ねーさんとバンビーナの毎日

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今日突かれたお言葉・その1,030

2015年12月02日 20時13分35秒 | 突言葉ねーさん
今日一日の終わりに夜を迎えられるようにするという壮大なミッションに乗り出すことは賢明なことでしょうか?

明日の朝、ふたたび昇るという約束をとりつけるため、太陽との長い交渉を始めることに価値はあるのでしょうか?

この世には、私たちがそれを起こすためにどれほど努力しようがしまいが、必ず起こることがあります。

あなたが自分の人生で次に起こってほしいと思っていることは、いずれにしても起こる可能性が非常に高いことです。

それを起こすために、すでにあなたが自分にできるかぎりのことをしているのであれば、それで十分です。




ジョナサンケイナーの本日の予言・山羊座さんより。



そうなんですよ。

起こることはどうしようが起こるし、なるようにしかならないのよ。


すること何にもしないで「何かを起こしたい、起きないかな」とそっちに頭を使って「さも起きたように」尽力するから、物事がおかしいことになるのよ。


知り合いがよく言う。

「「そうしちゃいたい」って人達が言ってることでしょう?
全く関係ないし、全く気にする必要ないし、かえって相当迷惑。ああいうの。」


こういう人らが「さも起きたように」しちゃう人ら。
そこに騙される、ノッちゃう、取り残されるのが不安で暗示にかかっちゃう人が多数の世間・・・という図。


っとにね、「こうすりゃ何か起きるぜ♪」と騙し合いしてないで、「各人が自分の出来ることを粛々とやれよ」と。

その上で起こることが正しいんだよ。


何か起こしたいなら人の倍の倍の時間を使って働くだけ。

祖父母や親戚、両親からもよく言われたなぁ。

「所詮変な小細工したってダメ。
人の倍働けなきゃ、何かは起こせない。
それができない人は諦めつけて、無難に生きればいいのよ。
それだって別に何も悪くない
んだし。」

って、よく言われた。


「することしてれば必ずその先に何かは起こる」ってね。


起きない人はすることしてないんだろう。
小細工かけるほうに躍起になってて、単に「起きたようにしたこと」なのに「ほら起きた!起きた!!」と一瞬盛り上がって、すぐに「あれ起きたのにな、おかしいな。」ってなるの。
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