ねーさんとバンビーナの毎日

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「ファッション」の時代は終わった?

2009年07月10日 23時17分54秒 | 考えるねーさん
(ね)の亡き父親の迷言に、

「お前は会社にファッションしに行くのかっ!?」

と言うのがあるんだが、

「はへ? 「ファッションしに行く」って、その言葉、変だよ。
まったくこの父は時々訳の分らん造語(?)を言うよぅ。
詩的感覚っていうのかねぇ。哲学的?っていうのかねぇ。分りづらくてかなわないや。」

って若い当時(いまも若いぞ。)は「イライライラ(ぶしーーーーっ)」っとしたもんだった。


しかしなんか分ってきた。

「それがお前のスタイルなのか!?」ってことを言いたかったんだよね。
「そんなのがお前のスタイルなのか!?そんなもんただのファッションだ!!」ってことを言いたかったんだよね。

いやさぁ、だってまだ22~3歳当時ですよ? これを言われたの。
世の中も相当に浮かれてたよ。

「あえてファッションしてやるのが今の(ね)のスタイル」って感じだったんだよ。自己演出してますからぁ。

だから「イライライラーーーーー(オヤジ時代を分ってねぇ・・・)」ってしたんだと思う。


けどね、確かにね。

「「あえてファッションしてやるというスタイル」っていうのも、もうマジでいいや。時代がそうじゃなくなっていくや。」っていう感覚は、10年ちょい前から心のどこかで芽生えてはいたんですよ。
その前の時代に「見て体験して聴いて触って到達した感覚」っていうのかねぇ。


だけど、

「じゃぁどのスタイルに固めたらいいのか。」っていう試行錯誤のつらさ。

時代もなんだか宙ぶらりんで不透明。
「▲の上のほうで何かが誤摩化されてる。画策されてる。」の究極の時代。


このおかげで、

「30過ぎでアトピー症状が出たんじゃないだろうか?(アレルゲン検査してもアレルゲン見つからず。今は相当治まった。)」

って思うくらい。

世の中では沢山の自殺者が取りざたされ出した時代。
あたしゃアトピー程度で済んでよかった。ハハハハ・・・・(^_^;)

近場では、
「ガンになった、ガンだ、ガンだっ! 腫瘍マーカーの検査で陽性反応が出た!!」って大騒ぎして、
「結局何ともなかった。」という人もいた。

そういう時代だったんだ。


だけど、とにかくやっぱり、「ファッションの時代」ってのはもう少なからず(ね)の中では辞めて行く。
「スタイルの時代」に移行していく。


時代の流れに乗って流れているでしょ?
自分の中に「何か」が見えないものには抵抗するんだけど、時代にはちゃんと乗るのよねぇ。乗り過ぎ!?

流されてます?
いいえ、流されちゃいないと思ってますけどね。

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