ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

人間通

2007年12月19日 01時44分03秒 | 紹介屋ねーさん
人間通 (新潮選書)
谷沢 永一
新潮社

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かっこ悪い話であんまりしたくなかったんだけど、この本は確か24歳の時に買いました。
当時の「ね」は、何を言わんとしているのか、さーーーーっぱり分りませんでしたけど、ここに参考になる答えがあるかなぁ?と思って買いました。
当時、外資系で働いてました系、非常に頭も切れるわ、行動力もあるわ、実行力もあるわ、バイリンガルだわ、軽くイヤミも入るわ、ジョーダンが無いわ、あってもちょっとそのインテリ系のジョークがまたイヤミでつまんねーわ、趣味はヨット(自分所持)ですわ、の、全くソツがナイ優秀な女性の元で仕事していたので、もーーーマジで疲れまくっていた会社帰りに横浜の有隣堂で買いました。
このおねいさまには純粋に「すげーわ」と憧れの部分があったのに、そのギスギスさと振り回し方にウンザリしてきた時。

なんでこんな本を手に取ったかと言えば、
定型実務から離されて、人に仕事を教えたり、職場の仕事の差配をする立場にシフトしつつある時期だった当時、本当~~~~に悩んだんです。
「何でこうも人って人それぞれ受け取り方や呑み込み方が違うんだろう?」ってね。

同じ教え方をしても呑み込みが悪い人もいて、
そんな人には容赦なく上司から「切って良し。」の命令が下る。
それが実行されてしまった場合、職場内で誤解が生じるんです。「ね」が偉そうとかね。

もちろんやる気が無い人にはとっとと退散してもらった方がこちらも助かる。
のらりくらりといられては、仕事は進まない上に給料払うのって?
会社も奉仕活動してる訳じゃないし。

けど、そうじゃない人もいる。一生懸命なのに理解が悪い人。
そういう人にも上司からは容赦ない判断が下ります。

「ね」は部署内の仕事を差配していた立場でもあって、混乱したんだ。
教えるだけだったら、それ前提で判断もできただろう。

「覚えが良いソツが無い優等生」だけで集団を作ると、プライドのぶつかり合いのギスギスする感じになって、仕事にならない感じって知ってます?

「要領がいいちゃっかり屋」だけで集団を作ると、ちゃっかり逃げちゃうから仕事が放ったらかされることを知ってます?

そこに純粋に「一生懸命にやろう」というアウトプット重視な健気な人達のマンパワーが入ると、集団って調和されることを知ってます?

険悪ムード(「覚えが良いソツが無い優等生」)や無関心ムード(「要領がいいちゃっかり屋」)を調和するには、「一生懸命にやろう」というアウトプット重視な健気な人達って重要なんですよねー。マジで。

この3つが揃わないと仕事がうまくはけない苦労を実体験していて、理解が遅かろうが、そういう人達にできるだけ居場所を作ってやれないもんなのかって、思ってた。

「自分の教え方とか言葉の選び方が悪いのかなぁ?」とか辞める迄の数年感人知れずいろいろ試したりした。

「ね」の体験上、理解する人っていうのは、人の話っていうのを言葉尻で拾ってない。
話の輪郭と言わんとすることに注目している。
そこを組み立てたら後は自分の仕様に落とし込んで行動(アウトプット)する。
その繰り返しで理解していく。
だから知らないうちに次のステップは自分で見つけて自主的に行動していってくれる。

覚える人っていうのは、人の話の言葉尻を非常に気にしてるような気がする。
「この人は何をいいたいのか?」ということよりも、言葉を拾って記憶していく。
だから「話す側の正確さ」というものに非常にこだわるような気がする。
正しい日本語、参考書にのせていいような正確な知識を並べてやらないと、揚げ足を取られる。
いつまで経っても参考書を探している人達。

人は結局自分自身で生きる術を見つけてかなきゃいけないしさ、
それをずっと参考書(情報)に頼るか、
師匠を見つけてしごきを受けるか、
この2者選択で路は分かれていくような気がするね。
でもどっちを選択しようが、それがその人の人生で、どっちが正しいも無い。
そうじゃない側を批判する必要もナイ。

そうじゃない側を「分っていてからかい合うお戯れ」は非常に楽しいと思う。
「バカじゃねーのか!」「うっせーぞ!」このくらいを、批判の粋を超えて、笑って言い合えたら超面白いと思う。
これが出来るのは「分っていてこっち側を選択してます自分。そっち側のあなたもそれはそれで愛おしいわ。」を分っている者同士。

「ね」は正確な参考書にはなれない。これだけは確実だ。
耳から入ってきた情報とか、目で読んだ情報って、覚えられないんだわ。
正確な参考書を欲しい人は「ね」にそれを要求してもダメなので、他を当たって下さいね。
「ね」の中の情報データベースは「ね」自身が身を以て体当たりして記録していった独自データが主なので。

「ね」はどういうわけか正確な参考書が必要になる実務にぶち当たったことがナイのだよね。
参考書が必要な実務ってヤツは無意識に遠ざけているのか?
参考書もいらないようなモノを選んでおいて、「ね」が編み出したやり方がその場のスタンダードになっていってしまうというか。
それよりも「関わっている人の調和」の上で「上手く仕事を運ぶ」っていう、人のつながりの調整役が多いんだ。これ、子どものときからかも。
これにかな~り疲労して嫌気が差しちゃった。
子ども時代からの蓄積がとうとう崩壊して、放り出したって感じ。13年前に。

イヤで辞めた前会社でも「「コーディネーター」っていう肩書きが向いてるわ!」なんて言われたっけね。
「いずれ落ち着いたら「エディトリアルデザイナー」の勉強をして、それになったら、君には案外向いてる仕事かと思うぞ。」とかも言われたっけか。

エディトリアルデザイナーとは雑誌、カタログ、各種マニュアル本などの書籍をデザイン的に美しく、かつ読みやすいように編集することを職業とする人。内容を読みやすく機能的にデザインするってことらしいよ。

最近の製品についてるマニュアルとかお店のメニューとか。
ダメ出ししたくなるもの多いねー。ホントに多い。
「素人さん、やっちまいましたね。」的な。
文字の配列とかフォントの選択もそうだし、「分りやすさ」がないがしろになってるよなぁ。

お前が言うなってか。(笑)
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