ねーさんとバンビーナの毎日

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父の教え

2010年09月16日 09時29分45秒 | 父言集
人を利用しちゃいけない。



これは両方の親族全体がこう言う。
祖父様祖母様から、みんなが言う。

だから「利用にかかるような人」を身内で見掛けたことがない。


人に何かをしてもらう時、人と一緒に何かをしあう時、「利用してやろう」と考えちゃいけないって。


そうだからどーしても「利用にかかってくる人」はす~~ぐわかるんだよね。
そういう「モノサシ」は育つ中で自然と身体の中に備わってしまったんだと思いますが。


利用する人って何かをちらつかせるから、最初から。
お金とかちょっとした差し入れとか。
で、最初に手に掴ませるから。


あれってさ、まったくもって、「働き」に対しての「労い」じゃないんだよね。
てことは人の「働き」なんか何もみちゃいないのよ。


見てるのは「暗黙のルールを守る信用性があるかどうか」だけ。


「これでなんかあっても責め合いっこ無しね、お互いに黙ってようね。これ渡したんだからわかってるよね?」


こういう暗黙上のルールだからさ。


で、これを、決して言葉には出さないのね。
「頭で計算せよ。」なのよ。


白紙からお互いに強力して一緒に何かを創りあげて生んでいくようなレイヤーじゃなくて、

出来上がったモノ(やり方)だけ拾ったり、
誰かが生んだ金だけひっつかまえて回すような人

に多いんだよね。


いや、何かを創りあげてる中でこういう役目の人も必要でさ。うん。


何を言いたいかというと、創り上げることから遠ざかって傍観者でいるようなレイヤーってことです。
創る苦労(これは趣味より世のための仕事としてね)をしたことなくて、それを知らないで上手に金儲けしちゃうようなレイヤーのこと。


「活用しようとしてくる人」は何かしてから(何かしてる時に)「労いだ」って褒美をくれるからさ。
いい食事をご馳走してくれたり、お小遣だったり。
だけど最初にちらつかせないんだよね。
だのに~、そこをわかってないで「逆利用にかかっていくような人」は、タイミング見計らって「バシンっ!(縁切りっ!)」とやられちゃうんだで。

どうしてかって、一緒に(真剣に)やってる人達に失礼だからだよ。
「あんただけそうやってちゃっかりいい思いはさせませんよ?他の人の働きが見えてませんか??ここはあなただけで成り立っていませんよ?」

ってこと。


見られてるんだから、キチンと。
利用にかかる人達は人をろくに見ちゃいないけど、活用する人達は人を見てるんだから、キチンと。


利用しあいたい人は利用しあうレイヤーでやればいいし(ややこしいのにホントよくやるよ、ったく。(笑))、後は、自分がどっちのタイプかまるで自覚してない人が多いから(「時に利用だってしますよ」といいながら「(厳しく)活用しかしない人」、「利用は悪いよねぇ」といいながら「(暗黙ルールを始終気にして)利用ばっかりしてる人」)、自覚して腹を決めて欲しいんだよねぇ。


あたしゃ利用はしません、てか、出来ない。(うはははは…)
だから活用価値がないと簡単に手を出せないのですわ。
利用だけしていいんだったら簡単に手を出せるのでしょうが、ご先祖様の手前、やれないんだよね。
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