ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

未知を見(身)知にしていける人

2013年01月25日 19時06分22秒 | 考えるねーさん
「開拓」ってこれがなきゃ意味なし?


「見知」や「身知」は造語だけど、未→見られる状態にする、未→身になる状態にする、みたいな。


「改革」は未知に果敢に突入していくのともちと違うのよねぇ。(自分が経験してきた「改革劇場」を整理するとそういう結論に至る)

案外と「改革!改革!」いうのって「理念のように見せかけられる理論ありき」だったりするから、失敗というか取り返しがつかない間違いが起きる率も高いのよね。
んで、その間違いに気がつくまで20年とか長い年月がかかったりね。


石原元都知事が口にしてた「日本人は気がつくのが遅すぎ!」って、こういうこともベースにあったりすると思うわ。
というより、言葉にできない気づきはとうにあったんだけど、これまでの歴史上、訂正する理論が日本人の中に構築しきれてなかったんでねーの?


そろそろ訂正してかないとな、本当に。
この記事についてブログを書く
« 吉井さんの『18』でまたア... | トップ | クレームは解決にはならん。 »