脳が喜んでるか、ハート(丹田)が喜んでるか、この境目って気にしたことがあるだろーか?
人間が幼いと「脳が喜ぶこと」を必死になって追いかけてる気がする。
「ハート(丹田)」で感じてるつもりでも、実は「脳」がウハウハになってるだけなの。
「ハート(丹田)」に届くことって実は「ウハウハ」じゃないと思う。
「ズッシーン」と重いの。
「うっ、うっわぁ、、、」っていう。
「届いちゃったよ、、、」っていう。
「やっば、抱え切れるか?」っていうような「怯みたくなる重さ」っていうか。
でもそこを感じられて消化したら人として一枚剥けるよな。
♪(真の)大人の階段登る〜って感じ。
「重い」のと「暗い」のも紙一重で混同してる人もいてね、、、ふふ。
私は「暗い(ネガティブ)」のと「作り込んだ分かりやすい明るさ(実は暗いの!)」は本気で逃げ出したくなる。
「重い方」が何百倍もマシ。