念である。


ぎこう【技巧】

技術上の工夫。
特に、芸術の制作や表現における技術的な工夫。
テクニック。


ちけん【知見】

1 実際に見て知ること。また、見聞して得た知識。
2 見解。見識。



「テクノロジー > アイデア」


こうだと言う人がいるんだけども、人類って確かに道具を使ったり、知見がある人を頼ったりして、発達してきた部分はある。
だけども、その道具を作ったのは、知見を蓄積したのは、その道具を使ったり、知見を蓄積する『目的』があったからで、それが無い故に困った人間が自分の手を使って作ってきて、それが無い故に困った人間が知見を頼りにした訳でして。

道具が勝手に出来上がった訳じゃないし、知見が勝手に身に付いた訳でもない。

今って確かに、道具も豊富だし、知見も豊富。
だからといって「テクノロジー」にあわせて物事を考えてしまえば、人間の『目的』というのはなくなってしまう。


「あの道具、あのテクニックで、これをどう調理しようか。」

という発想は、

「切れ味の良いこの包丁と、テクニックを持ったあの人で、この趣旨にあった料理をどう作ればいいか、考えればいい。」

という考え方になるかと思う。


「切れ味の良い包丁」と「テクニックを持ったあの人」がいない限り、環境の求めに気がつかないことになるだろう。



一番、人間が気がつかなきゃいけないことって、

「環境(人・動物・植物・自然)が何に困っているのか?」

ってところだ。


「環境(人・動物・植物・自然)が何を欲しているのか?」

ってのは、

「環境(人・動物・植物・自然)が何に困っているのか?」

ってこと。



「道具」と「技巧の知見」なんていうのは、その次なんだよねぇ、やっぱり。


欲しているだけならば、道具と技巧の知見だけで、対処できるかもしれない。
ただ、困っている場合は、道具と技巧の知見だけでは、対処できない。
まずは、それを解決するアイデアが浮かばなきゃ、本当にどうにもならない。


で、困っている人を相手にしないから、秩序がおかしくなるのよねー。


お金を欲している人を相手にしたほうが簡単にお金になるからね。
お金を集める「アイデア」を発想してますと主張したとしても、「アイデア」ってより「法則を編み出した!」ってほうに近いんじゃないのかしらん?
これをし過ぎると、秩序(道理)がおかしくなるのよねー。



アイデア【idea】

1 思いつき。新奇な工夫。着想。
2 イデア。観念。理念。


ほうそく【法則】

一定の条件下で、事物の間に成立する普遍的、必然的関係。
また、それを言い表したもの。
この記事についてブログを書く
« 若い子育てママの中でだてマ... | トップ | 「アイデア」と「法則」 »