ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

一番最初に何かを打ち立てる人達の覚悟。

2011年04月30日 17時24分33秒 | 考えるねーさん
一番最初に原発推進した先人らは責任すら覚悟していただろうと思うんですよ。

それがさ、時が長く流れ、推進した人ら以外の人らが、運営するようになっていくではないですか。
大きな組織ほど、そういうことになるじゃないですか。

で、その流れで運営権限を与えられた人らの中にさ、
その推進動機や設立意図や前提をよく理解もせず、聴く耳も持たず、
どんどん「自分の欲」とか「自分の名誉」に走り始めてしまう人がいたんだろうってことなんだよね。

それと運営する中で生じる矛盾点をロジックでコントロールしちゃおうとする「頭だけいいヤツ」ってのも、どうしてももてはやされてきてしまうんだ。
するとさぁ、これ、「隠蔽してるのと同じこと」なんですよ、すでに。
だけども、上手にコントロール出来てしまえば、それに賛同しちゃう浅はかな人も多いってこと。

コントロールしちゃマズイんですよ、矛盾も変化も。
「コントロールしちゃったほうがややこしくなるけど面倒臭くない」っていう言い訳は御法度なんだよねぇ。

それに立ち向かう責任が常に問われなくちゃいけないんだよ。
だけどそれよりロジックとか理論が達者な人を祭り上げちゃうからさぁ、ここんところの日本人って。バカね。


組織って長く続くとこうなっちゃう。
どんな組織も(政治も企業も)似たようなことは起こるのだわ。


っとに思うのは、東日本の文化って「隠蔽」が好きだよね?
「一部の結託した人間以外の人間に何かを言わせないような言動の持って行き方をする」っていうかね。

西日本の文化って「隠蔽」ってあまり無いと思うで。
仮にも「改ざん(ウソ)」はあったとしても。
「ウソも方便」って西日本のほうが上手かと思うのね。
「いつも○芝居打ってる(×演技してる)」っていうかね。
この記事についてブログを書く
« どんな集団でも。どんな組織... | トップ | 自分勝手と自分本位 »