ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

強情なのとそうじゃないのと。

2017年09月01日 11時50分30秒 | 観察屋ねーさん
意見がぶつかるケースでもふた手に分かれる。

思いがぶつかるのは健常者同士。

強情な職人がぶつかり合っては、時にケンカになったり、でもおかげでさらに信頼が高まって、仲が深まる、

こんなことは今ではなかなか観られない光景なのかもしれないけど必ずある光景だ。

これは近くで観ていた場合、

「お〜っと、大丈夫か?」

と感じながらも、こっちまで心が熱くされる部分がある。

「アハハハハ」と明るく笑える部分がある。


しかしだ、、、かなり問題なのが、

理解?
そんなの無駄だし、人間とは?○○とは?なんて哲学みたいなこと、それがそもそめ馬鹿馬鹿しい。

わかりきっていて正しい間違いないことしか必要ないから。
これだけしか私には必要ないんです。

っていうスタンスで社会に関わってる輩。

しかもそういう自分を悩む風ではなく、割り切りができちゃってるやつ。

私は相当苦手なのと、

もはや可哀想だなぁ。
何があってそこまで行き着いちゃうんだ、、、
ご家族の状況、育った環境だろうな、、、
今の環境の問題じゃないや、これ、、、
そもそもや、、、

と考え始めてしまい、どう関わっていいやら完全に参ってしまうクチで、距離を置きたい、いや基本、距離を置くタイプの人だ。


で、このタイプ(この場では哲学不要ですタイプとする)と話しがぶつかり合ってるケースは、

決して思いがぶつかっているのではなく、

哲学不要ですタイプが、

「単に目に見えていることだけが0か1を確かめたいだけ」

「相手の言葉の正しさだけを突きたいだけ」

「理解する気はないの、知りたいだけ。
いや、情報拾えたら儲けもん!(ラッキ〜)」


こうなのだ。


なので相手をしてる側(揚げ足取りの様に「いやいや、そうではなくて、、、」と熱くならされちゃうっていうか。←キレてるのではない。)はまるで尋問を受けてる風にもなり、周りの空気まで暗く、、、真っ暗の闇になるのだ。


この違いを感じ取れない人(感じ取れてもなぁなぁのことなかれ主義の人)がまわりにいた場合、

大抵「哲学不要です」のほうがぶが良くなったりする。
ことの理解が不要だし、言葉尻だけで善し悪しが判断できて簡単だから。


が、

「いやいや、哲学不要ですの人のほうが、かなりマズイんだよ、、、要注意だよ、、、」

と、私は度にヒヤっヒヤする
のと、

「あらららら、、、
ターミネーターに例えれば、機械軍があっち、抵抗軍がこっち」

とあえて心の中で笑いに持っていくようにしないと、

哀しみから怒りに近いものが湧いてきて、泣き出しそうになるくらい。

「本当にヤバイよ、あんた、、、
人じゃないよ、すでに、、、」

と、毎度いたたまれない気分にさいなまれる
のです、、。

私の中の疲労感って、この疲労感が一番の疲労だ。
身体の中がムギューとして力すら入らなくなる感じ。

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